2023年05月22日(月曜日)
05.22. オーロラは絶対見えないだろう。
最近は、飛んでいる飛行機の中からでも投稿できる。
恐ろしいほど便利な時代になったものだ。
午前9時40分に羽田空港を飛び立ったルフトハンザ機は、
まっすぐ北極に向かって飛ぶかと思ったら、
真西に向かって飛んだ。
だから最初は若狭湾の上を通り、鳥取、島根の北方を飛んで、
韓国の釜山、中国の大連の近くを通って、中国内部に入って行く。
中央アジアの国々の名前が地図に出てくる。
私が、ロシアの右側をすり抜けて北極を通過してドイツに行くとばかり思っていたのは、
私の父、谷武が北極回りでチェコに行ったことがあったので、そう思い込んだ。
谷武がチェコに行ったのは私がまだ小学生だった頃、65年ほど前で、
冷戦時代で、日本がソ連やチェコとはまだ国交が無かったころ、
チェコで開かれた国際見本市に、
プラスチックスの射出成型機に画期的な発明を持っていた会社の技術者として、
国交も無いような国に、
つまりマーケットとしては完全なブルーオーシャンの共産国に
無謀にも、私の父、技術者のトップ・谷武は機械の売り込みに派遣されたのだ。
当時にすれば宇宙飛行士並みの冒険であったに違いない。
チェコ(当時はチェコスロバキア)へは、フランス経由で行ったそうだ。
そのフランスには、羽田からボーイング707で飛んだ。
この機は世界で最初に普及したターボジェットエンジン4発の旅客機で、
ターボジェットエンジンは現代のターボファンジェットエンジンに比べて、
相当に燃費が悪く、航続距離も短かったので、
アラスカのアンカレッジ空港に中継地として一旦降りて、
それから北極海を横断してヨーロッパに着いた。
もちろん、当時は冷戦時代だったのでソ連(当時のロシア)上空は飛べなかった。
だから、
アンカレッジ空港にはヨーロッパに行く日本人がいっぱいいて、
空港内には「うどん屋」などの和食屋がいっぱいあったという。
ヨーロッパから日本に帰ってくる時には、
最初に懐かしの日本の味を味わえたのは、
日本に帰ってからではなくアンカレッジだったと聞いたことがある。
そんな話が印象深く残っていて、
またロシア上空を飛べなくなったのなら、当然北極海周りだと思い込んだのだ。
しかし今飛んでいるような”西”回りは、
偏西風(時速約200km)に逆らって飛ぶので、スピードが出ない。
現に、今飛んでいる飛行機はエアバスA350-900という最新鋭機だが、
約10,000mの上空を対地速度700~800kmぐらいの速度しか出ていない。
逆に偏西風に乗って飛べば900~1000kmで飛べる。
なぜそうまでしてこのルートを使うかを考えると、
当然、帰りもこのルートを使って今度は偏西風に乗って飛ぶのだろう。
その
とすると、あさはかにも
ドイツからの帰りは夜間飛行になるから、
ひょっとしたら、北極海の上でオーロラが見えるかもしれないと想像した私は、
単なるのオッチョコチョイでしかなかった。
どうせ、今日は星占いが一番ドベだったので、こんなもんだろう。
あと、約7時間の飛行です。