2018年07月14日(土曜日)
7.14.損得の結論が先にある論理は矛盾だらけ
暑い、とても暑い日が続き、
暑い環境の中で働いている人たちの事を思うと
空調の効いている所にいること自体に罪悪感を持つような日々です。
私自身の長い現場生活を通じて暑い日もたくさんあった筈ですが、
あまり記憶に残っていないのは、
私の若い頃からの現役時代は、私は暑さに強かったのでしょうか。
今でこそ暑さがすごく苦手ですが、
それは私が歳を取ってきて体力が無くなってきたからであって、
若い頃の私は暑さそのものは嫌いではなかったのかもしれません。
私の場合、どうしても悪い足の事が付きまとうのですが、
その観点からすれば、寒い時期は足の関節が冷えて痛たかった記憶ばかりです。
暑い日の仕事は確かにつらかったはずですが
暑い日に、汗をいっぱいかいて仕事をした後の、
よく冷えたビールの一杯のうまさの記憶の方が強烈なのは、
私がノンベエであったことと、
そのころのビールの旨さが100%毎日であったことと
今は歳取って冷えたビールを味わう前に暑さで倒れてしまうから、
昔は毎日味わった強烈な旨さを味わえなくなっているので、
事実よりも誇張して記憶され、
暑さの中での仕事のつらさを記憶から消してしまっているのかもしれません。
それにしても今日の暑さは圧倒的で、
つくづくみんなの苦労が察せられます。
人の記憶はいい加減な所があって、
自分にとって良くも悪くも刺激が強かったことが、
事実よりも強調されたり、歪められたりして記憶に残ります。
もう一つのパターンとして、
その人の都合の良いように自らの記憶を歪めてしまうことがあります。
特にその都合に”損得”が絡んでくると、
自分にとって”得”になるように事実が歪められて記憶されたり、
自分にとって”損”なことは記憶から消されていたり、
自分に”得”になるようなストーリーが自分の中で造り上げられたり、
しかし、自分に”得”であるから自分で造り上げたストーリーは、
自分にとって”得”な結論の為のストーリーであって、
“得”な結論と言う結果が先にあって、
その結果を生み出す要素であったり、理由は後から造られたことなので、
その結論を導き出すための要素や理由でしかなく、
その要素や理由そのもの同士が、明らかに矛盾している場合があります。
しかし、そのストーリーを造りだした者にとっては
どの理由も要素も、その者の”得”になる結論の為に造り上げたものなので、
その理由はその結論に何ら矛盾しないし、
その要素もその結論に対して矛盾しない、
しかしその理由とその要素同士が、明らかに矛盾していても
気が付かない場合が多いものです。
結果というものは、
要因と理由から造りだされるものであるから、
事実であるその要因と理由が矛盾するようなことはあり得ないのだけれど、
先に結果ありきで、
その結果を創り出すために造りだされた要素と理由は、
事実ではないので、往々にして矛盾する。
しかも、それを造りだした本人は、
その矛盾を論理的に指摘されても、
それが矛盾していることに気付かないことがあって、
滑稽であることがある。
それにしても暑い。心配だ。