2021年09月21日(火曜日)
9.21.家族が揃う日
娘は遠く北陸の富山大学に行って、
卒業し一旦は愛知に帰ってきたが、
大学で縁があった人のもとに嫁いでいって富山に住んでいる。
息子は若い時に東京に住んで、そのまま東京から離れたくないという。
大抵どこの家も同じようなもののようだが、
親が高齢になる前に、子供たちは親の元を離れ
それぞれの生活を持って生きて行く。
親子三代が一緒に住む家は珍しくなってしまいました。
みんなが豊かになったから、
一緒に暮らして助け合わなくても
一人一人が自由に暮らせるようになったので、
お互いに気を使って、我慢することもある共同生活を解消して
みんなが、便利で面白い都会に出て独り立ちするようになったのでしょうか。
私の家も子供たちがいなくなってもう20年余り経って、
みんなが集まる機会もそんなに多くはなく、
お互いの自分の仕事や生活に気を取られて月日が経ち、
年取って、気が付くと、
自分たちの親の代の人はほぼ亡くなりいなくなっていた。
そして自分たちの代の横のコミュニケーションもほとんど途絶えて
慶弔の時だけの接触になっている。
それでも、お互いに友達以上の血の繋がりを思い出させるものを持っているが、
私たちの次(子)の代では、もう、それも続くとは思えない。
三世代とか四世代が一緒に住む家庭は、すごく少なくなった。
二世代家族でも、
子供は、生活力あるいは必然性があれば、早々に家を出てゆく。
世の中に老夫婦だけの家がいかに多い事か。
しかし、人が薄情になった訳ではなく、
世の中全体が豊かになって、人が別々に暮らしても、
不自由なく生活して行けるようになったからだけなのでしょう。
それに昔は、5人兄弟とか6人兄弟が普通にいて、
血縁関係の横のネットワークが大きくて、結婚式や葬式も数多く、
集まる親戚の数も多かった。
だから普段はバラバラでも、親戚が集まる機会も多かったが、
今は少子化で、
兄弟の数が極端に少なくなり慶弔で集まる機会も少なくなった。
そして個人価値観として親戚づきあいを疎ましく思う人も多くなって、
いよいよ血縁関係を縁としたコミュニケーションが無くなりつつある。
今回は私の母の弔事を機会として、
久し振りに親子四人が一つの空間に集まった。
その時の空気と四人の心が
奇跡のように透き通ったような気がした。不思議だった。