2001年10月19日(金曜日)
251話 親子三代綿々と
私は親父に、ず~っと反発してきた
親父に私自身のことについて何か言われると
まるで、条件反射のように反発した
息子である私にとって、親父は無条件ライバルと言うことか
言っていることが正しいと分かっていても
「そんなことは、言われなくても分かっている、」と、やはり反発した
今日は、親父の“百か日忌”の法要であった
亡くなるときに、初めて真正面から親父の顔を見たのかもしれない
その時に、初めて心が開いたのかもしれない
しかし
法要の御経を、聞きながらも
「親父が生きていて、今の自分を見たらきっと、こう言うだろうな」
と、想像しただけでも、ほんの少しだけムカッとしてしまった
ホントに立ちの悪い、反抗期のガキそのものが
まだ自分の中に残っているのか
思わず苦笑いをしてしまった
そんな私を
私の母、お袋は「アンタは、お父さんそっくりだよ。性格が」と、言う
絶対そんなことはない、と言い張るのだが
娘たちまでが、その通りだと言う
私は、親父から「お前のために、こんなことをしてやった」
というような、“恩を着せる”みたいことを言われるのが、一番嫌いだった
自分は自分で、一生懸命やっているのに
親父のおかげ、って言われるのには、ひどく反発した
どういう心理状態になっているのかは、自分では全く分からないが
とにかく
その手の話が一番嫌いだった
それは、私の息子にとっても、きっと同じことだろう
私は私で、親父が私に対して言ってきたことを
見事に再現して、息子に言っている
一体、これは何なのだろう
自分が親父から言われて一番嫌いだった言葉を
全く同じ言葉で、わが息子に言っている
息子にとって、言われたら一番イヤであろう言葉を
わざわざ、その言葉を選ぶようにして言う
そして、それが、まるで公式かのように
昔、私が親父に取った態度と同じ態度を
これまた見事に再現して、息子は私にぶつけてくる
ひょっとしたら、同じことを代々にわたって、綿々と繰り返してきたかのように
この関係は、私が何かを変えないことには、終わらないのであろう
しかし、条件反射的にそのモードになってしまう
いずれにしても
息子と親父の立場を両方経験したのは
私の方である
だから、それを何とかできるのも私の方である
私自身が自身を何とかすることしか出口はないのであろう
分かっちゃいるが
で、
親子三代にわたる
バカバカしい三文劇に終わりを告げるのはいつのことやら
ちょいとだけ、今日はめげている
これが昔の青春ドラマなら
海に向かって「バカヤロー」の場面である
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2001年10月19日(金曜日)
250話 秋、天高く・・
さわやかな秋空が広がっている
朝起きた時の
その寒さに
夏が終わったことを、しみじみと感じる
今年の夏は、随分たくさんのことが次から次へと起きた
でも、考えてみると
べつに今年の夏だけでなく
いつも、山ほどのことが起きては、過ぎてきたような気がする
いつだったか
「いつか、どっかで少しだけ前に進むのを休まない? 疲れちゃった」
と、弟である常務が言ったことがある
それで、私は
「そりゃそうだ、走りっぱなしじゃあ、かえって良くないよな。そのうちぜひ一服しよう」
などと答えた
いつのことだったか
多分5・6年前のことか
でも今も、あのときより3倍ぐらいにスピードアップして走り続けている
こんな空が高くて、気持ちのいいお天気の日には
ふと、あの時、話したことを思い出してしまった
先に進めば進むほど、どんどん大きなチャンスが見えてきて
休むなんてとんでもない
とばかりに、かえってスピードを上げてきてしまった
どこまで突っ走るのだろう
いつも、そろそろ自分の能力の限界かと、思いつつ
頑張っている内に
もっと行けるような気がしてきて
いつの間にか、またスピードアップしている
今日のように、さわやかな空を見ていると
「やっぱり、チョッと休んでもいい頃かなぁ~」なんて思ったりしたり
そう言いながら、来週、ドイツまでも行ってしまう
行ったら行ったで
またパワー満タンで帰ってきて
イヤンなるほど走り始めるのだろう
自分で自分をコントロールできそうにない
ヤッパ
行くとこまで、行くか
とりあえず皆さん、行って見ちゃいましょう
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