谷 好通コラム

2002年03月20日(水曜日)

376話 大変!壊れた!

昨夜3月19日夜~20日の昼過ぎまで
このホームページSENSYA.comが止まってしまった

 

原因は、レンタルサーバーの契約先を変えたためのトラブル

 

新しいサーバーの準備が出来たところへ、データを全部移して
今までのサーバーからカットされる準備をして
その時を待たなければならないところを
新しいサーバーにデータを移すのを忘れてしまっていたのだ
と言うより、気がつかなかったらしいのだ

 

新しいサーバーにデータが無いまま
契約の切れた今までのサーバーからカットされ
19日の深夜
SENSYA.comを呼び出すと、見知らぬトップページ
つまり、新しいサーバーの受け入れスタンバイOKの
画面がジッ~~~と、出ていて
びっくりした

 

ITリーダーも何のことか分からず
戸惑うばかり
しかも、彼は四国で営業の仕事・デモをやっていて
本社のパソコンを使えない
四国での仕事をやりながら、携帯電話でやり取りする
きっと
「イライライライライラ」であっただろう
彼にとっては、いい勉強になった

 

結局、3月15日の朝に取ったバックアップを
新しいサーバーに落として
とりあえず、SENSYA.COMは復活した
しかし
15日朝以降から20日午前中にあった投稿は
全部だめになってしまった
本当に申し訳ないことをしてしまった
改めてお詫びいたします。

 

たまたま「はじめの一歩」は
データを、自分で保存していたので
復活をすることが出来た
だけど
8つの話ぐらいが、全部3月20日の日付になってしまった
チョッと変だけど、しかたがない
バックアップは面倒だけど小まめにやった方がいいですね

 

※私の誕生日祝いに花を贈ってくれた人がいた

 

 

会社の人たちが、「花と一緒に記念写真を撮りましょう」
と、冷やかすので、私は照れくさくなってキッパリと断った
断ったあとでコッソリと
自分で自分の記念写真を撮ったのでした
送り主は
今度新しくHP関係のブレーンとして参加してくれる会社の代表の人
もちろん女性

 

あーりがとー (^_-)-☆

 

 

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2002年03月20日(水曜日)

375話 50歳と快洗Boss

福岡からの帰りの飛行機の中で書き始めた
今日は私の誕生日
とうとう50歳になった

 

本人の意識としては、とても50歳とは言えず
まだまだガキの領域を抜け切っていない、そんな感じがしている
そうは言っても50歳は50歳
事実として50歳である
何度も50歳と自分で書いていると、嫌になってきてしまう

 

私は32歳で独立した時
50歳まで死に物狂いで働く、そして早々に引退して、後は好きなことをやる
そう宣言してきた
しかし、なかなか思うようにはいかず
やり残したことが多すぎて
去年の正月に、55歳までは一生懸命働くと、宣言をし直した
あと5年

 

その話を、よく知っている社長に話したら
「冗談じゃない、50歳なんてヒヨッコで、55歳でも毛が生え揃ってきたぐらい
引退なんて口をするような年齢ではない」と、お叱りをいただいた
彼いわく
「日本マクドナルドの、田社長は50歳で日本マクドナルドを興し、
25年後、75歳の今、日本一の外食フランチァイズチェーンを作り上げた」
だそうだ
この話は以前のこのコラムでも書いたことがある

 

その社長とは、洗車の事業についてかなり大きな話を進めていた
ところが
いざ実行の段階で、急にストップが掛かってしまったのだ
この社長は、たしか37~8歳
その親父さんが会長である、お歳は聞いたこと無いが70歳前後であろう
その会長が
「洗車なんざ、商売になるわけが無い、だめだ!」
と、“鶴の一声”だったらしい
こちらの担当は「ヒェ~ッそんなばかな」となっていた

 

しかし、この社長
私が、「55歳で引退したいと思っている」との話しに
「冗談じゃない、55歳なんてまだまだですよ」とおっしゃっていたのは
この会長
元気な親父さんの存在が、強烈に効いているのだろう
そう気がついたとき
その社長のことが、もっと好きになったのでした

 

今日は福岡営業所/スクールに、「快洗Boss」が据え付けられた
この新開発の「手洗い機」
想像以上の反響があり、これからが楽しみである

 

※苦労して中に入れようとしている「快洗Boss」
快洗Bossの幅が3,600mm
入り口の幅が3,650mm
わずか50mmの余裕しかない、中に入れるだけで1時間ほど掛かってしまった

