2025年10月26日(日曜日)
10.26.い ずれにしても、残されている時間は有限なのだから。
73年間生きて来て、
最悪、何か突然あって、
短ければあと2.3ヶ月、
長くてあと10年ぐらい、あるいはもっと生きるかもしれないが、
いずれにしても、
残されている時間が有限であることは違いない。
だから、それまでにやっておかなければならない事を決めて、
着々と進めて行くのだが、
早く準備が終わり過ぎて、
何もすべきことが無い時間が多くあり過ぎるのは、辛いなぁと思いつつ、
逆に準備の途中で時間切れになってしまうのも困るので、
やっぱり予定通り進めていく。
誰でもそうかもしれないが、
私も自分の時間に限りがあると思っては生きてこなかった。
思いつく短い未来を思い、そこへ行く為の行動を計画して、
具体的に行動を組み立てて強い意志で実現してきた。
この繰り返しが、
過去と今のギャップ、
つまり今の成長した姿を作り出している。
だから、最初から今の姿を目指してやってきた訳ではなく、
階段状に小さなギャップを積み上げてきたのです。
高みを目指すように、理想を掲げて来た訳ではなく、
目先の目標を小刻みに達成して、気が付いたらここまで来たのだから、
私がよく言う「こうなっちゃった」という表現は、
カッコつけて言っているのではなく、本当にそうなのです。
かと言って、
意図しない所に来ちゃったという訳ではありません。
一人一人のメンバーが自分の意志で、
相手のことを思って、製品と技術と店舗を造り出し、
自分の意志で、相手のことを思って、仕事をすれば、
相手が喜び、自分達も嬉しいの「CSとESの同時実現」の原則が通用する筈。
その延長が意外にも、こんな高みにまで来てしまった。という意味で、
それを一言で言うと
「こうなっちゃった」になる訳です。
しかし、ここまで来て
限りある先があることを気にしなくていい時期が終わって、
明確に時間的な限界を意識すべき時期になって、
いつまでも「・・・・になっちゃった。」と、とぼけている時間は無くなりました。
与えられた時間に区切りがある事を強く認識して、
これからの毎日を働いて、
ここから10年先を考えた時に目指すべき点を意識して、
今、何のままでは無理であることも既に意識して、
次の時代の人に委ねて行く為に、
今どういう事をどうしておかねばならないのかを、今やるべきこととしている。
それで、
ふざけるな。と、お叱りを受けるかもしれないが、
何かヒントになるかもしれないと思って、
今日、一つの映画を見てきました。
「ストロベリームーン 余命半年の恋」と言う
女子高校生がメロメロになるような純愛物語でした。
自分に残された半年という時間を、
病床で過ごすのではなく、あえて学校に行って、
自分の感性に素直に従って、思いっきり恋をして、生きて、死んでいく。
主人公を含めて、出てくる周囲の人がいい人ばかりで
昔の純愛小説を読んでいるような、一切の憎しみと怒りを捨てて見れました。
じいさんである私は、
女子高校生とは、絶対に価値観と感性は違うはずなのですが、
一緒になって、涙ボロボロになってしまいました。
もちろん、限りある時間で何をどうすべきなどという参考になるものではなく、
我ながら
情けないとは思うのですが、
ただ、女子高校生たちと一緒になって涙ボロボロなっただけでした。
「ストロベリームーン 余命半年の恋」





