2025年07月20日(日曜日)
07.20. KeePer技研株式会社40年の歩み。
8月19日に、KeePer技研㈱40周年記念パーティーを控えて、
会社として、KeePerとしての40年間を書き出してみようと
今まで書いてあったものに書き足し始め、
12ページになってしまいました。
すごく長いので、ブログに載せるべきではないかもしれませんが、
ブログ用に何かを別に書くのも大変だし、面倒くさいので、載せます。
1985年8月16日 株式会社タニ発足、共同石油高津波SSスタート
紆余曲折がありながら独立する店舗を愛知県刈谷市に借りることが出来、
私と妻と従業員の三人でスタートした。
ガソリンスタンドの運営は自信があり、じきに拡販に成功し、12月にはガソリンと軽油・灯油で300kl、油外収益150万円で、しかも3人の従業員とアルバイト少数、私は年間362日勤務で、それはものすごく儲かった。4年前に買っていた中古住宅のローン(1,250万円)を発足の翌年早々に全額返済した。
1986年 しかし、増員しても従業員は続かず、相棒倒れる。
この大繁盛店の中で私は自信満々の絶対君主のようであった。
ああしろ、こうしろ、と命じ、それは相棒である妻にでも同じで、むしろ酷かったかもしれない。そんな妻が具合悪くなって病院に行き、先生に「今日すぐに入院しなさい。すぐに手術をします。」と言われたと帰ってきた。
私は若い子や妻に誰にでもすぐに怒鳴って、新しい若い子が入って来ても辞めてしまい、中々増員できず、それで相棒の妻に無理が行ったのでした。
私はそんなひどい状態を、初めて自分で気が付いてひどく後悔しました。
それから私の何かが変わったのでしょうか、徐々に増員が出来始めて、社員を大切にする会社らしい会社になっていった最初の事です。
1987~90年 実績も出来、増員も出来、2店目用地を探しだす。
実績も上がり、資金も出来、増員も出来てきたら二店目を造るしかありません。
この四年間は仕事も順調で資金的にも余裕があり、ちっぽけな表彰も受けて、
元売りからの接待も受けて、仕事の居心地も良くて平和であり、世の中には一店舗で終わる会社が多いが、きっと、こんなぬくぬくの布団の中の居心地から抜け出せなくのだろう。
しかし、つまらない。
猛烈につまらなくて、次の店舗の土地探しを必死でやっていた。それでやっと見つけたのは1号店から南に3km程離れただけの松坂町132坪の土地で、交通量からみてもマーケット的にも、今だったら絶対に手を出さない土地です。
しかも、この土地を買ってしまったのです。先がまだ見えない内から始まる6,600万円もの借金の返済。
でもこの無茶が無ければ、今のKeePer技研は絶対にあり得ない運命的なこの132坪の物件だったのです。
1991年 ガソリンが扱えない。仕方なく洗車とコーティング。
無理して買った132坪の土地だが、もう一つ厄介な大きな問題があった。
その頃の日本にはガソリンスタンドの総量規制があるが(日本国中のどこかのガソリンスタンドを1店舗閉めなければ、新ガソリンスタンドを開くことが出来ない)、販売力のある㈱タニが借金までして土地を買い、新しいガソリンスタンドを造ろうというのだから、元売りさんは、全国のどこかのあまり売れないガソリンスタンドを閉めてくれて、㈱タニにガソリンスタンドの権利を造ってくれるだろうと”甘く”考えていたが、もちろん世の中はそんなに甘くはなく、
誰もガソリンスタンドを閉めてはくれなかった。
しかし、総量規制は時限で規制が切れるのは1年間。
ガソリンスタンドの施設を造ってしまっても、1年間、ガソリン無しで運営すればいい訳で、つまり他の事をやりながら1年間食いつなげば問題ない。
それが、ガソリンスタンドで起業した会社が、コーティングの会社として大きく発展した元々の原因だったのです。
つまり、谷 好通が世の中を舐めた所から始まっているのです。
1992年月1月 洗車コーティングの専門店「クリーンベースウィズ」
ガソリン無しのガソリンスタンドで一年間食いつないでいくには何か武器が要るので、当時流行り始めた「ポリマーコーティング」を横浜まで習いに行くことにしました。一日おきに日帰りで横浜まで行く大変な時期です。
習ったのは、ポリッシャーを使う「塗装の研磨」と「ポリマーコーティング」。
横浜のモービルクリーンベース高木専務から学んだ教訓は
「販売にしろ何でも、売るのではなく、教えることが最強だ。」
洗車とポリマーコーティングの専門店「クリーンベースフィズ」が開店した。