 

 

中に入れたら、今度は水平移動
どうやって動かすのかと思っていたら
30分ほどゴチョゴチョと下の方をいじっていたら、なぜかゴロゴロっと動いてしまった

 

 

所定の位置につけるまでに大変なご苦労があって、やっと収まった
それから、色々な装備品を取り付けて、ずいぶん様になってきた「快洗Boss」

 

 

大変な場所への据付にも、文句ひとつ言わず
ニコニコとして作業を進めてくれたダイフクユニックスの山本さん
私も、こんな表情で仕事を出来るようにならなくては、イカンなぁと思ったのでした
もうお一人の方と、運転手さんのお名前は聞きそびれてしまった。ごめんなさい

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2002年03月20日(水曜日)

おわびのキャンギャル?

誤解されると困るが
私はMINEサーキットに
キャンギャルを撮りに行ったのではない

 

山本君の応援に行ったのである
あくまでも

 

たまたまキャンギャルがいたので
ついつい撮っただけなのである

 

まっ、そんなことどっちでもイイか

 

では最後の3ぺーじめを

 

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2002年03月20日(水曜日)

おわびのキャンギャル?

さあ!続けて2ページ目

 

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2002年03月20日(水曜日)

おわびのキャンギャル?

このところ、くどい話が続いた
疲れてくると、ネガティブな発想になりがちだし
世の中を一方的に批判するような書き方になってくる
私は評論家ではないので

 

この傾向をイカンなぁと、思っていた

 

MINEのビックレース
「スーパー耐久レース」を見に行ったとき
キャンギャルがいっぱいいたので
つい、つい、たくさん写真を撮ってしまった

 

おわびの印に
キャンギャルの一挙公開と行こう!(^^)!

 

しかも
3ページ×3枚の豪華版である
では1ページ目

 

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2002年03月20日(水曜日)

374話 ネガティブ?

前話で、助け合うことの力のことを書いた
そして、その力がだんだん退化してきていることも
「火の着いたタバコを平気でポイっと捨てる輩」のことに例えて、書いた

 

今日は競争原理の話

 

人は助け合い力を合わせることによって、大きな力を得、淘汰に勝って来た
とも書いた

 

では、争うことは無かったのか
とんでもない
人の歴史は、戦争の歴史でもある
生き物としての淘汰に勝ったのは、
人間同士、つまり同じ種同士が争う中で
その勝者だけが生き残り、支配し、強いものが生き残ってきたことによって
種そのものが
より強いものなっていく
これも、淘汰のあり方のひとつ
「競争の原理」である

 

しかし、争いは文明が進み
兵器が発達することによって、「戦争」となった
大量の死者を生み出す戦争となった
これは「競争の原理」が暴走した形
種の保存に役に立ってきた「競争の原理」が、
国家という権力機構の発達と同時に、暴走し、歯止めが聞かなくなって
種の保存になんら関係ない「戦争」に発達してしまった

 

しかし、もっと文明が発達して、現代
兵器そのものが種の絶滅に直接つながるような力を持ったとき
つまり、核兵器が発達したとき
種の保存という生き物の存在そのものにかかわる絶対的な原理が働き
大きな戦争は抑止され
人類の歴史そのものを左右するような戦争は終わったが
地域限定の戦争は、面々として続いている
戦争によって人類が滅亡するかどうか、この先全く分からないが
とりあえず、人類全体を平均して言えば、平和になった

 

そして、現代の歴史、それも直近の歴史の中に「共産主義国の崩壊」がある
この崩壊は、まず経済の崩壊から始まり、政治の崩壊につながった
その原因は単純だと、私は思っている
共産主義の下では、「よい商品=消費者が欲しい商品」が出来なかった
たったそれだけのこと、と思っている

 

平和で平等な世界を夢見て作られた共産主義は
強固な権力機構の基に
国民全員が、国民全体のために働き、すべての人が繁栄することを求めた
その代償が「名誉」であり「勲章」であった
これはひとつの理想の姿であった
が、しかし
残念ながら、そこに前向きの競争原理は発生しなかった
それよりむしろ、官僚の権力集中により
そして、官僚、権力者もただの凡人なので
その思想は
ただの権力闘争の道具に成り下がってしまい
結果として、国民の一人一人が働く動機を作るには
崇高な思想による名誉より、むしろ恐怖を用いたほうが簡単であり
権力者は何のためらいもなく、それを選択した

