2002年03月10日(日曜日)
371話 洗車とラーメン?
人それぞれの好み
うまいラーメンは、人それぞれ。
ある人には、たまらなく美味しい“こってり豚骨ラーメン”も、他のある人には、見るだけで胸が焼けそうになる大嫌いなラーメン。
洗車で言えば、一旦、車を洗い磨き始めると没頭してしまい、とことんやらないと収まらず、まるまる一日潰してしまう“洗車マニア”もいる。逆に、それを見たある人は、「ただの機械の車なんかにあんなに夢中になるなんて、バッカじゃないの」と言う。
人それぞれである
私なりに、洗車の好みを、偏見を持って、分類してみる。
?洗わないことをスマートと思っている人
欧米に住んでいたことのある人、あるいは、よく行く人にそんな人が見られる。
私が知っている人で、ベンツのSLKに乗っていて、“洗わない”猛者がいる。
また、洗車に深く関わった仕事に就いている人で、「車なんざ走リャ~いいんだよ。一生懸命車を洗う気持ちわからね~な~」などと言う猛者がいる。医者の無養生を絵に描いたような人だ。こんな感じの人は結構多くて、アンケートでは5~10%ぐらいであった。
良い悪いではない、車に対する価値観が「道具」であるということ。ちなみに上記の二人は、仕事の出来る、自分自身の価値観をしっかりと持ったすばらしい人であり、洗車に対する考え方は違っていても、私はこの二人が大好きである。
こういう人は、洗車ビジネスの対象にはならない。車を洗うことを生業としているものから見ると、商売的には絶望的な人達か。
しかし、洗わないという事も、あるいは磨かない、何も塗らないという事も、ある意味では正解でもあるのだ。
塗装は元々の性格として親油性であり、汚れを引きつける傾向がある。その塗装を全く洗わなかったり、あるいは水で洗うだけで、ワックスなどの保護剤を全く塗らないと、有機物である塗装の樹脂は、日光の紫外線(UV)で徐々に劣化していく。つまり、UVに有機物としての分子構造を切られ、親油性が落ち、親水性が強くなってくる
親水性がある程度強くなってくると(水を全く弾かない状態)、汚れが塗装についても(つまり車が汚れても)、雨などの水で、ある程度の汚れが流れ落ちてしまうのだ。
だから、全く洗わない、あるいは手入れをしない車というのは、ある程度キレイな状態が保たれるものなのだ。しかし、塗装の表面がUVによって、ミクロの世界で破壊される事なので、艶は良いとは言えず、あまりピカピカではない
決してお勧めできる方法ではない。
(参考)
TOTOのハイドロテクトボディーコートは、塗装の上に「超親水性のコート剤」を塗ることによって、UVを遮断しつつ、親水性の持つ「雨などの水によって汚れを洗い流し、車はあまり汚れない」という性能を活かしたものだ。
(この場合ただの親水性ではなくて、超親水性なので、かなりすごい性能がある)
ただ、この超親水性を生み出しているのが「酸化チタン」という白い粉なので、昨日のこのホームページの「ユーザー質問箱」の投稿にあったように、色の濃い車に使うと、場合によっては、なんとなく白っぽくなる事も否めない。メーカーの東陶機器も、真剣に研究しているので、いずれは解決されるかもしれない。今後に注目。
?“とりあえず”泥を落として、サッパリしたい人
“身だしなみ”の延長線上として、とりあえず車をキレイしておきたい人。どちらかというと、車に愛情を持つ方ではない。
車を衣服の一部と考えている。だから特にピカピカでなくても、とりあえず清潔である事が必要だと考えている。洗車=洗濯ということか。
ごく普通のスタンドはこのような客層を、洗車客として獲得している。
しかし、そのために時間とかお金を書ける事を、どちらかというと無駄だと思っており、セルフの連続洗車を非常に便利とも感じている。加えて、連続洗車機にかけるだけでは洗い残りが有るし、拭き上げる手間があるので、その部分をサービスでスタッフがやってくれれば、一番便利であると、思うのであろう。
?バリっとしていたい人
