2006年05月30日(火曜日)
1405.コミュニケ-ション
今、しなければならないこと。
いっぱいの人と、いっぱいのコミュニケーションをもつこと。
コミュニケーションとは実にむずかしいものである。
自分の考えや意図を相手に伝え、
相手の意図を理解し、お互いの理解を深める。
お互いの一致点を探すのではなく、お互いに違うまま理解し合うのである。
人はそれぞれ価値観が違う。
その違いをも理解したうえで、お互いの存在を理解し合うのだ。
まず、自分の考えや持っている意図を相手に伝えること。
自分の持っている意図を相手にきちんと伝えるということは、
自分の考えを、
相手に押し付けるということとはまったく違う。
また、自己の都合のみを主張する自己主張とも違う。
自己主張が正しいと思っている人は、ただ単に自分勝手であるだけのこと。
自分とは価値観が違い、自分とは環境も経験も違う相手に、
自分の持っている意図を理解してもらうには、
伝えるための道具である“言葉”が、相手に理解し得る言葉であり、
その組み立てである話(文)が相手に理解できる側面から方向で無ければならない。
平たく言えば、
相手にわかってもらえる言い方をして、
相手に話をした時(書いた時)、
相手がどのように聞き(読み)、どのような意味に理解したか、
それを察知する能力を持たなければならない。
そして、その理解にそって話(文)を進めていくことになる。
相手に自分の意図を正しく伝える力とは、
「表現力」も大切だが、
相手がどのように自分の話を聞いたか、理解したかを「察知する能力」でもある。
そして、察知したことを整理し、理解して、
自分の話(文)を軌道修正する「対応力」でもある。
そして、相手の存在を「認める力」でもある。
その表現として、話(文)のマナーがあり、
それが敬語であり、謙譲語であり、普段は丁寧語である。
また、順序とかルールがあって、
日本語の場合、特に手の混んだ構造になっており、
それが日本の文化の大きな特長でもあり、美徳になっている。
最初に「まず、自分の考えや持っている意図を相手に伝えること。」と書いたが、
実は、自分の意図を相手に伝えるということは、
すなわち相手を理解することが出来ることが必要であることになる。
自分の意図とか考えを相手に理解してもらおうと、
一生懸命、話をしたり、文章を書くとすると、
その話(文)に対して相手がどのように受け取ったかを理解する力が必要である。
逆に、相手の意図を理解しようとすることは、
すなわち、自分の意図を相手に正しく伝える努力をすればよいことになる。
自分の意図を理解してもらう力とは、
相手の意図を理解する力と同じ力であることになる。
自分が大きな力を発揮するには、
たくさんの人の支持が必要だ。
そのためには、多くの人に自分の意図をよく理解していただく必要がある。
ならば、自分が多くの人のことを理解することから始めなくてはならない。
コミュニケーションとは、そういうことだと思う。
いっぱいの人と、いっぱいのコミュニケーションをもつこと。
それが、私にとっても、会社にとっても、すべてのスタッフ諸君にとっても、
今一番大切なことだ。