2017年05月27日(土曜日)
5.27.「評価されること」と「役に立つこと」の違い
ある人が仕事をしていて、
「こんなに優秀な自分を、ちっとも評価してくれない。」と、
不満を持ったとしたら、
この人はずっと浮かばれないかもしれません。
何故かと言うと、
仕事にとって、その人自体の評価なんてどうでもいいので、
その人は、この先も、ずっと評価されないままでしょうから、
不満を持ったまま行う仕事でいい仕事が出来るわけがありませんから、
仕事とは、他者(お客様・会社・世間)に対して
何らかの付加価値を作りだし、提供すること、つまり役に立つことですから、
その人によって作られ、提供された付加価値の量、大きさ、質によって、
それが他者にとって役に立ったか、
他者がそれを欲しいかどうかで、
見合った報酬・給料を払い「買う」「使う」「利用する」ことによって、
他者によってその人とその仕事が評価される訳です。
だから、その人そのものが評価されるわけではなく、
その人によってなされる仕事の質、量、大きさ、正当性が評価され、
その評価に見合った報酬と地位と職務権限が決められ、与えられます。
ここに、学生だった頃と社会人になった時の決定的な違いがあります。
学生だった時は、試験による点数によって
その人そのものの記憶力、計算力、論理力、知識の正しさ・大きさが評価され、
その点数が高ければ、その人は「優秀」であると評価されます。
学生だった頃は、その人の頭脳・体力・能力によって、
その人が評価されました。
しかし、社会人になると、
その人が行う仕事が、
他者(お客様・会社・世間)に対して役に立つかどうかを、評価して、
その人の仕事に与えるべき報酬・地位・職務権限を決めます。
その人自身が持っている記憶力、計算力、論理力、知識の正しさ・大きさは、
それ自体が社会において評価されることはなく
それは仕事に活かされて、
評価すべき価値ある結果を出して、
つまり、他者・会社の役に立って、初めて評価されるものです。
学生の頃のその人そのものの評価は、
社会人になる時の参考でしかなく、
つまり、いい仕事が出来る可能性が高いかもしれないということであり、
学歴とか、学生の時に得た能力そのものは、
それ自体では、社会に役に立つものではない。
その人自身が持つ能力を活かして、
他者が評価するような役に立つ仕事が出来て、結果を出して、
初めてその人が仕事の出来る人として評価されるのだろうと思うのです。
それを理解できずに、
「こんなにも優秀な自分を、評価してくれない。」と思うのは、
優秀な学校への入試成功など学生の頃の「成功」と、
周囲の圧倒的な「ホメ」の体験によって、
その人の価値基準が硬直化されてしまったのかもしれません。
入試に重きを置き、
その大学で学ぶことや
活かすことを”軽んじる”今の大学の制度と学歴を偏重する社会の文化が、
そんな歪みを作り出しているのかもしれません。