2018年10月29日(月曜日)
10.29.七代目の社長と六代目社長の引退
新潟県新潟市に本社を持ち、
信越から東北一円の広域をビシネスの範囲とする会社で、
主にガソリンスタンドにあらゆる用品・部品を届けて回る
新興商事株式会社という用品屋さんがあります。
創業50年とありました。
初めて新興商事㈱にお邪魔したのは二十年以上も昔になるでしょうか、
KeePerを売り込みに私自身が飛び回っていた頃の事です。
まだ無名であった頃のKeePerは、
全国各地のガソリンスタンドや、
そのガソリンスタンドをお客様にしている用品屋さんに伺って、
KeePerの作業をお見せして、この施工作業の意味と、
施工されたKeePerのコーティング効果をデモンストレーションしていました。
新興商事㈱さんは東北から信越にかけて最大の用品屋さんであり、
私自身が随分気合を入れてデモと説明をさせていただいた記憶があります。
その時に、社長にご挨拶をさせていただきました。
あの頃は、毎日違う所で複数の売り込みデモをやっていたので、
その時のことを明確に憶えている訳ではなく、
ビジネスのお話は主に川島本部長が活発にされて、
社長は柔和で物静かなイメージであったことだけを憶えています。
その社長のお名前は若月社長。一度だけお会いしたことがあります。
一度目の商品紹介のデモは私も含めて行いましたが、
それからあとは担当者がビジネスの活動を進めて行って、
私がまた何かのお願いかご挨拶で伺った時には、川島社長になっていました。
若月社長とは苗字が違う川島社長だったので、
社長は世襲をされずに、生え抜きの役員に事業を承継されたのだと思いました。
その川島社長とは、何度かお会いして色々と教えていただきました。
やがて、
私達の事業がKeePerの販売普及と同時に、
専門店「キーパーラボ」の運営にも力を入れ始めた頃、
電話が入って
「新しく新興商事㈱の社長になりました池田ですが、折り入って相談が・・」
ということで
お互いが出張先の東京渋谷のどこかのホテルの喫茶店でお会いしました。
「これからの時代このままではイカンと思い、
わが社もキーパーラボをやろうと思うが、どうすればいいか。」
と、相談をお受けしたことを今でも憶えていまいす。
その昔、快洗隊は直営店以上の数のフランチャイズ店があったのですが、
運営方法などでなかなか一致できずに、
フランチャイズ店をあきらめていた頃であって、
あの頃以前のフランチャイズ店はほとんど残っていません。
そこで運営方法などを縛らずに、
ガソリンスタンドの運営方法に乗った形で運営しつつ、
KeePerの技術を守り商品品質の維持だけは絶対に約束してもらう
副業としてのキーパープロショップが始まっていたので、
それをお勧めしたのですが、
新興商事㈱はガソリンスタンドを経営していた訳ではないので、
「ぜひ専門店で・・」ということで、
まず専門店としての人づくりから始めることで意見が一致し、
新潟の若者を一人、愛知の快洗隊で、年単位でお預かりすることにしました。
渋谷のホテルの喫茶ルームでのことです。
その時の社長は、池田社長でした。
洗車屋・快洗隊を造る物件を二年間探し続け、
今の新潟県庁前店を、ボウリングのラウンド1の一階に造りました。
店内が50坪くらいしかない狭い店でしたが、
愛知のキーパーラボで二年間鍛えた新保店長は、一人前の実績を上げて
新興商事㈱に「もう一軒やろう。」と奮い立たせて、
かなり大型の「新潟東店」を建てて、
順調に成長しつつあります。
その頃には、池田社長はキーパーラボ事業部担当取締役に引き、
高橋社長が社長に昇格していました。
私が知っているだけでも、
若月社長、川島社長、池田社長、高橋社長と、
四人の社長がいました。
こんなに目まぐるしく社長が変わるなんて、
さぞや権力闘争が活発な会社かというと、まったくそんなことは無く、
何年か前に、新潟の本社にお邪魔した時、
その頃は川島さんが会長に退き、池田社長の時代で、
「今度は高橋さんが社長になる」と、
池田社長に紹介され、みんなで一緒に酒を飲んだことがあります。
みなさん和気あいあいで、
仲間意識が強く、感動したことがあります。
この会社は、
資本金4000万円のすべてを、
これらの役員と約40名の社員が持っていて、
話し合いで、役割として「社長」を納得ずくで順番どおりに務めて、
先ほどよく聞いたら、
今の高橋社長で7代目なのだそうだ。
すると、
若月社長が4代目で、5代目が川島社長、6代目が池田社長。
そして今が7代目の高橋社長ということになる。
初代の創業社長は清水さんとおっしゃる方で、
今で創業50年だから、50年で7代の社長が交代で務めてきたことになる。
初代が一番長く務めただろうから、
創業者以降は、お一人5年ぐらいだろうか、あるいは7年くらいだろうか、
いずれにしても、権力闘争なんてものは全く無く、
納得ずくで、それぞれが立派に役割を果たして、
利益を上げている会社が少なく、廃業する会社が多い用品屋さんの業界で、
業績を落とさず、きちんと利益を出し続けている稀有な優良会社なのです。
私は、この事についてお話を聞いたわけではないので、
すべて、私の勝手な想像なのだが、
創業の清水社長が、
ご自分の持ち株の全てを、
幾ばくかの”有償”で役員と社員全員に分け与え、
この会社をみんなで経営して行くように。
社長を役員或いは幹部だった人が交代でやるように言い伝え、
仕組んで事業継承したのではないか。
すごい。
こんなすごい名案はそうあるものではない。
創業者の清水初代社長がご存命ならば、ぜひお教えを乞いたいものだ。
先日、6代目社長であった池田さんが、65歳の役員定年になられて、
あと1年の「非常勤役員(LABO担当)」を果たした上で、
引退されるということでご挨拶に来られた。
一緒に来られたのは、7代目の高橋社長と、
東北の責任者を兼ねる営業部長さん。
判らないが、いずれは何代目かの社長になるのだろうか。
素晴らしい経営者のお三方を前に酒を飲んだ私は、
珍しく上機嫌で酔っぱらってしまったのです。
私のお手本です。