2004年10月05日(火曜日)
1032.思い通り行かない
「強く思えば、願いはかなう」とか、
「自分がそうなりたいと思う気持ちが強ければ強いほど、必ずそうなれる。」とか、
人の意志の力が実現の源であることを、
どんな啓発書にも書いてあるし、
私もそう思っている。
思いを強く持ち、
実現のための具体的な行動を“意志の力”で起こし、
そんな行動を積み重ね、
あらゆる障害にも立ち向かう強い意志を持ち、
実現に向かって行く強い意志が、必ず実現に結びつく。
この通りだと思う。
自分がこうなりたいと強く願えば必ず実現するものだと信じている。
信じているからやって来れたのだとも思っている。
しかし、これにはたくさんの但し書きが着いていることを確認したい。
かならずしも「思い通りには行かない」ということ。
「強く思えば、必ず実現する」
と
「思い通りには行かないものだ」
とは、一見矛盾していて、
反対の言葉のようだが、実はそうではない。
両方とも正しい言葉。
逆に、
「自分自身の理想をしっかりと持っている。」
ということと
「我がままである。」
とは、同じようであるが、
まったく反対の事であり、
「自分の理想を安易に妥協しない。」
ということと、
「かたくなである。」「自分の思い通りに行かないと気がすまない。」
これも、まったく反対の言葉である。
何がどう違うのだろうか。
自分の想い、実現しよう理想の姿が、大きなものであればあるほど、
自分一人の力では成し得ようがなく、
多くの人の力と支持が必要であることは当然のことだ。
実現しようとしているものが小さければ、自分一人の力でも実現するかもしれないが、
大きな物事を実現しようとするならば、
必ず多くの人の力と支持が必要となってくる。
だから、大きなことを実現しようとするならば、
多くの人の力を借り、支持を得なければならず、
そのためには、
その実現しようとする事が
多くの人と共有できるようなものなければならないし、
多くの人が一緒に理想と考えられるような事でなければならない。
「わがまま」とは、自分だけのことを考え、
自分だけの満足のためならば、
人に不利益を与えようと、不快を与えようと、
一向に構わない。
そんな悪い性格を表している言葉だ。
だから、“わがまま”が強ければ強いほど
周りの人は迷惑をし、不利益をこうむるので、
その人の望みが実現されることは、誰にも支持されないし、協力も得られない。
その上、周りの人はそういう人とは関わりならないでおこうと思うので、
その人は孤立し、萎えていく。
自分の想いが、“自分のために”だけであり、
“周りの人のため”とは反する場合は、その思いが強ければ強ほど、
実現しないもののようだ。
「自分の思い通りには行かないもの」
逆に、その自分の想いが、
“理想”と呼べるほど、多くの人が支持できるものであれば
その強い想いに、多くの人が共鳴と共感を得、
その行動に、支持と協力を得ることが出来る。
その理想が、多くの人と共有できる目的を達成するものであれば、
多くの力を集め、大きな力となって、大きな目的を実現することが出来る。
「強い想いを持てば、それば間違いなく実現する。」というが、
その想いが、多くの人の支持を得られるような、
つまり、多くの人を幸せにするような方向を持った想いであれば、
その想いの強さと、その行動に、
多くの人の力が共感して、大きな力となり、
一人ではとても実現できないような大きなことが、実現できるのだろう。
そういう意味で、
「強く思えば、願いはかなう」ということ。
自分のためだけの利益にしか興味のない人には関係のない話である。
自分のために、人を思い通りにしようと思っても、
人は思い通りには絶対にならないものだ。