2006年03月16日(木曜日)
1366.再びラスベガスに
ロスで一泊した次の日、ラスベガスに飛んだ。
洗車に関わる全米のトレードショーが開かれていて、
それを見るのが私たちの訪米の目的の一つであった。
洗車ショーは、
洗車とディテイルに関わる展示だけで、
日本の幕張等でのオートアフター全般に関わるショーに匹敵する規模を持っており
洗車機メーカーだけでも30社ぐらい出ている。
米国での洗車ビジネスが、日本のそれに比較して桁違いに大きいことを実感する。
このようなトレードショーが、ラスベガスではしょっちゅう開かれている。
ショーに人を集めるためには、
街自体に集客力があるこのラスベガスが最適なのであろう。
「仕事としてトレードショーを見にラスベガスに来て、ついでに遊んでいこう。」
という場所なのだ。
ラスベガスという街は街で、そのようなショーを積極的に開いてもらい、
ショーの集客力が、自分の街の、ホテルの、カジノへの集客につながり、
両方の集客力が相乗効果を出して、
お互いの利益につながるわけだ。
客にも良し、
街を代表するホテル、カジノにも良し、
主催者にも良し。
三者の利益が同時に成立して、
トレードショーなどがラスベガスで開かれることが多くなったようだ。
ところで、
私はこのラスベガスに来ると、妙に不機嫌になる。
何か不思議な空気が、私を強く刺激するのである。
普段なら聞き流してしまう事にまで、ここでは強く反応するようになるのだ。
今回はちょっと本気でギャンブルをやってみた。
財布には1800ドル余り入っている。
日本円で20万円ぐらいだ。
トニーは、ギャンブルは1万円か2万円ぐらいまでで、
少なく賭けて、傷を負わないようにして遊ぶものだ。
というが、今回の私には、確かめたいことがあった。
ラスベガスの収入はギャンブルでの収入が基本になっていて、
あの凄まじいほどの華麗な街が演出できているはずだ。
カジノにおけるギャンブルからの収入、つまり客の賭けによる負けが、
想像に絶する金額になっているはずなのである。
誰かが、その想像を絶する膨大な“負け”を支払っていく仕組みを知りたかった。
前回来た時は、200ドルを負けるつもりでルーレットやり、
短時間で見事に負けたのだが、それっぽっちの負けでは何も分からなかった。
だから、今回こそ“負けの仕組み”を知りたいと思って、
一桁上の2,000ドル近いお金を持って、カジノに足を踏み入れたのだ。
勝負は“ブラックジャック”、カードだ。
10と絵札はすべて「10」と数えられ、「A」は「1」あるいは「11」と数えられる。
そして配られたカードの数の合計が「21」になれば一番強く、
その中でも、「10」又は「絵札」プラス「A」の2枚で「21」になることを
特に「ブラックジャック」といって最高に強い。
実際のカードの進められ方を書くと非常に長い文章になるので省略するが、
いずれにしても、カードを配るホテル側の「ディーラー」と私たちの1対1の勝負だ。
最初に500ドルをチップに交換して勝負を始めた。
一回に100ドルずつぐらい賭ける。
多少の一進一退はあったが、最初の500ドルは30分足らずで全部負けた。
3勝8敗くらい。
ここで引いては前回と同じになってしまう。
また300ドルをチップに換える。
ゲームのルールがいまいち飲み込めず、後に立ったトニーがしきりにアドバイスをくれる。
しかし、そのアドバイスをほとんど聞かず大きく賭け続け、瞬く間にまた全部負けた。
少し意地になってきて、また300ドルをチップに交換。
それでも、あまり時間がかからずに全部負け、
最後にと思って、もう200ドルをチップに交換した。
これで全部で1300ドルをチップに交換した事になる。
日本円にして15万円以上だ。
1時間とちょっとでの15万円は、おおごとである。後悔の気持ちがよぎる。
ちょうどその時、私と同じ年齢ぐらいの暗いおじさんが私たちのテーブルに座った。
すると、何気なく100ドル札を束で出す。
ディーラーがみんなの前でそれを数えると、それは25枚あった。
2500ドル、日本円で30万円弱である。
100ドルチップで25枚。それを、そのおじさんは1回のゲームに全部賭けたのだ。
私は25ドルチップ1枚。
自分が貧弱に思えそのおじさんが立派に見えた一瞬であった。
ゲームはおじさんの勝ち。
100ドルチップ25枚と、500ドルチップが5枚、おじさんに返された。
ものの何十秒かで、30万円が60万円に増えたのだ。
おじさんは表情一つ変えず、次のゲームにそれをまた全部賭ける。
次のゲームはディーラーの勝ち。
一瞬のうちに60万円分のチップはディーラーに取り上げられ、
おじさんはやっぱり暗い表情を全く変えずに、黙ってテーブルを去った。
私は背筋が寒くなる思いがして、
それからは25ドルチップ1枚か、せいぜい2枚で勝負を続ける。
何回か連続で勝って(勝たせてくれて?)
