谷 好通コラム

2024年01月03日(水曜日)

01.03. 連2話、私が昔。、運転免許を取りに行った時のこと。パワハラ?

私が高校を卒業してアルバイトをしながら上の学校に通い始める前に、近所の自動車学校で普通免許を取りに行きました。当時は、免許にオートマチック限定などはなく、練習も検定もすべてクラッチ付きのミッション車(今と同じクラウン)でした。私はクラッチを踏む左足が弱かったのですが、そんなことは無視して頑張るしかありません。それは何についても同じことで、自身は全くどおってことありません。

しかし、段階が進むにつれて、クラッチを微妙に踏んでいなくてはならない動作があって、それが中々うまく行かず、つい弱気になって公衆電話で家に電話をし、お袋に泣きごとを言いました。

「足が痛いもんで、クラッチがうまく踏めん。」お袋は普段も優しかったので、「可哀そうにね」なんて慰めてくれるかと思っていたのです。

ところが「しょーがないでしょ。あんたはその足しかないんだから、」と、意外な冷たい言葉が返ってきたのを鮮明に覚えています。これは、私の将来を思って「泣く泣く冷たく当たった。」なんてものではなく、明らかに感情的に怒って言っていました。それを聞いて、私も「そんな言い方は無いだろ」と、食って掛かりました。

今で言うなら、これはある種のパワハラとでも言うところでしょうか。お袋の言葉が無慈悲に感じて本当に怒れたのです。

しかしそれでも、自分が泣き言を言ったのが自分でもバカバカしくなって、腹が立って、イジイジしている気にもならなくなって結局やるしかなく、その日の教習段階もクリアしました。

まっ、結果的にはあれで良かったのですが、あれから、私はお袋に泣き言じみたことを言うのを一切やめました。下手に言ったら、お袋がまた食って掛かってくるかもしれないからです。別に怖い訳ではありませんが、面倒くさいじゃないですか・・。

私は見事に教育された訳です。

「少々辛くたって、いちいち泣き言を言うんじゃない。」と。

 

私が昔通った自動車学校「緑が丘自動車」は、

高齢者運転講習で52年ぶりに行ったら、教習車はまだ似たような「クラウン」でした。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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