1992年10月 ソアラに乗った娘さんは、どうしても車に近づかなかった。
「研磨」と「ポリマーコーティング」は、魅力的な美しい商品であった。
しかし、7万円位かけてまで欲しがる人は、一部のマニアックな人だけだった。
ある時、地元のちょっとした工場の社長の娘さんが高価な「ソアラ」に乗って、
当時「ハードシールド」という研磨+ポリマーコーティングを注文してくれた。
滅多に売れないハードシールドが売れたので、私たちは張り切って預かったその夜一晩かけて磨きに磨いて、寸分の傷まで無いように全神経を傾けて磨いた。
我ながら見事に磨けたそのソアラにポリマーコーティングを塗って仕上げ、
昼前にソアラを取りに来られる娘さんを待った。
午前11時ごろに来られた娘さんに磨き上げた極上の肌を見ていただこうと、
「どうぞ近づいて見て下さい。この辺なんかぞくっとするような肌に仕上がっていますよ。」と言って、塗装の肌を示すが、お嬢さんは、車からだんだん離れて、全体を見渡すように車全体を見た。
「そんなに離れたらせっかくの磨き上げた肌が見えませんよ。」と言うが、
娘さんは「いえ、充分キレイですよ。ものすごくキレイです。」と、車から離れる。
その時私は「まぁ素人だから、この良さは判らなくても仕方ないか。」と思った。と同時に「これではまったくダメだ。」とも思った。
お客様は、すべて普通に素人だ。当たり前だ。普通の人が欲しがるような商品でなければ、提供する意味なんて全くない。ましてや1年後この店はガソリンスタンドになる。
1993年ガソリンスタンドになる前に45分で出来る最良の美装を突き詰める。
ガソリンスタンドのお客様は、給油時についでに待てる時間で出来なければ買わない。だから、それを45分と設定した。その上で横浜で習った磨きとポリマーコーティングの知識と技術を活かし、45分での最良の美装「Qシステム」を、市販の色々なケミカルと道具を組み合わせて工夫して作った。
1993年12月 GSになったクリーンベースでQシステムが全国2位になる。
この時造ったQシステムが今のピュアキーパーのはるか昔の原型です。
しかし、これはGSクリーンベースのお客様に大変受けて、この年の12月、405万円の売上を上げて、全国の洗車売上コンクールで2位になった。
1994年 全国から来られる見学者に対して「ワンデースクール」を始める。
地方の聞いたこともない会社の、ちっぽけな出来たばかりの変な名前のGSが、
突然、全国2位になったことは当時の洗車業界では評判になって、全国から見学の方が来られるようになった。
しかし、来るたびに説明しているのは大変だったので「Qシステム・ワンデースクール」を開いて、「何をどうやったらこう出来るのか。」を教え始めた。
と、同時にケミカルと道具の供給を始める。
1995年 「オリジナルケミカル」開発と特許「塗面改善の方向性」登録。
そうしているうちに、Qシステムをオリジナルのケミカルとして、当時買い取った化学研究所と一緒に開発・改善して、それを「塗面改善の方向性」という名ので特許を取り、KeePer(当時はまだKeePer)としてブランディングする。
KeePer以後から今まで
1993年 スーパーポリマー事業部をアイ・タック技研㈱として分離
ワンデースクールとケミカルの販売を㈱タニの中でスーパーポリマー事業部としていたが、この年に分離しアイ・タック技研㈱として活動する。
1994年 全国行脚を始めて、全国に営業所とトレセンを建て始める。
1995年 ケミカルのオリジナル化とKeePerブランドの起ち上げ。
1997年 1店目のGSの目の前に巨大な商社系GSが建ち、戦争が始まる。
私がKeePerの営業・トレーニングで全国を行脚する中、1号店の高津波SSの目前に、商社系の大型GSが新たに造られる。対抗してこちらも全面改装をした上で、ガソリンの安売り戦争と景品キャンペーン戦争が始まった。
1999年 闘いに勝つも、赤字に疲弊して閉店
戦争には絶対負けないので、赤字を承知での戦争を続け、相手に徹底的に勝ち、わずか二年で相手に撤退を余儀なくさせる。
しかし、こちらも莫大な赤字が残り、疲れ、高津波SSの経営継続を断念する。
安売り競争に対する憎くしみとも呼べる悪感情を強く持つ。
2000年 閉めた高津波SSを「洗車屋快洗隊」として復活開店
戦争に疲れて閉店した高津波SSを、再び借り受けて、手洗い洗車とピュアキーパーを軸とした専門店「洗車屋・快洗隊」に改装して再開店する。
「小売り」はこの会社の生命線。安売りをせずに済む形で再開店した。
