2002年07月20日(土曜日)
473話 見た目より中身
今、近くの吉野家で牛丼を食べてきた
そこで見たギョっとするもの
カウンターに立って
注文を聞いたり、牛丼を運んだりしている女の子は
中学生か高校生のアルバイトなのだろう
顔つきが幼い
でも、しっかりお化粧をしていた
これぐらいの子なら、絶対素肌の方がきれいだと思うのだが
しっかり塗って、顔全体化粧品の色
目には、マスカラと言うのか
目のふち上半分が真っ黒になっている
もちろん眉毛も、型紙どおりのスラ~~っとした細眉毛
悲しくなってくる
どうして、自分を隠すのか
もともとの自分が嫌いなのだろうか
この年代になってくると、自我に目覚め
周りに比較して自分を意識するようになるのだろう
ある意味では社会性を持って来た一つの現象とも言える
私にも覚えがある
中学校の頃
鏡の前に座って、頭の毛を右に持っていったり、左に持っていったり
30分ぐらい、櫛を使ってあれこれへアースタイルをいじり回していた頃がある
それを、お袋がすごく嫌がった
「男は、頭のカッコいじりまわすより、頭の中身の方が問題でしょうが」
と、決まり文句で叱られた
自分が人からどう見られるか
人から見ると、自分はどんな風に見えるのか
すごく気になりだす頃だ
そして、自分が変な格好をしているのでないか
変な風に見られ、馬鹿にされているのではないか、と
不安になる
不安になるから、みんなと同じようなカッコをして
みんなに属していようとする
社会性を持つと言うことは
群れの中に属していたいという欲求を持つことにも繋がる
人は、サルであった時から
群れで生きる動物であった
人に近い動物である類人猿は5種
ゴリラ、チンパンジー、シロテナガザル、オランウータン、ボノボ
この中でチンパンジーが、一番人に近い
遺伝子DNAに書き込まれている遺伝情報は
人とチンパンジーでは、その99.数%までが一緒であるそうだ
京都大学霊長類研究所の「アイとアユム」親子の研究で
チンパンジーの持っている能力と行動パターンが
人にかなり近いものであることが分かっている
テレビでよく放映されているので、かなり有名な話だ
群れで生きる動物にとって
群れから外れることは、生死に関わる問題で
いじめの中でも
「仲間はずれ」
「無視、シカト」は、一番残酷ないじめである所以だ
中学校ではそれほどでもないが
高校になると
特に女子高生などでは、みんなほとんど同じ格好をしている
制服を着ているのだから同じ格好なのは当然だが
それでも、スカートの長さは
みんな揃って「超ミニ」
細い子から、太い子まで、あるいは背の高い子から、低い子まで
みんな揃って「超ミニ」
そして「白いルーズソックスか、紺色の靴下」
かなりの子が化粧をしている
同じような化粧方法で
何かのアンケートで読んだことがある
Q「なぜそういう格好をしているの?」
A「みんながしているから」
みんなと同じような格好をしていないと、仲間はずれになるから
高校生というひとくくりの中では、学校のみんなに属している
だから、みんなと同じ格好をする
その中で、落ちこぼれと呼ばれる一群は
それはそれで、似たような格好をして群れを構成している
暴走族は、一目でそれと分かるようなお揃いの服装をして、群れを作る
その群れに属するものは、そのアイデンティティーを自ら表現する
人は何かに属することに、安心感を持つ
自分自身の持っている“良さ”よりも
ある群れを構成するみんなと、一緒であることに安心する
それが大人になっても似たようなもので
群れに属することは、安心の素
そのために、「らしく見える」事に気を使い、金も使う
ホワイトカラーは、自分がホワイトカラーらしい格好をする
自分がエリートであると自覚している人は、それらしい格好をする
自分が世の中のはみ出しものと思っている人は
わざわざ居直ったように、それらしい格好をする
ゴルフに行く時
ゴルフはスポーツなのだから、動きやすい格好がいいのならば
トレーナーを着て、ゴルフ場に行く人がいても良さそうなものだが
みんなゴルフウェアという、ある決まったスタイルをしている
ゴルフをやる人種の群れがあり
それに属するために、ゴルフウェアが一つのアイデンティティーなのであろう
英語が分かることを示すために
わざわざ、用も無いのに英字新聞を持って歩いたりして
自分が「英語が分かる属」であることを、示したりする
数え上げればキリがない
属することに安堵感を感じるのは
私ももちろん含めて、人類の根源的な資質かもしれない
一人ぼっちは、きっと暗黒の地獄であろう
逆に、「らしく見える」ことを
満たされない事への代償行為としている場合もある
多くの人ではないが
たとえば
「裕福に見られたい」行為
生活が苦しくても
「裕福らしく見られたい」ために、高価なものを身に付ける
しっかりと自分に力を付けるよりも
その努力をするよりも
「らしく見える」ことに行動が向いてしまう
最悪の場合
サラ金でキチガイじみた高金利で金を借り
それが破滅の道への加速になったとしても
その金で「高価なもの」を身に付け、「裕福に見られたい」を実行してしまう
「高価なもの」とは
「それが高い値段である」ことを“みんなが知っている”「物」
多くの「ブランド物」は
それが高い値段のものであることを、みんなが知っていることに価値がある
ブランド物を持っている人が、すべてそれを意識しているかどうか
それを目的としているかどうか
必ずしもそうではないだろう
良いもの、良質なものとして、長く愛用している人の方が多いのであろう
しかし、中には
ゆがんだ意識でこういうものを持つ人もいる
「カッコつけるより、力をつけよう」
どう見られるかよりも
自分がどうであるかの方が、ずっと大切だ
力も無いのに、カッコの方を気にしていると
力をつけるヒマがなくなってしまう
「そとみより、なかみ」
「見た目より、中身」
これが会社の社長に見えますか?
(この写真は、2回目の登場です)
私は、彼の見事なまでのルーズな格好を、ある意味で、尊敬すらしている
真似をしようと思っても
なかなか、ここまでは出来ない
お見事!
彼は、外見を気にしない天才なのです