2025年09月28日(日曜日)
09.28. 会社(法人)とは、決して個人事業の延長ではない。
ドイツSONAXの技術責任取締役が、私との会話の中で
「私はSONAXが」家族で経営されている事に対して好感を持っている。
(オーナー社長として血族承継会社)
資本と経営が別の場合、資本の交代で経営方針の大きな変化があるので、
私達、研究開発部も大変ですが、家族経営の場合はそれが無いから安心です。」
と、おっしゃった事を思い出します。
なるほどそういう考え方もあるものだなぁと思いました。
世の中には、個人商店、個人企業が山ほどあって、
これはあくまでも私人、個人そのものであって、法人ではない。
だから、その個人企業の構成員が何百人もいる大会社としても、
その個人企業が得た所得は、その個人の所得であって、
年末に個人の所得申告をして
その額が巨額になると、累進性をもった課税率で、
所得額の半分を遥かに越す様な莫大な金額を所得税として課税徴収される。
だから、個人企業のままで事業を発展させ大きく儲けると
累進した税率で巨額の税金になり、事業としての発展も成長も難しい。
その代わり、その事業の所有者は事業主であり運営者も事業主。
だから事業の責任者もその事業主。
オール個人であり公私混同を言われる恐れは全くない。
自由度100%である。
それに対して「法人」とは、
個人・私人とは別の公(public)としての人格で、
ヒト、モノ、金の集まりであり、人間としての人格は無く、
その所得に対する課税には累進性が無く、
どれだけ大きな所得になっても
一定の税率の法人税などを収めるにとどまる。
だから、事業を発展・成長させる為には事業の法人化は必須と言える。
しかし、
法人のお金を個人の私用の費用として使う事はならず、
私用の費用は、その法人から得た給与あるいは役員報酬の中から支払う。
公私混同は厳しく管理され、その自由度はほぼ無い。
しかし多くの場合は、
飲食など個人レベルの出費でも、
それを税効果のある経費として申告せず、税金を払う利益の中から使う。
資本主義国家の元での会社(法人)とは、
会社(法人)の資本(株式)の所有者に所有権があり、
経営は、所有者本人か、所有者から委託された経営者によって行われる。
会社とは、本来public(公)なものであり、
会社(法人)とは決して個人営業の延長ではない。
社外取締役など客観性を持った役員らによって十分にけん制され
社会に開かれたpublicな存在であることで、
証券市場などで資本を調達する事が出来、税制上の特典もある。
しかし会社によっては、
おおよそ中・小型の会社、
特に起業した初代の経営者は、
会社の所有者と経営責任者が同じ者である場合がほとんどだ。
いわゆるオーナー社長である。
その上で、
会社が証券市場に株式を上場すると
会社の所有者=株主は、
経営者とは一部分重なる部分があっても基本的には別々になる。のはずだが、
元々のオーナー社長と一族が大株主を占め、
会社としての経営活動は、オーナー社長時代と何ら変わらない場合もよくある。
オーナー社長体制を継続する場合は、ほとんど血族に限られる。
会社の所有権、つまり株式という換金性のある有価証券の継承は、
血族の場合は「相続」となるが、
そうではない場合は「贈与」となり、
税制も税率も全く違う。
高い贈与税を払う為にわざわざ会社の株式を贈与する意味が無い。
オーナー社長が、自分の子供に会社の株式を相続し、
最高経営責任者をも承継するような形でオーナー社長を承継する場合は多い。
特に中小の企業に多いが、
先のSONAXもそうであるように欧米でも普通に存在していて、
別に珍しくない。
うまく行っている場合も多い反面、そうでもない場合も多いようだ。
優秀な経営能力を持った経営者の血族の者が、
優秀な経営能力を備える資質を持っているかどうかは全く分からない。
外れる場合も少なくはない。多いとも言える。
そんな場合は、そこまで成長してきた会社の成長が止まることが多く、
しかし、無理して派手な施策を打って失敗するより、
一代分の無成長、空白時代を過ごした方がマシなケースも見てきた。
勿論、その承継者が前オーナーに増して優秀で、
あるいは、それを支える者たちが優秀で、
非常にうまく事業承継され事業が成長している場合もたくさんある。
しかし、
資本主義社会において、
血族承継が続くほど個人と法人の区別が無くなって、
法人としての税制的な優遇の意味が、
実質的に個人に効いてしまうような意図しない傾向に
社会の活性化として、
法人の所有と経営の分離が急がれている一面もある。