2006年04月04日(火曜日)
1375.仕事をしたくなる
仕事とは、その人が持っている能力によってなされるものだが、
能力があればそれでイイと言う訳でもない。
世間で言うところの“やる気”と言うか何と言うか
その人の仕事に対するプラスの意思が必要となってくる。
つまり、仕事をしたいと思うのか、ということ。
たとえば、
母親が小さな子供にご飯を食べさせようとした時、
ご飯を口にねじ込んで「食べなさいっ!」と怒鳴っても、子供は食べようとしない。
また「ご飯を食べないと、あとで痛いお仕置きがあるかね。」と脅したり、
「ご飯を食べたらあとでご褒美をあげるよ。」と景品で釣ったりしても、
子供は決してご飯を食べようとしない。
あるいは我慢してイヤイヤご飯を食べるが、
それによって、その子供はますますご飯が嫌いになっていく。
そこで知恵のあるお母さんは色々と工夫をする。
お弁当にご飯と海苔を使って人の顔やキャラクターなどの絵を作って
ご飯を食べることを楽しくしたり、
ご飯の前に公園で思いっきり遊ばせてお腹をペコペコにさせたり、
色々と工夫をして、
「ご飯を食べたい。」と思わせるようにする。
ご飯を好きにさせる努力をするのだそうだ。
我が娘が、自分の子供にご飯を食べさせるとき、
子供が一口食べるたびに、
「わ~おいしいなぁ~、お~いし~っ、パチパチパチ、よかったね~」と、
大騒ぎして、子供もニッコニッコして、すごく嬉しそうに食べている。
最初はその大騒ぎにあきれてしまったが、
今では、そのあまりにもの楽しい食事風景に感動すら憶えている。
決して、無理やり口に中にご飯をねじ込むなんて乱暴はしない。
そんなことをしたら、それまでの努力が水の泡になってしまう。
食事はあくまでも楽しいものでなくてはならない。
「いかに食べさせるか。」ではなく、
「いかに食べたくなるか。好きにさせるか。」の方がずっと効果的であり、
その子の将来のためになる。
「いかに食べさせるか。」では、
脅されたり、罰せられたりしてご飯を無理やり食べさせられた子供は、
ご飯を食べることを決して好きになったりはしない。
ご飯は、食べなきゃ痛い目に合う嫌なもので、
大人になってからも大嫌いな物の一つになってしまい、
ひょっとしたら、死ぬまでその子はご飯が嫌いなままであるかもしれない。
ご飯を食べるたびに我慢をしなければならないと言う不幸を背負う事になるのだ。
逆に「いかに食べることが楽しいか。好きにさせるか。」では、
母親の努力の甲斐あって子供がご飯大好き人間になり、
一生、美味しくご飯を食べるという幸せを得ることになる。
この差は大きい。
(食べ過ぎはデブの素だが、、、)
仕事ということもよく似ているのかもしれない。
「サボるなっ。」「力を入れろ。」「もっと早くやれ。走れ。もっと働けっ。」などと、
怒鳴り、叱り、
成績が悪かったものには罰則を与え、
よく働いたり、良い成績を上げたものには報奨を出す。
それだけでは、仕事をしたいとは思わない。
やらないと罰則があるので、罰則を受けるのがイヤでやっていた仕事は、
その事から罰則がなくなると、たちまちやらなくなってしまう。
それは、やりたくてやっていたのではなく、
やらされていただけのこと。
その人にとってその仕事はやりたくないのだ。
会社中が仕事をしたい人達だらけになるには、
まず自分が、楽しく、仕事をしたい会社作りをすることなのだろう。
自分は我が娘のようになれるだろうか。
我が子供に教えられる。