2021年08月01日(日曜日)
8.01.これを大きな意味で、適材適所ということがある。
仕事は、大きな仕事になるにつれて
たくさんの要素を、箇条書き的に並べるだけでなく、
要素を複雑に組み合わせて行く必要があるので、
図が用いられたり、表を使って論理的に表現されることが多い。
ここで問題がある。
学業歴や、多くは仕事の経験歴によって、
ものごとを箇条書き的に理解したり、記憶をすることは出来ても、
ものごとを三次元的に組み合わした論理的には理解し、記憶できない人がいて、
それでも、箇条書き的な一次元的な理解だけで、
断片的に参加することで、その場その場をしのいで、
結局、何とかなってしまうことが多いのです。
そういう一次元的、二次元的な思考しか出来なくても、
勉学はどちらかというと
一次元的、せいぜい二次元的に記憶していくだけの場合が多いので
大学ぐらい意外と普通に卒業できてしまうものです。
本人は記憶力が悪い訳でもなく、理解力がない訳でもない、
ただ単に、多次元的に物事を理解することができないだけ。
でも、
理解しないまま、
何度も、その場しのぎに切り抜けて、何とかなる。
という経験を繰り返している内に、
その本人は、
そんな自分には理解すらできないような複雑な仕事でも、
「何とかなる。」→「自分はその仕事が出来る。」になるのだろう。
本当に本人がそう思い込むので、
誰もが、本人はその仕事を理解も出来ていないことに気が付かない。
本人が仕事を始めて年月が経ち、年齢を重ねるうちに、
会社そのものも大きくなって、やる仕事も大きく複雑になってくると、
何かトラブルが起きた時など
どこかで、誰かが、そこに気が付いて、
大事になる前に、
複雑なことは理解出来なくてもいい職場に就けて、力を発揮できると、
何事もなく、誰も不幸にならず、時が経つことになる。
これを大きな意味で、適材適所ということがある。