2003年06月22日(日曜日)
735話 なぜ悲しいのか
福岡から帰りの飛行機の中
離陸して、しばらく
なぜか涙が出てきた
雨が降って薄暗かった地上から飛び立って
雲を抜けるとき
だんだんと晴れ上がった日が差し
まぶしかったのかもしれない
子供に飴玉をあげて
大喜びして舐めていたものを途中で取り上げたら
きっと泣き叫ぶだろう
途中で取り上げるぐらいなら
最初からくれるなと、恨むかもしれない
人生そのものが、そういうことなのかもしれない
誰も、その寿命が来たとしても
この人生を与えてくれてありがたかったと、天に感謝できる人は滅多にいない
誰もが、まだ生きたい
まだあれもしたかった、これもやりたかったと
この世に未練を残して死んでいく
自分の人生をこの世に与えてくれた両親に感謝しながら
死んでいける人は、なかなかいない
むしろ、自分が死んでいくその不本意な原因
病気であったり、戦争であったり、事故であったり
その原因を恨み
失意のうちに死んでいく
どうしても、人は死んでいかねばならないのだから
最期は、まるで飴玉を取り上げられた子供のようになってしまうのか
人生といわず
何かを、望んで、突き進んでいっても
いつかは引き返さなければならないときもある
その引き返すところが
自分が望んだところまで行き着いていない地点であったとしても
引き返さざるを得ない場合があるものだ
いや、ほとんどの場合がそうだと言ってもいい
その時に私は、どうするだろう
引き返さざるを得なくなった直接のきっかけを恨むだろうか
多分、その直接のきっかけとは
その方向を与えてくれた要因と同じ要因が突きつけて来る
そんなものなのだろう
きっと、そういうものだと思う
私に、もしそういうことがあったら
どうするであろうか
恨むであろうか、感謝することが出来るであろうか
その時こそ、感謝しなくてはと
私は、感謝できるような自分でありたいと思う
みんなそうであって欲しいと思った
きっと、そのほうが幸せになれると思うから
奪っていけない
取り合ってはいけない
取ったと思うから
奪ったと思うから
それが無くなった時に、取られたと思ってしまう
与えられたものならば、感謝できる
それが何であろうと
形あるものすべからく壊れるものであるように
奪えば、結局、また奪われる
取れば、結局、また取られる
残るものは、悔しさとか、恨みとか
決して幸せのもととは縁のないものだけ
次のチャンスがあったとしても、悔しさ、恨みが邪魔になって
そのチャンスに気がつかなくなってしまうことすらある
与えられたものならば
それが無くなっても、感謝が残るだけ
人が感謝できることは、幸せなこと
人は感謝されれば、また与えようとするもの
次のチャンスがあったときも、よく見えるし、きっと活きて来るもの
与え合える自分があってはじめて、与えられることが理解できる
何かが終わるときに、感謝が出来る
そんな気がする
今日久しぶりに、MINEで?25キーパーレビンに乗ってきた
午前中に2本(1本25分)、昼から1本の練習
あいにく、朝から小雨がある天気で、MINEはずうっと濡れていた
練習は3本とも、レインタイヤでの走行で
十勝24時間を想定して7000回転までに押さえて走った
それでも、コンスタントな走りが出来
タイムもまあまあの合格点
長いブランクの鬱憤を一気に晴らすことが出来、大満足であった
きっもちい~~~~~っ
十勝24時間にこのキーパーレビンで出場する
そのために本格的な整備と模様替えするので、この姿はたぶん最後になる
福岡から飛び立ち
雲を抜けたときの空がすばらしかった
そろそろ夏の様子になってきた雲のすばらしさに
思わぬことを考えさせられ
不意に涙が出てしまった