2001年05月28日(月曜日)
第125話 普通という事
人はよく「普通は・・・・・」という表現をする
「こういう時、普通はこうする」
「普通の人はそんな事を言わない」
「普通はそんな事をしない」
「こうするのが普通じゃないか」
国語辞典によると
「普通」とは
「ありふれたものであること。他と特に異なる性質を“持ってはいない”さま」
とある
「あなたは普通じゃない」と言われると、たいていは非難の言葉となる
「あなたは変っている」も、同じような非難の言葉
私は思うのだが
「他と異なる性質を持っていないさま」つまり「普通」であることが
賞賛されるべき事であり
「他と異なる性質を“持っているさま”」つまり「変っている」事が
非難されるべき事なのであろうか
そうは思わない
確かに、人は「他と同じであろう」とする性質がある、それは生き物としての自己防衛の深層心理
であるという事をナンカの本で読んだことがある
「生き物として群れの中で、“目立つ”ことは“死”に結び付くことであり
目立たないことが群れの中で生き延びていく最善の方法である」
という事だ
子供は
みんなと違う特徴を持った者を
無条件で攻撃する
肌の色が違うものは「黒んぼ」「真っ白け」という非難を受け、いじめられる
他のみんなより小さければ「チビ」
大きければ「のっぽ」
太っていれば「デブ」
痩せていれば「やせ」と、囃し立てられる
私は小さい時に病気をして、左足が右足に比較して著しく弱い
当然、小さい時は「ビッコ」と謗られた
普通でない事が、すなわち劣っている事であり
悪いことである
という図式は
人としてまだ成熟していないときに、見られる発想であると思う
女子高生のカッコウを見ていると思わず考えてしまう
みんな同じ格好をしている
制服というお仕着せがいやだ、と言い、自分を表現したい、と言って
ルーズソックス、ミニスカート、同じような化粧と
結局みんな同じ格好をしている
「校則違反もみんなでやれば怖くない」の現象では“ない”
校則違反も過半数がやってしまうと
それをやらない事が
かえって変っている事で、目立つこと
集団を否定している事になるので、
その校則違反をしないと、集団の中では逆に危険な事になるのだ
だから明らかに本人も似合わないと思っているだろう子までも
同じような格好をしている
きっとその子は、ルーズソックスを履いたりする事はすごくイヤなんだろうな、と思う
みんなと一緒である事は安全である
とりあえず、紛れているという事で安全である
しかし、生き物は
みんな同じような者の集まりの中で
チョッと変った者が出現し、その方が、より環境に適応していて
目立つというハンディを補って余るだけの優れた性質を持っていたときに
生存競争に勝ち残り
繁栄し、それまでの者を、追い落としていくと言うプロセスで
“進化”してきた
だから「変わっている事」「普通でない事」は
必ずしも「劣っている事」でもなければ、勿論「悪い事」でもない
ただ
みんなと同じでありたい、紛れていたいと思っている人から見ると
脅威であるのかもしれない
私の仲間には「変った奴」がいっぱいいる
世の中の常識からはみ出て、はみ出ている事に気がついてすらいない連中
愛すべき人たちだと思っている
(“30年以上もレースをやっている、変った人”など、その典型か)
しかし
しかし
当たり前の事だが
「普通」であることが悪い事でも、劣っていることでもない
「普通」である事も素晴らしい
「普通」も「変っている」も
それぞれの存在としての価値に、微塵の違いもないと言うことだ
※!
また一人「変っている事」に何のこだわりも持っていない
素晴らしい奴とあった
「リクルートスーツ」をびしっと決め
そして、何のてらいもなく「エアーシューズ」を履いていた
凛としたまじめさと、気負いのない考え方、口調
人を思いやるやさしさ
そんな彼に、その姿は、何の不具合もなく、違和感もなく
好感が持てた
本人は自分が変っているとはまったく思っていないだろう
しかし私から見ると、いい意味でりっぱに“変っている”
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