2025年08月15日(金曜日)
08.15. 歌集作り、田立の滝キャンプ場のバンガローで泣く。
私が高校1年生、16歳の時のこと。
愛教大の学生達が主催する「NHC (名古屋ハイスクールサークル)」という
勉強の会? 遊びの会? みたいな高校生サークルに入っていました。
そんな何となくの集まりのサークルがいくつも合同でキャンプをしたのです。
多分100人ぐらいの規模で、
場所は長野県の田立の滝キャンプ場。
遠足とか修学旅行の延長のようなキャンプで、1970年代に流行った。
三度の飯盒炊飯での食事とハイキング、
そして、夜のキャンプファイヤーがメインイベントで、
大きな焚火を囲んで、みんなで肩を組んで歌い、フォークダンスを踊った。
今でいうと、合同合コンの原始型みたいなものか。
みんなで歌う歌も、
教科書に出てくるような歌や、ロシア民謡とか、フォークソング。
男女の愛をテーマとした歌なんて、
そんな恥ずかしくなるような歌は無かった。
幼いと言うか、真面目と言うか、今で言うとダサい歌ばかりだった気がする。
そんな歌の歌詞を集めた「歌集造り」も
キャンプ前の大切な準備の一つでした。
16歳の時、その役目を仰せつかった私は、
みんなの意見も聞きながらも自分の好みを大いに反映して曲目を選び、
手作業でガリ版印刷を作った。
この手間が大変で、今のようなパソコンでの入力ではなく、
鉄筆とガリ版で印刷のネタを書いて、
謄写版で刷って歌集を造ったのです。
20ページ程度の歌集を50冊造るのに、たぶん20時間ぐらいはかけた。
今の時代では考えられないほど面倒な仕事だったのです。
しかし、
みんなが喜んでくれることを楽しみに作った。
自分が造った歌集を皆が開いて、楽しく歌を歌ってくれる事が楽しみだった。
しかし、
いざ、キャンプが始まりメインイベントのキャンプファイアが始まると、
みんなに配った私お手製の歌集を、あまり大切にしてくれない。
ひどい人になると、私の歌集を尻に引いて座っている。
歌い始めても、簡単な歌が多かったからなのか、
私の歌集はあまり見られず、粗末に扱われている。
歌集には私の名前も書いてあるのだが、
それを見て「谷っ、歌集造ってくれてありがとうな」なんて言う人もいない。
ガッカリして、皆より早くバンガローに帰り、
携帯ラジオを聴いていたら、無性に悲しくなって涙が出てきて泣いた。
あんなに頑張って造ったのに、
誰も感謝してくれないし、誉めてもくれないし、気が付いてもくれない。
「報われない・・・」と、悲しくなったのです。
あの日の事を想うと、自分の事が恥ずかしくなる。
私は、自分が褒められたり、感謝されたい為に、
つまり、私は”自分の為に”仕事をしたのに、報われないと泣いた。
・・・・当たり前だ。
気が付いた。
自分が、自分の為にした仕事を、
誰が感謝するものか。誰が褒めるものか。当たり前のことだ。
私が、自分がやった仕事を、
誰かに褒められたい、感謝されたいと思ってするものではない。
キチンと”報酬”という形で、私は正当に得る。
報酬という形で正当に得られないとするなら、
その仕事は、報酬にそぐわない役に立たない仕事なのか、
相手が報酬をきちんと払わない不当な相手であるか、どちらかだ。
その仕事がキチンと役に立つものならば、
その価値に見合うだけの報酬は得られているはずだ、
見合っていないと思うならば、
それは自分の思い違いで、その仕事そのものにその価値が無いか、
報酬を出す相手が悪いかのどちらかだと言える。
正当に報酬が得られているのに、
誉められないから。
評価の賛美、待遇が無いからと「報われない。」と言う者は、
無償の仕事として歌集を造ったのに、
誰からも感謝されず、声も掛けられなかったことに、
「報われない」と思って泣いた情けない16歳、
高校1年の私と同じようなものだ。
そんなことを、昔を思い出しました。