2003年01月22日(水曜日)
624話 上海Mr.Caolei
上海に来たのはこれで3回目
1回目は、もう12年ほど前であろうか
まだ、スタンドだけをやっていた頃、石油元売関係の招待旅行であった
めずらしく親孝行のつもりで、親父も一緒に来た
その頃の中国はまだ解放前で
上海のイメージはものすごく暗い町であったということ
夜になり暗くなると
ほとんど窓に電気のついていないアパートの群れが延々と続き
暗闇の中に浮かんでいる様と
そして、その中に一千万人以上の人間が潜んでいるかと想像すると
その不気味さが
恐ろしいまでの印象で強く残っている
車もヘッドライトを点けていない
ライトを点けると他の車がまぶしいので
点けてはいけないと言う法律なのだ、と聞いた
暗い街に、ライトを点けていないオンボロ車の大群が
クラクションを鳴らしっぱなしで
けたたましく、かつ、ひしめいている
上海は
私には、想像を絶するほど、暗く、かわいそうに見える街であった
心の優しい親父は
何を見ても「かわいそうだなぁ」と、言っていた
2回目に来たのが、去年の8月
その様子は一変していた
それは、激変を通り越したような、すさまじいまでの変貌振りであった
?小平の
「豊かになれる人から豊かになりなさい」
実務的な開放政策以後
人々は
自分の人生について大きな“夢”を持つことを許された
事実上、無限の“可能性”を持った
あるいは、あらゆる“チャンス”を生かしても良い“自由”を得た
つまり、?小平は、あるいはそのブレーンは
政府という一部の人間による官僚機構が
権力を行使することによって
人々を幸せに出来るということが、幻想であることを
一連の東側諸国の崩壊から学ぶ
人々の一人一人が持つ「幸せになりたい」という“欲求の力”が
それぞれに発揮された方が
はるかに強い大きな力であることを
知っていたのかどうか、それはまったく知らないが
現実には
そうであった
もう一つは、やはりインターネットであろう
インターネットは、一度解放したら
その自由度に、まったく制限を加えることが出来ない
権力機構による情報の制限が
まったく出来ないのだ
一度インターネットを接続したら
あらゆる国の
あらゆる人と
あらゆる情報が、なんらチェックされることなく
無制限に
しかも、双方向に
だれでも
一切の制約を受けることなく
コミュニケーションを持つことが出来
情報が交換される
ALL or NOTHING
この中国でもインターネットは盛んで
インターネット人口は日本より多いと聞いた
人口そのものが、中国は日本の十数倍なので
普及“率”で言えば、まだそれほどでもないかもしれないが
想像以上であることは確かだ
3回目の今回
今回の目的の一つに
Mr.Caoleiに会うことがあった
やはりタオルの輸入についての話だが
前回上海に来た時、はじめてホテルで会った
その時は、お互い何者であるかも分らず、疑心暗鬼のままであったので
コミュニケーションはほとんど表面的なものであった
しかし
日本に帰ってきてから
Mr.Caoleiからメールが入った
英語でである
(彼に渡した私の名刺にメールアドレスが入っていたので)
物珍しさもあって、弱小なる我が英語力を振り絞って返信を送った
そしたら、すかさず返信が来た
それから何ヶ月か
十何通か、メールのやり取りがあった
悪戦苦闘の日々
役立たずの翻訳ソフトと、辞書に首っ引きで英語の文章を作り
Dear Mr.Caoleiで始まるメールを送ると
翌日には
イヤ、早いときには数時間後にCaoleiから返信が来ていた
ノイローゼになりそうであった
送られてきた英文を、苦労して読み
四転八倒で返信を送る
こんな事が繰り返されている間に、さすがにこれはタマランと
娘にSOSを出した
娘は嫁に行く前まで、
機械の取扱説明書を英訳する、そんな仕事にしていたので
「たのむから助けてくれよ」拝み倒し(メールで)
英訳いくら、和訳いくらの契約をして
助けてもらうことにした
彼女の力を借りるようになって
話はとんとん拍子
いつも、「何故、返事が遅いのですか?」と
Caoleiから不思議がられていたのが、一気に早くなったわけだ
何通ものメールのやり取りで
いつの間にか、複雑怪奇に入り込んでいた代理人?らしい人達は
吹っ飛んでしまった
というより忘れてしまった
今日、5ヶ月ぶりにホテルのロビーで
Caoleiに再会した時は
久しぶりに
親しい友人に会ったような気がして
すごく嬉しい気持ちになっていた自分に驚いた
インターネットはすごい、改めてそう再認識したのでした
Caoleiは、素晴らしく立派な会社に勤めており、バリバリのビジネスマンであった
連れて行ってもらったタオル工場の見本ルーム
ミーティング。
工場の現場の人が、やる気がなさそうな雰囲気であったのが気になったが
ただのハニカミ屋だったのかもしれない
中国の人は、そんな人が多い
私を長い間悩ました英文のメル友、Mr.Caolei
やっぱり、一緒に昼ごはんを食べた
中国スタイルの外交である
工場の人と、Mr.Caolei
ここまでが、今日の昼までの話
午後からがまた、面白かったのだ
続きはまた、明日飛行機の中で書くことにする
(といっても、これを書いている間に12時を回ってしまったので、
文中の“今日”は、21日のことです。)