2025年10月13日(月曜日)
10.13. 自己否定力こそが、成長力・進化力のバロメーター
私は、このブログを日記として書いている訳ではないが、
二十年以上もほぼ毎日書いていると、
書くのが当たり前になっている事は確かです。
しかし、
書かないと気持ちが悪いとか、
罪悪感があるとかそんな事は無く、
例えば酒を飲んで酔った時は、面倒くさいので何のためらいもなく書かないし、
眠気が勝るようならば喜んで心地よい睡眠を選択して眠ります。
つまり、これを頑張って書いている訳ではないということです。
それでも、ほぼ毎日書いているのは、
よほど暇かと言えば、73歳の爺さん婆さんの中では
私より仕事が忙しい人は、まずいません。
ヒマどころか、私はまだ多忙なバリバリの現役です。
というよりも、
42歳の時から書き始めているので、
働き盛りの一番忙しい時期からずっと書いている訳で、
暇だから書いている訳ではは勿論ない。
反対にこれを書き始めてからが忙しくなったとも言える。
むしろ、
これを書き始めてから、
複雑な事を論理的に考える事が出来るようになったと思う。
自分が考えたことを書いていると、
書く事で、論理的な修正が加えられたり、
何より凄いのは、
自分の考えていた事や、思っていた事を、
文章にして書いてみると、間違っている事に気が付くことです。
なんと、
書くことによって、
自分ではものすごく難しい「自己否定」が出来るのです。
人は誰でも自己保存の本能があるので、
自分を物理的に防御するだけでなく、
自分の考えた事の正当性を主張する”自己主張はあっても、
自分の主張の過ち、
論理的な間違いを、自分で気付くものではありません。
頭の中で考えているだけだは、
自分の間違いに自分が気付く事はほとんどありません。
だけど、自分で考えた事を、
自分で書いて、
それを繰り返し読むと、
その中に含まれている矛盾や論理的な間違いに、
自ら気付く事があります。
自分で気付けば、自分でそれを否定して修正する事になります。
論理的な自己否定が可能になるのです。
論理的な自己否定こそ、弁証法的な進化の可能性を生み出すものです。
自己主張と自己弁護にのみ終始する人間は、
これっぽちもの進化は不可能なので、
論理的な自己否定は進化の為の最低条件でもあります。
それが、”書く”という事で実現できる最高な方法です。
自己肯定、自己主張、自己の正当化、自己承認欲求、自己実現、
自己顕示欲、人のせいにかる事、自己確認、自己表現、、
いずれも、
自己満足であり、意外にも自らの成長にはつながりません。
そういう意味で、
このブログは私自身の「自己否定」→「成長」に役立っています。
ほぼ毎日文書を書くメリットはたくさんあり、
沢山の人とのコミュニケーションになっている事も大きなメリットですが、
自らの自己否定を通じて、
自らの成長に役立っている事が一番のメリットです。
24年間これを書いてきて、何よりも良かったのは、
自己肯定の泥沼にはハマらず、
正常に自己否定し続けられている事です。
明日から
2025年、第10回KeePer技術コンテストの全日本チャンピオン決定戦です。
明日はその準決勝の日で、
明後日の午前中、いよいよ6,000名参加の技術コンテストの頂点、
全日本チャンピオンが生まれます。
前夜の今日、
明日からのコンテストのための、
全国から集まった採点員約40名の採点基準の目線合わせが行われていました。
旧トレセンの外から。
第10回KeePer技術コンテストの全国決勝の日に間に合った新しい中央トレセン。