谷 好通コラム

2001年07月23日(月曜日)

第171話 インドネシアの友達

イヤ~ッ、インターネットってすごい!

 

私が高校時代からの友達Y・Iさん
インドネシアに単身赴任しているのだが
その彼から、暑中見舞いが、メールで届いた

 

ほんまにインドネシアから来たのかいな?
と思いつつも
返信を送ったら
ホントにインドネシアからメールが帰ってきた
しかも、しかも
長文にわたる、コラム風の素適なメールが

 

インターネットに国境は無い、とは聞いていたものの
実際に、メールが届くと
びっくり仰天である

 

時代はすさまじいまでの進み方をし
ITが世界を変えようとしている事を
実感として
早く理解しないとイカンと
またまた
思ってしまったのだった

 

こんな事は当たり前の事で、何を今更といわれるかもしれないが
私にとっては、大感動なのでした

 


以下は
今日たった先程
インドネシアから送られてきた
ホヤホヤのメール。どうしても紹介したくて・・
(プライバシーの部分は割愛しました)

 

「本日は、ニュースになっていると思いますが、
大統領が弾劾され、副大統領の昇格が、国民評議会と言うところで審議され決まりそうです。

 

ジャカルタの国会議事堂周辺には軍隊の装甲車が配備され警戒しています。
とは言っても日本にいる皆さんと一緒で、テレビで見ているだけですが。

 

今日は、朝から通常に会社に来て仕事をしています、
通勤途中のジャカルタの様子(国会周辺以外)は、いつもと同じ制服を着た高校生小学生の通学巣もいつもと変わりません。市民は冷静に今回の政変に対応している様に見えます。

 

ここが暑いと言っても、アパートも、事務所もクーラーが有り、工場の現場とゴルフの時が暑いだけで、日本の夏より過ごしやすいと思っています。

 

人生観と言えば少し日本に居る人とは違ってきていると思います。
たとえば日本がバブルで浮かれていた時、アメリカに居て経験していませんし、ブランド品が飛ぶ様に売れた話、全く実感出来ません。

 

ここでは、都会のジャカルタを1歩離れれば一般庶民の生活があります。
通勤途中で見る農村の空き地では、夕方子供がサッカーをしたり、凧上げをしています、
家屋は小さく、日本の現状と比較するわけには行きませんが、子供達の遊ぶ様子を車の中から見る限りは、私が子供の頃の、40年前の風景と二重移しに見え懐かしく感じます。

 

高卒の月給が5000円くらいですから、単純に比較できませんが、
あの頃に、見た目は似ているように思えます。

 

「日本の常識が世界の非常識と」言われており、毎日の生活の中で経験している普通の事を話すだけで、興味を持って聞いて頂けると思います。
一つの例を上げれば、毎日メイドさんが来て食事、洗濯、掃除をしてもらっていますが、パンツ、靴下までアイロンを上手に掛けてくれます。
そして私が払う月給は食事付きで高卒と同じ5000円(これでも日本食が出来るとのことで世間相場より高く払っています)。

 

旅行と違って生活する以上、言葉も覚えなくてはいけないので、一応バイリンガル3カ国語をまがいなりに話す事になります。
当地ではメイドと運転手、作業者にはインドネシア語で、マネージャクラスとは英語と日本語のチャンポン、変な言葉を話しております、それくらいが駐在を終えた時の自分の財産かなと言葉を一生懸命勉強しています。

 

時々、面白い話しが収集できましたらジャカルタ事情をメールしたいと思っています、あてにしないで
待っていて下さい。」

 

スッゴイじゃあ~ありませんか。
楽しみがまた一つ増えてしまいました。

 

※関係ないけど、グァムで撮ったきれいなトカゲ
ジャカルタにもこんなのが居るんだろーなぁー

 

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2001年07月23日(月曜日)

第170話 くやしい思い

一昨日、MINEサーキットに入って
今日、ジュニア耐久レース第2戦に参戦した
今は、その帰りの新幹線の中
(この文は7月22日に書いた)

 