この年の12月は、平均単価3,500円/台くらいで売上げ約600万円であり、
とにかく朝から晩まで果てしなく洗車が続く大変な年末であったが、地獄のような安売り合戦に比べれば気持ちのいい疲れであった。
実践的なKeePerとして、全国での販売とトレーニングは続く。
2001年1月~ 会社のIT活動の一環として谷コラムがスタート。
あくまでもKeePerの宣伝の意味で、谷好通をさらけ出すことでホームページのアクセスを稼げればと思い、とりあえず、100話まで1日も欠かさず書き続ける事をノルマとした。出張しながらなので非常に大変であったが、100話までやったら、あとは自分の生活の習慣として自然に20年以上も続き、今もほぼ毎日更新、月100,000アクセス近くを得て、現在7,450話で、健康さえ勝ち得れば10,000話を目指したい。
2003年 オートサービスショーにSONAXの日本担当営業が売り込みに来る。
その頃、KeePerは営業を目的として色々なトレーディングショーに出展していた。そこへドイツのアートケミカルメーカーであるSONAXの日本駐在の営業担当者がSONAX商品の売り込みにやって来て、お互いに興味を持ち、交流が始まる。
2004年 SONAX商品を取り扱うが合わず。独自商品の開発を模索し始める。
面白そうな商品もあったのでSONAX商品として取り扱いを始めて見るが、KeePerのコンセプトと日本マーケットの嗜好に合わず、SONAXのドイツの化学研究室と共同で新しいKeePer製品を開発する活動に変更した。
この時に、SONAX化学研究室の責任者Dr.マンフレッド・ピッチと出会う。
天才肌のDr.ピッチは、私たちKeePerの考え方によく同意してくれて、私たちの望む方向の製品を「数えきれないほどのサンプルの製作と提供⇒KeePerでのテストと評価・要求⇒SONAXでの改善品制作」のサイクルを続けることによって、着実に新しいKeePer製品が実現していった。
彼らの発想と持っている材料は日本の開発とはかなり違うもので、これまでの日本のマーケットには無いKeePer独自の製品開発が出来た。
この間、何度もSONAX側のDr.ピッチは来日し、私たちも何度もドイツSONAXを訪問した。
2006年 SONAX製のKeePerブランド「ダイヤモンドキーパー」スタート。
それまでのKeePerの主力商品「ピュアキーパー」とは全く別次元の長寿命ガラスコーティング「ダイヤモンドキーパー」をSONAXで完成、洗車屋快洗隊で販売を始める。
ダイヤモンドキーパーは、SiO2の無機ガラスを骨格にしているが、いわゆるガラスのような固い構造を持たず、分子構造の中にスプリングのような働きをする構造を含んでいて、無機でありながら自動車の塗装と同じ程度の硬さ(柔らかさ)を持つ”低分子”の膜を形成する。すると、膜自体に相当な厚みを持たせても熱膨張差による剥がれることが無いので、膜が塗装表面の凸凹を削ることなく、埋めて平らにしてツヤを出すような、今までにないコーティングを造ることが出来た。
2007年 技術研修に加えて、コーティング技術一級資格と二級資格を造る。
従来からのKeePerコーティング技術スクールに加えて、ダイヤモンドキーパーを施工するための上級コーティング技術スクールを開設し、この技術を確かに出来るかどうかを審査する一級技術資格検定会とピュアキーパーの技術を確認する二級技術資格検定会を各トレセンで定期的に開き、それぞれに資格を与える制度を造る。
2008年 一級技術資格を持つスタッフがいるKeePerPRO SHOPを造る。
せっかく資格制度を造ったのだったら、その資格を持ったスタッフが常にいることを称したステータスのある称号を持った認定”店”の制度を造ることになった。KeePerコーティング施工技術認定店「KeePerPRO SHOP」の誕生だ。
キーパコーティングの技術に自信を持っていて、優良な施工環境があり、施工実績もある店舗を全国から30店舗選抜して、KeePer PRO SHOPをスタートする。最初30店舗が愛知に集合して、泊まり込み、これからのKeePerPRO SHOPを熱く語り合って、どんなものにしていくかを決めた。最初からみんなで造り上げてきた制度です。しかし、それが13年後6,203店舗もの巨大な集まりになるとは、誰も想像できなかった。
2010年 1年耐久のクリスタルキーパーが出来、爆発的に広がる。