 

スターリンであったように、ポルポトであったように

 

人々は働くこと、仕事をすることに、ポジティブな動機を失ってしまい
商品開発の競争の原理は無くなってしまった
市場には、魅力的な商品、そそるような商品は存在せず
無いと困る商品、必要な商品だけが残った
消費者は、消費意欲を見失い
経済は沈滞し、経済は崩壊に向かって萎縮していった

 

そんな時
資本主義諸国、というより、むしろ自由主義諸国は「機会の平等」を掲げ
競争することを善とし
より魅力的な商品を開発することによって
あるいは、合理化によってコストを抑え
消費者がもっともっと消費したくなるような商品作りに、競争のしのぎを削った
そして、消費者であるのと同時に
生産者あるいはサービスを提供するものでもあるすべての人々は
より魅力的な消費を、より多くしたいと考え
所得を増やすことに一生懸命になる
所得を増やすこと
つまり生産者、サービス提供者としての能力を、自らの努力によって
人より上げ、競争力のある存在になろうと努力する
この拡大的な循環によって
経済は活性化され
結果として、自由主義の経済は
共産主義国の、理想が空洞化した形だけの名誉にしがみつくによって
萎縮の循環の経済を
桁違いの力とスケールで圧倒し、崩壊に導き
経済的な意味では、植民地化と言えるまでの存在に蹴落としてきた

 

競争の原理により、淘汰に勝ち
種の保存・繁栄を勝ち取ってきた人類は
競争は、種の根源の動機である
競争あるところに繁栄がある
競争なきところに繁栄なし、といっても過言ではない

 

人が、地球の歴史上かつて無いほどの、種の繁栄を勝ち得たのは
「助け合うことの力」と「競争の原理」
この両方を、両立して持ち得たからだと
私は思っている

 

一見、相反したこの2つ要素がどう両立するのだろうか
そのキーワードが「愛すること、と、被害者でないこと」
この言葉の意味については、また今度

 

今日、これを福岡のホテルで書いている
MINEサーキットに、レースを見に来た
今年から37番シビックに乗って挑戦する「山本君」を応援するため
彼は、この37番を、身銭を切ってレンタル、レースに挑戦する
結果は7台出走中、4位
初レースにしてはまあまあか
彼のことはまたいずれ

 

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2002年03月20日(水曜日)

373話 ネガティブ?

私が大嫌いなことのひとつ
車の運転をしながら
火が着いたままのタバコを、窓からポイと捨てること
見ただけで腹が立つ
大嫌いだ
ひどい場合は、運転席と、助手席から同時に捨てるのを見たことがある

 

灰皿が汚れるのが嫌だから
灰皿を使わずに、外に捨てるのだそうだ
やっている本人に言わせると、「キレイ好きだから」だそうだ
冗談じゃない
自分勝手なだけである

 

自分の灰皿が汚れる事と
道路が汚くなり、ましてや火が着いているのだから
人の家や道路が火事になるかもしれない事を
天秤にかけた時
「火事になったって、人のことだから知ったことじゃない
そんな事より、自分の車の灰皿が汚れないほうが大切だ」
そういう価値観は
人間として“最低”である、と思う
自分の車の灰皿が汚れるのが嫌なら、タバコを吸わなければいいだけ
根っからのエゴイストだと思う

 

成熟した人間は、社会性を強く持ち、知的である

 

人間も、赤ん坊の時は自分勝手・エゴのカタマリで
与えられることだけを当然の権利として主張する
満たされなければ、神経を逆なでするような声で泣きわめくだけ

 

人間も未熟であるときは、エゴのカタマリである

 

それが成長するにしたがって
人のことを思いやるようになって
お互いがお互いの事を大切にして、助け合って、
社会というものが形成されていく

 

相互扶助の関係を作ることによって
一人一人の力がバラバラである時より
助け合う集団の力は、凄まじく大きいものになった
原始の時代
たくさんの人が力を合わせて、自分の何十倍もあるようなマンモスをも倒した
そして、獲物を奪い合うのではなく、分け合うことによって
より多くの人が生き残ることが出来た
つまり、淘汰に勝つことが出来た

 

人は、腕力も、牙の力も、走力も、他の種に決して優ってはいなかった
しかし、圧倒的な力を発揮したのが、「助け合う力」であったのだ
人は助け合うことによって
「種の淘汰」に勝ち残ることが出来た
そして、今の繁栄を勝ち得ることが出来たのだ

