2018年04月13日(金曜日)
4.13.コミュニケーションの難しさ
人間が他の人に何かを伝えて、他の人からの返事を受けるのは、
一番単純なコミュニケーションだが、
その一番単純なコミュニケーションですら、
まともに伝わらないことがある。
伝える時には、どのように伝わって欲しいのか期待して伝えるのだが、
その期待とは反対の方向に伝わって、反対の反応をぶつけられることがある。
彦根の交番で19才の巡査を叱って、
多分、大きな声を出したら、「罵倒された」と思われて、
拳銃で二発の銃弾を背中から撃ち込まれて即死した41才の巡査部長がいた。
大きな声で叱責すると、
罵倒されたと自分をさっと被害者にしてしまい、
害を加えた相手が悪いのだから、反射的に殺してしまう。
とは、異常な事件ではあるが、
これはある意味ではよくある事でもあるのではないかと思ったのです。
これには一つの大前提が、叱責した巡査部長にはあった。
叱られたその若い巡査は自分よりも「知らない人」「出来ない人」であり、
巡査部長である自分の方が「知っていて」「出来る立場にある人」であるので、
大前提として、
自分はどのような方法であっても「教える立場にある者」なのだから、
その若い巡査が知らないのでやってしまった失敗を、
大きな声を出して叱り、教えたつもりだったのだろう。
より強く教える為に大きな声を出して、叱責したのだろう。
ところが、
その叱られた若い巡査には、その大前提がなかったのではないか。
つまり、先輩の巡査部長と若い巡査の自分は、
同じように「知っていて」「出来る立場にある」対等な人間であって、
いかに巡査部長が自分より歳をとっていても、
自分と同じ人間であって、
自分が何を失敗したとしても、
それはその失敗を指摘すればいい訳であり、
何も大きな声を出して自分の非難し、攻撃していい訳がない。
罵倒していい理由なんかない。
ただの失敗なのだから指摘し注意すればいいのに、
自分を(たとえば)バカ呼ばわりした。
その巡査部長にそんな資格はないのに、自分にひどい言葉を浴びせた。
悪いのはその巡査部長だ。
殺されても当然の非がその巡査部長にあるから、
殺した。
だから、
本気でそう思って、捕まってからも、
彼は「殺したことは間違いない。」などと口にしたのではないだろうか。
自分が知らないことを知らない人、
あるいは、自分が知らないことを認めようとしない人はよくいる。
自分は知っていることが多いので、
知らないこともものすごく多く有ることが分らない、知らない人はいる。
彦根の若い巡査は、異常にそうだったのではないか。
でも、そんな知らない人は程度が異常でないだけで普通にいっぱいいる。
コミュニケーションを取るにも、
大前提が違うままでは、交わす言葉の意味がお互いにすれ違っていてしまい、
言った、言わない、のコミュニケーションの不成立になりがちなる。
そんなことではなかったろうか。