同じく“身だしなみ”と考えている人でも清潔であるだけでなく、“バリッ”とした服装でいたい、つまり車も“キチンと綺麗”にしていたい人、でも別に車に愛情を感じているわけでもない。そんな人がきっと一番ツライ。自分が納得出来る「キチンとキレイ」を、どこかでやってもらうことが出来る店があればよいのだが、なかなか無い。つまり“スタンド洗車”では納得できない人たちは、自分で洗うしかない。でも洗車が決して好きなわけではない。自分の欲しいキレイさが無いから、仕方なく自分で洗車をやるのだ。
このような人は、ビックリするほど多い。
実は、快洗隊が引き付けている客層のかなりの部分が、このような人たちなのだ。
この人たちは、“洗う”キレイさだけでは納得できない。キチンと水垢が取れていて真っ白であったり、ピカピカに光っていたり、バッチリ水を弾いていたり、“磨いたきれいさ”までを求めている。
もちろん、あるレベル以上の洗車のクオリティを備えたガソリンスタンドは、このような人たちも上客として獲得している。
しかし大勢としては、彼らは満たされてない未開のマーケットとして想像以上にまだ存在している。
?車に友情とか、愛情を感じている人
家族の共有している愛情の一つの象徴として、我が家の車に対して友情を感じている人は非常に多い。そして多くの場合、車種は1BOXであり、3列シートのユーティリティーカーなどである。
洗車はお父さんの大切な仕事であったり、家族の共有の仕事であったりする。しかしたいていは、洗う行為そのものが目的ではなく、キレイにすることが目的なのだから、家族の大事な時間を洗車に取られるより、洗車をやってもらえる所があれば、それでも良い、あるいはその方が良いと思っている。
しかし、大切な家族の車、乱暴には洗って欲しくない。大きな音が出て、バシャバシャと車を叩くあのスタンドの洗車機は、どうも好きになれない。結果として自分たちで洗っている。そんな場合が多くある。
これは?のタイプとニーズは結果的に同じであり、快洗隊の大切な客層となっている。
?お金に大変余裕があり、キレイにはしていたいが、少々雑でも気にならない
大型車を初車検のたびに、新車に買い換えている人たち。
洗車の質については意外なほど無頓着である。
数は多くはないがスタンドの顧客にもなっているようだ。
?車にかなりの価値を感じており、愛車は自分のアイデンティティーとすら思っている人も
ほとんどの人が自分で洗っており、磨いている。人には洗車を任せられないと思っている気持ちが共通点だ。それぞれにこだわりを持っており、キレイにする場所、方法に自分なりの流儀を持っている。洗車に使うシャンプーからワックスまでこだわった商品を利用している場合が多い。そして若い人に多い。
意外な事に、こういう人が多く快洗隊のファンになっている。
「やっぱりプロの洗車、プロのコーティングはうまいなぁ、ここに任せた方が車にいいかも知れんなぁ」なんて思っていてくれるのだろうか。
決して特別に所得が多いとは思えないような若い子が、大切な愛車を快洗隊で洗い、磨きに来てくれている。
?異常なほどの愛情、執着心を車に持っている人
ごく稀にだが、異様に思えるほどの愛情、むしろ執着心を愛車に持っている人がいる。その異様さは、その人の人格を考えさせられるほどだ。
ホンの毛ほどの擦り傷を自分の車に見つけた時、今の洗車で付けられたと執拗なまでに責任を問うてくる。有り得ない事であることをいくら説明しても、口汚くこちらを非難し、大きな被害を被った事故の話のようにこちらの人格をも否定し、執拗に迫ってくる。だが決してこちらを直視する事はなく、視点と焦点を宙に浮かせて喋る。それがこういう人の特徴。私達はこのような人とは、出来るならば関わりを持ちたくないと思っている。
多分に偏見と独善的な見方かもしれないが、思いつくままに書いてみた。
車に対する好みと同じように、洗車に対する好みも、実に多種多様である。
ひょっとしたら、ラーメンのそれに負けずとも劣らぬ多用さかもしれない。
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