 

その“力”が文明の発達に従って<弱くなってきているのか
助け合うことは損な事
そんな価値観すらまかり通っている

 

人は、未熟な時はエゴのカタマリであっても
成熟するに従って
助け合うことを身に付けて、大きな力を得ることが出来た
そう考えてみると
火の着いたタバコを、ポイッと、窓から捨てる輩は
体がデカイだけの未熟な人間か
あるいは退化し、下等動物になりつつある人間か

 

いずれにしても
人が、本来の強さから退化しつつあることは認めざるを得ない

 

自分の未熟さを
あるいは、下等動物ぶりを
「キレイ好き」だから、なんて思っている者がいるとしたら
考え違いもはなはだしい

 

タバコを吸いたいけど、灰皿を汚くしたくない人!
快洗隊に来るとイイ

 

どんなに汚れた灰皿でも、新品同様にピカピカになりますよ!

 

キレイなものは、とても気持ちをやわらげてくれます。

 

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2002年03月20日(水曜日)

372話 やり始める事

パソコンが復活しました!

 

「洗車とラーメン」の続編は、シリーズ物としてボツボツ書いていくことにした
続けて書いていくとキリがなくなりそうなので

 

今日の話は、する事・しない事
私は今、ゆっくりのペースだが「権限委譲」を実行している
この会社は私のワンマンでやってきた
もちろん、決して私一人の力でやってこれたわけでもなければ
みんなの力があってこそ、なのだが
事の始め、「起動力」はいつも私にあった
これはうぬぼれでなく、そうであった
良い意味でも、悪い意味でもそうであった
私が起業し、私の感性でやるべきことを決め、「起動」してきた
そして引っ張ってきた

 

限界を強く感じている

 

車でも、停止の状態から動き始める時に一番力が要る
いったん動き始めたら、加速するのはまだ楽だし、低速を維持するのはもっと楽だ
0から1にする時に、一番パワーがいる
しかし、私はこの最初の一番パワーがいる部分がもっとも得意で
全力を出すことが好きですらある
そのことについては、まだまだやりたい事がいっぱいあって
仕事も遊びもやりことだらけで
気力も十分である

 

ところが
どんどん新しいことをやっていこうと思うと
他のすでに動き始めていることを加速することも、怠ってはならないし
順調にいっていることを維持することも、決して忘れてはならない
こういうことも私自身は決して苦手ではない
キャッシュフローも半年先ぐらいまでは頭に入っているし
“続ける”ことに、それなりの自信も持っている

 

限界を感じているのは

 

自分が一人分の脳みそと、体と、口しか持っていないこと
何でもかんでも自分でやらなきゃと思っていると
かえって、事が進まなくなってくる

 

それに加えて
仕事が多岐に渡ってくると、一つの感性だけでは対応しきれなくなってくる
みんなの新しい感性がどうしても必要となってくるのだ
だから
みんなの力を、「起動」の時点でも発揮してもらうようにしないと
ここからもっと前進していくことが出来ない

 

そう思って、今は何かを言い出す、やり出すということを、出来れば控えるようにしてきている
しかし、まだ正直言って、うまく行っているとは言えない

 

でも、ずいぶん進んできていることは確かで
自分が何かを仕掛けたことについて、どこかで人に引き継いでいくことは随分出来るようになって
任せることに慣れてきた
任せた方がうまく行っていると感じることもある
その点では本当にありがたいと思っている
しかし、自分で考えて、何かをやり始める、何かを「起動」するということにおいては
一部を除いて
まだまだ、である

 

「起動」とは、0から、自らの発想だけを頼りに、何かを作り出そうということ
漢字で書けば「創造」

 

何か始まっていることを進めていくのは、その方法と、目標がある程度はっきりしているので
割りにやり易い

 

眼の前にやらねばならない事があれば、当然やる
毎日の事をこなして行く、という行動
こういうことすら「やらない、やれない人」は問題外であって、早くやめてもらった方がいい
そんな人は、少なくともここには“いない”
毎日の眼前の事を、こなしていくことは、大抵の人は出来る
しかし、今まで無かった物を、あるいは無かった所で、何かを始めることは
行動に手がかりが無いので、行動を始めるのが非常に難しい

 

高い目標を達成するには、目の前に現れたことをこなしているだけではダメだ
そういう行動だけでは、良くて現状維持、ほとんどの場合はジリ貧になって行く
あるいは、時代に取り残されていく

