2005年12月12日(月曜日)
1302.信頼関係の感性
このコーナーの話も、とうとう1300話を越えた。
実際は番外編とか色々書いているので、プレコラは1500以上の話があり、
スーパー耐久参戦記に130話、ヘナチョコ参戦記(今はもうない)で100話ぐらい。
全部合わせると1700以上の話を書いている。
このサイトが出来てからちょうど5年余り、
5年×365日=1,825日となるから、
5年間、ほぼ毎日何かを書いた事になる。
(あるいは100日ちょっとはサボったということでもある。)
5年間ほぼ毎日というのは、なかなか簡単なことではない。
なぜ書き続けているかと言うと、
毎日、何百人かの方が読んでくださっているから。
ということなのだが、
書き続けた事によって、私はたくさんの事を得ている。
たくさんのことを書いたおかげで、たくさんの方から多くのレスをいただき、
色々な人との新しい縁が出来たことも大きい。
あるいは、初めてお会いした人でも、
相手の方が前もってこのコーナーをご覧になっていて、
自分のことを説明しなくても、よく理解していただいていて、
話が最初からスムーズであったことも多かった。
私自身においては、自分の考え方が随分変わったような気もする。
頭の中で考えていたことを文書にして書いて見ると、
それが論理的に随分おかしい事に気がつくことがよくあった。
これは重要なことで、
正しいと思っていたことが、文書にして客観的に読んでみると、
それが、いかにもおかしい事に気がつくことは、
自分の考え方が間違っている事に自分で気がつくことで、
これは出来そうで出来ないことである。
人から自分の考え方が間違っていることを指摘されるのは、
あまり気持ちのいいことではなく、
多くの場合、自己弁護のためにムキになって反論する事になる。
その反論が矛盾していても、言葉で喋っているうちはそれに気がつくことは少ない。
その反論は自己弁護のためにされているわけで、
論理的な正当性を論じているわけではないから。
しかし、それを文章にして、
冷静に読み返すと、客観的にその矛盾が見えて、
書いてあることが論理的に間違っている事に気がつくのだ。
頭の中で考えたり、喋ったりしているだけだと、
それを支えている要素の一つ一つについての正当性に惑わされて、
その考え、話し全体のストーリーに矛盾がある事に気がつかないのだ。
文章にすると、全体を見渡すように読み返すことが出来て、
一貫した論理になっていない事を、自分で気がつくことがあるということ。
自分で自分の間違いに気が付くことが出来るようになると、
相手の話を聞かずに、自己主張のみを繰り返すことが、
何の解決にもならない事に気がつくようになる。
「自分が間違っていることもある」ことを自分で知るようになると、
自己主張の前に、相手の言うことを聞く事に意味があるように思えてくる。
相手の言うことを“間違っている”という前提で聞くことが多い中、
相手の言っている事の方が正しいかもしれないという前提で聞くことが出来るようになると、
相手を理解することが出来る。
相手を理解できると、相手に通じる言葉で話すことが出来るようになる。
そうすると、相手もこちらを理解してくれるようになる。
理解し、理解される。
コミュニケーションの成立である。
正しいコミュニケーションがあれば、
理解し合い、合意に達しないことはほとんどない。
たくさんの人と理解し合い、合意し、協力することが出来るようになると、
物事を進める力が百倍になる。
自分一人の力なんて知れた物である。
小さな物だ。
しかし、たくさんの人の協力を得ることが出来るようになると、
その力が合わさって、自分一つの力の何十倍、何百倍の力に増幅されるのだ。
これは、身を持って経験したことだ。
私は、5年間、ほぼ毎日、書き続けた事によって、
自分の考え、感じ方が、文章にすると間違っている事もあることを知ることが出来た。
そのおかげで、多くの場合、正しいコミュニケーションが出来るようになって、
たくさんの人の協力を得ることが出来るようになった。
ありがたい事に、たくさんの方のおかげによって、
より大きな力を持つことが出来る。
書くことは、知らず知らずのうちに、自分の持っている力を大きくする事になる。
おかげで、より多くの事が出来るようになった。
書くことによって得られることとは、
自分が間違っていることがあることを、自ら知る事にあるのだ。
正しいコミュニケーションを持つことが出来る能力の解発。
書く事によって得られることとは、正にこういうことだと思う。
でも、実は、正しいコミュニケーションというものは、
鋭い感性と、信頼の関係で一瞬のうちに得られることもある。
むしろその方が多いのかもしれない。
信頼の関係を得るために、
KeePreプロショップというものを企画している。
その象徴として、