2006年01月16日(月曜日)
1326.国民コントロール
北京から酒部君と池本さんは無事帰って来たのであろうか、
インストラクター日記に、池本さんが「社長に面白おかしく書かれる前に」と、
北京でのことを自分で書いていた。
ところがどっこい、私の方が早かった。
しかし、私と池本さんが別々に書いた話の中で、
事実関係が微妙に違った。
私の話は、酒部くんからの電話の話から想像をふくらまして書いたものだから、
当事者である池本さんが書いた話の方が正確であることは間違いない。
それにしても、
酒部君の電話での話しと池本さんの書いたことでは、
やはり微妙に違うのだ。
北京空港で別々になってしまった酒部君と池本さんが、
偶然再会した時、酒部くんは「二人で大喜びした。」と言っていたが、
池本さんの話では、
「一昔前なら、5.6発殴ってやるところであった。」と書いてあった。
同じ事象でも立場が違うと、
こんなにも違った事になるといういい見本である。
池本さんを置いていってしまった酒部君は、再会は「大喜び」であり、
酒部君に置いて行かれてしまった池本さんにとっては、
再会は喜びながらも「昔なら殴ってやるところであった。」だったのであろう。
池本さんが書いた話を読んだとき、それがおかしくって面白かった。
元々仲の良い二人のことである。
「ごめん、ごめん」で済んだのだろうが、
それにしても、面白かった。
かくも人の気持ちとは難しいもので、
人が人の気持ちをコントロールしようと思たって、
そんなことはそう簡単に出来る物ではないのだ。
同じ事を同じ場面であったとしても、立場が違うと、感じ方がまるっきり違う。
今日は東京で仕事。
上海からの客と東京で話し合いをしたからだ。明日、月曜日は札幌である。
翌日の火曜日はまた東京なので、
明日は羽田の空港内のホテルで泊まるつもりだ。
お正月の最初からちょっと飛ばしすぎである。
疲れがたまり、ストレスがたまってくると、タバコが美味くなってくる。
最近、新幹線に乗って思うこと、
それは喫・煙・車両がガラガラになってきたことだ。
“のぞみ”全16両のうち、喫煙車両はわずか4両しかないはず。
なのに、残りの12両の禁煙車両にはそれなりに乗客が乗っているのに、
たった4両の喫煙車両の方がはるかにガラガラなのだ。
「健康促進法」なる訳の分からぬ法律が施行されて以来、喫煙者が激減しているようだ。
かつて、私がタバコを吸い始めた頃、
タバコを吸ってはいけない所は世の中に皆無であった。
日本国中、いかなる路上もタバコは吸い放題であったし、
どの家庭でも、お父さんは、家の中でタバコを吸うのが当たり前であった。
お母さんでも、くわえタバコで炊事をすることは別におかしい風景ではなかった。
仕事場でも、
タバコを吸ってはいけないのは危険物を扱うガソリンスタンドぐらいであったし、
タクシーの運転手が運転しながらタパコを吸っているのも当たり前であった。
電車やバスの運転手がどうであったかは忘れてしまったが、
たしか、バスの運転席に灰皿があったような気がする。
日本国中どこの道路上でも、タバコは吸い放題。
食事をする店でタバコを禁止する店は皆無であったし、
喫茶店でタバコを吸わないのはヘンであった。
映画館でもタバコは自由で、
いつのことからか「映像状態を良くする為にタバコは出来るだけ遠慮願います。」と、
場内アナウンスが言い、いつの間にか禁煙になったのはついこの間のことである。
電車の中でタバコを吸ってはいけない事になったのは、
一体いつのころであろう。
若い人には信じられないかもしれないが、
ちょっと昔までは、新幹線はもちろんのこと、在来線でもタバコは自由であった。
通勤電車でもOK、
しかし、あまりにも混んでくると、
「車内が大変混雑してきましたので、
タバコは危険ですので御遠慮いただけます様お願いします。」
と、車内放送がかかったものだ。
それがどうだ。
今では、
新幹線のわずか4分の1しかない「喫煙車両」が「禁煙車両」よりも空いているのだ。
世の中変わってしまったものだ。
人の心はそう簡単にコントロールできるものではない。
なのに、あっというまに日本を禁煙天国にしてしまったあの「健康促進法」には、
一体どんな国民コントロールの術があったのか。
興味深い。
どちらにしても日曜日の新幹線は空いている。
しかし、禁煙の5号車と、喫煙の4号車ではこんなに乗客数が違うのだ。
※禁煙の5号車
※喫煙の4号車
※混雑している時は、禁煙車から満席になっていく。
来年からは喫煙車が無くなるという話を聞いた。
いよいよタバコ吸いにとっての暗黒時代が深刻になる。
タバコ吸いとして闘いきるべきか、
面倒だからいっそのこと禁煙してしまうか、
それが問題だ。