 

高い目標に対して、真剣に達成したいと思うなら
新しい物に、あるいは新しい所にアタックすることが必須である

 

新しいことをやることは
「朝、一人で起きることに似ている」
布団の中は、あったかくて極楽である
ヌクヌクなのだ
特に今の季節は「春眠、暁を覚えず」と、なかなか布団から出るのがつらい
そのあったかい極楽から“自分の意思”で抜け出ることは、大変強い意思がいる

 

誰かに起こしてもらったり
あるいは、起きなければならない理由、たとえば仕事に行かなければならない
誰かと約束をしていて、早く起きないと約束を破ることになり大変なことになる
などなど、起きなければならない理由があれば、つらいが、何とかがんばって起きることになる

 

ところが、起きなければならない理由が切羽詰ってはいない場合
極端な話で、たとえば、ホームレス
朝起きて仕事を探しに行かないと、今の生活から抜け出せない
元の普通の生活に戻りたいとは思っているが
でも、それは“明日でもいい事”で
今日の今、それをしなければならない理由はあまり無い
今日のところは、このあったかい布団を楽しんでおこう
仕事は、明日、探しに行けばいい
明日になると、また同じ事を考えて、仕事を探すのはそのまた明日に伸ばす
結局、そのまま夏を迎え、暑すぎる時に仕事をするのは体に悪い
秋になって涼しくなったら
仕事を探しに行ったほうがいい
食べ物はその辺にいくらでもあるし、そんなにあせることは無い
秋になれば
また布団が心地よくって、仕事を探すのは明日にしようと、毎日思う
冬になれば、仕事をするには寒すぎる、となる
来年になっても、再来年になっても、ずっとそう思いながら
朽ちていく

 

※ここ新宿の高層ビル街にもホームレスはいっぱいいる
彼らもこの風景を、あったかいダンボールという布団の中から見ているのだろうか

 

 

その生活を抜け出せるかどうかは、仕事を探しに行こうと思ったとき
切羽詰っていなくても、自分の意思、意思だけで「起きる」
それが出来るかどうかだけ

 

新しいことをやる、ということもよく似ている
眼の前の仕事を、こなしていれば、とりあえず今日は仕事をしたことになる
新しい物を創ったり、あるいは所で仕事をし始めなければ、伸びないことはよく分かっている
よく知っている
このまま、今まで通りのことをしていたのでは、伸びていけないし
いずれは負けることも知っている

 

そして
新しいものは、自分の意思で創らなければ、出来ないし
新しいところが、あっちから自分の目の前には来ることはないし
自分から新しい所へ行かなければ、その新しいものが自分の目の前にはならない
それも知っている
でも
今は、それが自分の目の前にあるわけではないので、何も切羽詰っているわけではない
だからそのうち、機会があればと
その場でいつものことをし続ける
別に、今日新しいことを始めても、何も悪くは無いのだが
切羽詰ってはいない
だから、明日にはしようと思う
明日もそう思う
あさってもそう思う、明日こそは!
来月もそう思う、来月こそは!
来年もそう思う。来年こそは!

 

新しいことが始められるかどうか
新しいものを創ることが出来るかどうか
新しいところへ行けるかどうか
それは、そう思った“その日”、“その瞬間”に、何らかのことをやり始めることが出来るかどうか
“その時”、「やるかどうか」だけ

 

切羽詰らなければ何も出来ない人が多い、これは思ったより深刻なことなのです

 

やらないこと
しないことは
ヌクヌクしているだけ
何も生み出さない

 

「やること」からしか何も生み出されない
0から何かを「起動」させることが出来るかどうかは
実は自分の意思で自分を動かすことが出来るかどうかだけ
たった、それだけで決まる
ヌクヌクの布団から自分の意思“だけ”で、起きられるかどうかだけ

 

新しいことをやると、多かれ少なかれ、必ず挫折がある
挫折なんて、何度やったって、平気、平気
立ち直ればいいだけ
挫折が怖けりゃ、ヌクヌクと寝てればいい
だけど、何も得られやしない
挫折は、つらいが、きっと何かを得られることが出来る
そのほうが絶対、トクですよ。

 

今回は「禁煙」に挫折したOGINO
挫折の数なら自慢するほど持っている、と言っていた同期のHIRAI
彼らは、自分の意思だけで起きることが出来るたのもしい奴等である

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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