2001年03月25日(日曜日)
第64話 金が掛った靴
自分を、実際の自分以上に“見られたい”という欲求がある
・車に乗るなら、高そうに見えるのに乗って
いかにもそれらしく見られたい
・美人に見られたい
・教養があるように見られたい
・スマートに見られたい
・金持ちに見られたい
・紳士に見られたい。エリートに見られたい
上流に見られたい
・いいとこのお坊ちゃん、お嬢さんに見られたい
・エリートの奥さんに見られたい
たとえば、ゴルフ場に行くなら
・初心者に見られたくない
いかにもゴルフ慣れしているように見られたい
(残念ながら私はゴルフをした事がないが)
自分の実体がどうであるかより
どう見られるかの方が気になる
そんな傾向は多かれ少なかれ、みんな持っている
私だってもちろんある
少なくとも、自分の“実体以下”には絶対に見られたくないとは
みんな結構思っている
いいじゃん!
って思う
自分が“そうなりたいと思っている姿”
“そうありたいと思っている姿”
そういう姿を普段からするようにしているということは
“夢”を実現したいと思っている気持ち
ある意味では、向上心の表現であるかもしれない
そうなりたいと思う意志の表現だとも思う
でも、それが“見られる”というところで完結してしまうと
情けない事になってしまう
最悪のパターンが
“豊か”に見られるための道具を買うための金を
楽に手に入れたいがために
バカ高い金利の金に手を出したりしてしまうこと
“豊か”に見られたいがために“貧しくなっていく”
自分を信頼してくれている人を裏切ったり
“夢”からドンドン離れていく。悪魔を太らせ、自分は痩せる
“そうなりたいという気持ち”を持ち続ければ
きっと実現するのに
“そう見られたいという気持ち”で満足し
完結してしまうと
かえって実現とは反対側に行ってしまう。
フランス料理店で働いていたことのある人間が言っていた
「その人が金を持っている人かどうか、服装では判断しない。ポイントは靴です。
靴を見て、判断していました。」
私が履いている「皮靴」
1足・6800円のどちらかといえば安い靴
きっとプロの目から見ると、私の“豊かさ”は、ほぼ最低なのであろう
私の足は、事情があって特殊な形になっており、革靴はこれしか履けない
しかも、ほんの短い期間しか履けない
左足の靴のかかとが少し減ると、たちまち歩けなくなってしまう
だからひと月に1足以上も使うことになり
いつも5足ぐらいまとめ買いをしている
この靴に出会うまで
革靴は履いたことはほとんどなかった。履けなかった
だからそれまでは背広も着たことも、ほとんどなかった
(ズック靴に背広はやっぱり合わない)
この靴に出会って
かれこれ7年
ひと月に1足と考えても、もう80足以上はこの靴を買ったことになる
結果的に
“この靴には、ものすごく金が掛っている”
でも、ある日偶然に出会ったこの靴、安い靴
この靴のおかげで
背広を着なければならない“仕事”が出来るようになった
オーバーに言えば、私の今は、この靴のおかげでもある
人は外見を見ただけでは、なかなか判断できる物ではないということ