2025年04月13日(日曜日)
04.13. “猫に小判”というか、“豚に真珠”のようなもの
「権威」というのは「人の感性」に訴える事で成り立っていると思うのです。
つまり、最初から誰でもが認めるような絶対的「権威」というものはなく、
あとから“らしく”演出して、
あるいは、立派な学歴などのように
人に「すごいな~」と感じさせて、
はじめて、権威というものは成り立っているように思うのです。
逆に言えば、
人に凄いな~と思わせれば、出来上がってしまうもののように思うのです。
たとえば、
大きな会社、特に金融の会社などに行くと
その入り口から、廊下、会議室まで、
みんな同じような造りで、
同じような材質と機能で出来た同じような立派な仕掛けがあって、
それが、いかにも権威らしさを醸し出しているような気がします。
つまり、相手を一つの型にはまった仕掛けの中に入れて、
自らの「権威」を相手に感じさせているような気がするのです。
しかし、残念ながら、
私はそういう仕掛けに権威を感じるような感性が鈍いので、
つまり、たぶん私には立派な会議室も
“猫に小判”というか、
“豚に真珠”のようなもので、
申し訳ないくらい、まったくピンと来ません。
私達の会社では、
会議室のテーブルは、
17年前にこの場所に引っ越してきた時に、
事務用品のリサイクル屋で買った中古品をそのまま使っていて、
何の不自由もなく使い続けている。たぶん、あと20年は使うだろう。
日常から頻繁に使うので、
一つの会議が終わるたびに一応片付けているつもりでも、
いつも使用中であり、散らかってはいないが、ビシッとキレイでもない。
本当にこれでいいと感じる。
しかし、それで慣れてしまっていると、
立派な会議室に権威を感じる価値観を見失ってしまっているのだろうか。
一事が万事。
この会社はいつも何かをしていて、
いつも行き着くことなく進み続けて、
今、現在の所にまで進化し成長して来ている事にすら気が着いていない。
私は、みんなは立派な権威とか理論より、
今、実際に人の役に立ち、必要とされる実践的な行動を善しとする。
しかしそんな事は、
誰だって思っている事であって、偉そうに言うような事ではない。
4月の入学式の頃、桜が満開になった吉田小学校の桜は、
新入生の心の高まりを、何倍にもより高めてくれたでしょう。
新入生を満開の桜が迎えとくれるのは最高の演出です。
今日の朝、吉田小学校の前を通りかかったら、
その桜がもう散って、無くなっていました。
去年は、
桜が早く咲きすぎて、早く散ってしまい、この状態で入学式でした。
新入生にとって桜が満開の入学式と、そうではない入学式では、
思い出の残り方がまるで違うでしょう。
そんなことを考えていて、目で見た景色というのは、
人の感性に大きく影響を与えるものだなぁと考えた時、
権威というものも、
目から入る感性によって造り上げられるものだと、ふと思ったのでした。
4月初めの満開の桜、
今日の午前中に撮った桜が散った吉田小学校正門。