レースの結果は、また“へなちょこレース日記”に紹介されると思うので
詳しくはそちらに譲るが
今回は残念であった事だけ
先に書いてしまう
しかし
いつもいつも、よくもこれだけと言うぐらいドラマがある

 

今回のレースは
私の身内の不幸があったので
本来ならば、出場は控えておくべきだったのだが
早く、自分にエンジンを掛けなければと言う事もあって
無理して参加する事にしてしまった

 

そんな事もあって
今回は、今までのように
意気揚々とMINEサーキットに乗り込むという訳ではなかった

 

何か重いものを引きずった感じを持っていた

 

余分に取った金曜の練習日は
いろんな事情があって
結局私は、レースカーには乗る事が出来なかった
おまけに愛車ゼッケン25のキーパーレビン号は使えないことなり
急遽、人の車を借りて出場する事になった

 

テンションは下がりっぱなし

 

翌日の本来の練習日
今度こそはと、意気込んでヘルメットをかぶった時

 

メガネの“つる”が、ポキンと折れてしまった

 

間に合わせで、へな?のメガネを借りて
とりあえず走る事にしたのだが
やっぱり、無理
乱視の強いへな?のメガネは、世の中が不明確に見えるだけで
コースがいつもの様子には見えなくて
怖くなってしまい
2.3周走ったところで、アタックするのはやめた
それでも
初めての車に少しでも慣れようと
ユックリと流して走っただけ

 

 

その日、練習が終わってから
下関に近い所まで行って、メガネを直すことは出来た

 

私としては
またまた、さっぱり意気の上がらない
超低テンションの一日となってしまった

 

そして本日
朝の予選が、その借りた車の実質的な初練習
それでも
予選結果はまあまあで
(大した結果ではないのだが、もちろん、へな?には勝ったので、それなりにご機嫌であった)

 

いよいよ本戦
2時間以上の長~いレースであった

 

そこで私は、大ポカをやらかしてしまった

 

へな?とハタケナカ君の大奮闘があって
非常に高い確率で“表彰台”
それもひょっとすると、前回よりももう一段高い所に行けたかも?
なのに
私の大マヌケな、あほなポカと、判断ミスと、弱気で
台無しにしてしまった

 

 

今回は何もかも
歯車がかみ合わなかった

 

しかし

 

「最初から、だいいちに無理があった
不謹慎にも、こんな時に
レースになどに出ようなどと、考えた事がイカンかった
だから
次から次へと
不都合な事が起こり
最終的には、自分のセイで皆に迷惑を掛けてしまった」

 

「ヤメテおけば良かった」

 

とは、私は考えていない
色々な意味で無理があったし
最終的には、ハッピーエンドではなかったが

 

「実行した事」
「やった事」
「アクションを起こした事」に、後悔はしない
「ヤメテおけば良かった」とは、断じて思わない

 

反省すべき事は多い
今回は反省すべき事が多かった

 

しかし、「やって良かった」とも思っている
くやしい思いが強ければ強いほど
「今度はこうしなきゃ」
とか
「今度こそは」
そんなエネルギーが、腹の底にたまってくる

 

何もかも自分にとって、裏目に出てきている時は
メゲテ
放り出したくなるのだが
それをやったら、それこそ、来た意味が無くなってしまう

 

事業を始めて17年
商売の上でも
こんな事が何度でもあった

 

良いと思って、全力投球した事が
なかなかうまく行かず
苦労ばかりして
結果が出せないこともあった
むしろそんな事の方が多かったのかもしれない
歯ぎしりする思いを、数え切れないほどした

 

そして
“事業が伸びる”時は

 

そんな“失敗からの教訓”が生きた時
そんな“くやしさのエネルギー”が爆発した時だった
成功は
必ず、“失敗の後にあった”ように思っている

 

そんな意味でも
今回は行って良かったと思っている

 

しっかりとエネルギーを貯めてきた

 

※小郡→広島→名古屋と、新幹線で帰って来たのだが
小郡→広島の指定席が取れず、しかも満員で
42分間だけだが、デッキに座り込んだ。
初めての経験で面白かった

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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