2003年04月17日(木曜日)
690話 茶碗に新しい水
何か入れ物、たとえば茶碗に水を入れようと思ったら
その茶碗に、水が入る余裕が要る
もし、その茶碗が満杯であったら、新しい水を入れようと思っても
こぼれてしまうだけで
何も入れることができない
人の能力でも同じようなことが言えるのではないだろうか
より高い能力を身に付けようと思ったら
より多くの事を学ばなくてはならない
そして、学ぶということは
自分自身がまだ足らず
まだ多くの学ぶべき事が残っていると
つまり、「自分という茶碗はまだ満杯になっていない、もっと新しい水を入れたい」
そう本人が自覚しなければ
新しい事を学ぶことはできない
なぜならば
「自分はもう知ってしまった」「学ぶべきことはない」と思った瞬間
自分の可能性という茶碗はもう満杯になったと
そう自覚したことなのだから
新しい水は入らず
「もういい、もう十分」と思ったその時点で、その人は成長が止まる
だから、こちらがその人間を成長させたい
もっと能力を高めたい
そして、もっと大きな成果を取らせたい
そう考えた時は
「君はまだまだ不十分であり、もっと向上しなければならない
まだ、ぜんぜん足りない
君は、もっと大きな可能性を持っている」
つまり、その人の現状が十分ではないと
ある意味、現状を否定することになる
成長の可能性の存在を肯定することは、現状を否定する事を伴うものだ
君の茶碗には、もっともっと新しい水を入れるべきだ
そして君の茶碗は自分が考えているより
もっと大きい茶碗にもできる
今のままでは、ぜんぜんだめだ
しかし、そんな時
「君はすばらしい、今のままで十分だよ」
君の茶碗には水が十分入っていると
誰かから、現状の肯定の声が囁かれた時
茶碗に水が十分には入っていない
あるいは茶碗自体がまだ小さいと、現状を否定されていることが
不当な評価を受けているという思われてしまうことがある
だから
良い評価をしてくれる人が
正しいのであって
現状を否定する、つまり、悪い評価をする人が間違っているのだ
と思ってしまうことがある
しかし、実は
現状を今のレベルで肯定してしまうことが
逆を言うと、その人の今以上の可能性を否定することにもなる事
実は、その人の成長を望まず
現状のレベルの力のみを利用したい
そういう考え方もあることは、なかなか理解できない
自分の今を否定する人より、肯定する人の方が味方であり
そう考えた方が
自然であり、楽しいから
本当は
その人の事を真剣に考えるのならば
あるいは
自分の仲間たちと共に高いところまで行きたいと
そう考えるのならば
その人の持っている可能性を
最大限まで引き出して欲しいと思うし
そのように行動する
私は思う
目先のことにとらわれず
もっと高いところを目指したい
もっともっともっと高いところにみんなで行きたい
自分自身
まだぜんぜんダメだと思うし
逆に、まだまだ高いところに行けるとも信じている
みんなが
新しい水をどんどん入れ続け
まだ足りないと
もっともっと自分の茶碗を大きくし
力を合わせれば
信じがたいほどの高みにも登れると信じている
私自身を含め
自分の茶碗がいっぱいになっていて
もう、その茶碗を大きくすることもできない
そんな老化してしまったような人間は一人もいない
だから
どこまでも、高いところへ登り続けることができる
そう思う
※
SONAXの吉村さんが
先日の休暇でハワイに行ってきたそうで
そこでヘリの操縦を経験してきたと、メールが送られてきた
「こんなに面白いものとは思わなかった
まるでピーターパンですよ
自分がピーターパンになった気分ですよ。分かります?
・・・・・
真剣にヘリのライセンス取ろうかなぁ」
なんて後の電話で言っていた
吉村さんは
私よりいくつか年配の方
それでも、いつでも新鮮な感動を持って
新しい挑戦に、胸をワクワクさせることができる人なのです。
見習わなくっちゃ
いやいや、ご心配なく
間違っても、「俺もヘリやってみようかなぁ」なんて思っていませんから