3~5年耐久のダイヤモンドキーパーから技術的な工夫を加えて、1年耐久、料金約2万円、二時間半の施工時間のクリスタルキーパーを造った。
これが、色々な意味でKeePerPRO SHOPのガソリンスタンドなどで、ぴったりとニーズに合い、爆発的に売れて、KeePer PRO SHOPの売り上げアップに大きく貢献した。
2008年~13年 成功を求める人が最初の5年間で5,000店集まる。
KeePer PRO SHOPは「入会金」「月会費」「ロイヤリティ」が何もない。
約束は「KeePerコーティングの品質を絶対に守る事」だけであり、年二回の全店チェックで、その約束を守れていない店舗の看板はその場で取り消す。
この部分だけ厳しく守っていく事でお客様の利益は守られることになり、お客様からの支持は高く、KeePer PRO SHOPに認定された店舗はおおむね成績が上がり成功した。その成功が次から次へと認定申請店を呼び起こし、わずか5年程度で5,000店舗を突破する巨大な組織に成長した。
だから、KeePer PRO SHOPは一度も募集活動をしていない。募集用のパンフレットすら無い。
(2025年8月現在、KeePer PRO SHOP 全国に6,679店舗)
2011年 洗車屋快洗隊を「KeePer LABO」に改名。コーティング中心に。
洗車からビュアキーパーに誘導していた洗車屋快洗隊は、コーティングそのものがガラスコーティングに変わってきて、ダイヤモンドキーパー、クリスタルキーパーがお客様の支持が大きくなっていく中で、コーティング中心の店舗へ大きく変質していた。収益面でも著しく改善されていたので、店舗の名称もKeePerコーティング中心の店舗を表す「KeePer LABO」に変更し、全国に積極的に出店。2022年には100店舗に到達。2025年現在158店舗。
2014年 KeePer技術コンテストが始まる。
全国のトレセンで地区予選、県大会、愛知で全国大会。ものすごく盛り上がる。
このKeePer技術コンテストは、第一段階の「予選」が156回5,612人の参加で(2024年実績)開催され、これは主に参加者の技術向上を主たる目的として行われる。その予選を一定の点数で通過した者が、全県においての「県チャンピオン戦」に出場、県チャンピオンが決まる。
さらに県チャンピオン全員がKeePer技研本社の中央トレセンに集い、二日間にわたって熱い戦いを繰り広げ、一人の「全日本チャンピオン」を決定する。
ちなみに、これまで全9回のコンテストでの全日本チャンピオンは9名中、5名が女性チャンピオンである。
2015年 東証マザーズに上場
ある日、東海東京証券の市川部長が来られて「この会社上場できます。」
この会社は株式の上場を目標にやってきた訳でも何でもないが、上場することによって得られるメリット、特に人材の採用について圧倒的な効果があるということが最大のメリットと考え、上場準備を始め、その年の内にマザーズ上場を果たした。
2016年 東証一部に市場替え
この頃には、KeePer技研株式会社も谷好通のワンマン会社の色合いもすっかり薄くなって、集団指導性が濃くなっていった。業績も順調で進む。
2017年 業績アップを焦って出店を急ぎ、初めて増収減益を経験する。
2018年 COOを据えて、執行から一歩退き、谷、代表取締役会長兼CEOに。
朝10時出勤を常として、一歩離れた所からのスタンスがちょうど良くなる。
徐々に動かなくなってきている体と、拡がる発想をバランスよく実現するちょうどいいスタンスが取れる。
製品開発、経営企画、店舗開発、マーケティング企画制作、IRに注力する。
2018年 ある投資家の強い提言からYouTubeの活用を積極的に始める。
KeePerはそれまで、SNSを積極的に活用することはあまりなかったが、ある投資家とのIR取材の中で「YouTube」の活用を強く勧められて、会社として積極的に活用を始めた。
その効果は絶大で、「・・・のYouTubeを見た。」と、名指しで来店し、KeePerコーティングを施工するケースが増え、業績にはっきりと好影響を与えた。
2019年 新型コロナが蔓延し始め、2020年より非常事態発令。
新型コロナによるパンデミックは、世界中の経済に大きな影響を与えた。
しかしKeePerにとっては、皆さんの在宅傾向が強まると同時に、KeePerコーティングの施工数が増えた。これはリーマンショックの時にKeePerが伸びたのと同じように、新車に買い替えから今乗っている車をリフレッシュする人が多くなった時の現象。