私の手元には25ドルチップが十数枚と100ドルチップ2枚ほど貯まった。
全部で4万円分ほど。
トニーがちょっと用事に行ってくると言い、背後から去ったので、
その間も1回に25ドルチップ1枚とか2枚とかを張る小さい勝負で時間を稼ぐ。
やがてトニーが戻ってきて、部屋に戻るというので、
「ちょっと待って、あと3回だけでやめるから。」とトニーにとどまってもらった。
そのころには私のギャンブラー精神はすっかり萎えていたが、
それでも最後と思って、25ドルチップを4枚ずつ賭ける。
それでも他の客はもっと大きなチップを賭けて来ている。。
3回とも勝った。
全部で7万円ほどのチップが戻り、「はい、おしまい。」とテーブルを立つ。
13-7=6万円の損である。
充分に後悔すべき負けである。
ここまでやって、私は“負けの仕組み”が少し解ったような気がした。
ギャンブルはすべてディ-ラー、つまり主催者側に少しだけ有利に作られている。
それはルーレット、競輪、競馬、宝くじ、パチンコなどすべてのギャンブルに共通する。
しかし、それでも、
賭ける側は50%より低いの確率であっても勝つことがある。
勝ったところでやめれば、結果的にトータルで勝った事になる。
掛け金を倍倍に増やしていけば、どこか勝った時にやめれば絶対に勝つ事になる。
負けても負けても、掛け金を増やしていけば、結果的に勝つ事になる。
そう思ってみんな掛け金をエスカレートさせていくのではないか。
しかしこれはとんでもない数字のマジックで、
実際にはあり得ない事なのだ。
ギャンブラーは最初の頃の小さい勝ちでやめることは決してなく、
大きな勝ちを目指すので、これ以上賭け金を増やすことが出来ないところまで、
賭け金をエスカレートさせる。
そこまで行った時、ディーラーは本当の勝負を掛けてきて、
そんな時、かなりの高い確率でディーラーは勝つ。
ディーラーの仕事とは、
相手を勝たせて、あるいは負けさせて、
コントロールをしながら賭け金をエスカレートさせ、
ここぞというところの勝負で“勝つ”ことなのだ。
客の方は、最後に勝てば今までの負けも全部取り戻せて、
大きく勝てるはずだ、というそんな錯覚が、負け金を増やしていく。
ディーラーの仕事とは、一回一回の勝負に勝つことではなく、
客をいかにエスカレートさせて、勝とうという気にさせ、最後に勝つことなのだ。
カジノのディーラーはプロフェッショナルであり、
完璧に確率を計算でき、私たちには絶対に歯が立たない。
私が小さい勝負に変えた時、
もっと大きな勝負をしてくる客との勝負に出ているので、
つまり私などは無視しているので、私は終盤に少し勝てただけだ。
“負けの仕組み”とは、
客のいつかは勝てるという錯覚と、
ここぞという時のディーラーの圧倒的な勝つ力、
つまり勝つ確率の算出能力と判断力なのだろう。
ギャンブルに夢中になっている時の人間の脳は、
モルヒネを打った時の脳の状態と同じだという話を最近どこかで読んだ。
(誰かのインスト日記の中ではなかっただろうか。)
ラスベガスの繁栄を支えている“客の負けの仕組み”とは、
「いつかは必ず勝てる」という麻薬と同じような錯覚なのかもしれない。
毎晩、少数の勝った人の代わりに、
麻薬を打ったのと同じ状態で何万人もの人がエスカレートされた負けを背負って、
その中の何人かは後悔と失望のうちに自殺するという。
そんな不幸な負けに支えられたラスベガスにいると、
まばゆい街の光が、怨念のカタマリのように見えた。
ラスベガスにいると、何かが私を覆うように、
頭がすっきりしない。
何かに取り付かれているような感じがするのだ。
自分が妙に暗く、
怒りっぽくなっているのが解るのだが、自分をコントロールできない。
今朝、ラスベガスからロスに向かう飛行機の中で、
ロスに近づいた時、
突然、その霧のようなものが私から去っていったのがはっきりと解った。
急に、頭がすっきりして楽しい気分になったのだ。
私はラスベガスが苦手なようだ。
少なくとも、自分がギャンブラーではないことがわかった。
しかし、それでも、またあのギャンブルをやってみたいという妙な衝動が、
自分の中にはっきり存在していて、
そんな自分が不思議でしょうがない。
これこそ麻薬の依存症候群なのかもしれない。
早く日本に帰りたいと思った。