2020年より数年続く、既存店舗のキャパシティアップ工事
KeePer LABOも初期に建った店舗は、「洗車屋快洗隊」からの流れがまだ生きており、洗車のスペースに対してコーティングブースの数が少なく、コーティングの施工が中心のKeePer LABOとしての能力が足らなかった。そこで、既存の店舗にコーティングブースの数を大幅に増やす改造工事を数年集中的な行った。
2020年、自浄効果と異次元の艶を持つ革命的なEXKeePer発売開始。
コーティングのベースになる無機低分子ガラスコートの上に有機Resinの塗布で水シミを防止済る技術(特許登録)に加え、有機Resinの構造を従来の発想とは全く違うファンデルワールス力の最小化で、汚れが塗面に付着させず、浮いた状態を維持して、自然の雨が降ったら、その雨粒に汚れが混ざって落ちてしまい、まるで洗車をしたようにきれいになる。革命的な性能を得る。
しかも、従来とはまったく違う新しい艶と触り心地を実現する。
ちなみに「EX KeePer」のEXは「excess=過剰な艶」という意味である。
新車用コーティングとして、続々と車メーカーの純正指定を受けつつある。
2022年、フレッシュキーパーがKeePer PRO SHOPで爆発的な販売
EXKeePerの自浄効果をそのままに、艶の過剰ぶりを抑え、1年サイクルのコーティングとして2万円台の施工料金と、比較的簡便な施工技術(約1時間半)を設定して、「フレッシュキーパー」として発売。
テレビコマーシャルの効果もあって、お客様が頻繁に来店するガソリンスタンドのKeePer PRO SHOPで爆発的にヒットする。その価格、商品性格などの特徴は、機関投資家のアナリストとのIRインタビューの中で得た。
2022年 テレビ東京の「カンブリア宮殿」に出演、反響大。
テレビ東京さんから申し出で、人気番組「カンブリア宮殿」に出演。
その反響は大きく、特に関東では売り上げに大きく響くような効果があった。
2023年 新型コロナ鎮静化する、KeePerに影響なし。むしろ加速。
新型コロナ蔓延での在宅志向が、KeePer PRO SHOPとKeePer LABOにおいてリフレッシュ需要が喚起されると同時に、EX KeePer やフレッシュキーパーの発売によって販売実績の上昇が加速しましたが、新型コロナの沈静化と共にKeePerの販売も沈静化する事は無く、相変わらずの上昇傾向が続いている。
2024年、2025年KeePer LABO新店オープンがハイペースになっている。
今時点で160店。来年3月迄に 186店は決定。新店の半分がFC店。
今期中に大台の200店舗、5年後で計500店になる可能性が現実的になった。
・今後、EVが急速に普及し、
10年後、燃料販売量が半分に減って、SS数が半分以下になったら。
そんな時代にマルチ計量器が1基、残っているKeePer LABOがあれば、
地域に、すごく便利で存在価値のある店舗になるのではないだろうか。
・さらに、急速充電や、タイヤのメンテナンス、交換の機能があれば、
重量が非常に重くタイヤの消耗が非常に早いE V車にとっても
KeePer LABOは、非常に便利な存在になるはずです。
KeePer LABOにはEV車も、PHV車も、ガソリン車も全部来ます。
昔、専売店として何万軒も「たばこ屋」と「酒屋さん」が存在していた。
しかし今は、ほとんどがコンビニの中に入り、専売店は無くなった。が、
むしろ、人々にとっては便利になった。
同じように計量器が1台あり、タイヤ交換等も出来る多機能KeePer LABOは、
人々にとってすごく便利な存在になるはずです。
車にとってキレイさはずっと必要であり、頻度も減るものではないとしたら、
KeePer LABOは、色々な機能が集積することによって、
5年後、450~500店舗でしかないKeePer LABOも、
10年後以降、何千店舗も世の中から必要とされる可能性が出てきます。
今現在158店舗
5年後に目指すべき店舗
1986年に起業以来40年間ずっと前年比約120%で上り続けられたのは、
毎年「今よりもっと」と思い続け、具体的に行動し続けたからかもしれません。
しかし、あえて言うなら、
かえって目指すべき頂点を設けなかったことにあったのかもしれない。
しかし、それはつまりどこまで行っても上り続けるだけで、
いつまで経っても達することはないという事で、
今までも、これからも達成感を得られないまま、上り続けるということになる。
たぶんそういう事なのだと思う。