2003年02月27日(木曜日)
652話 54年目の閉店
名古屋のど真ん中
名古屋駅と伏見通りの中間の、堀川に架かる「納屋橋」
納屋橋から掘川の東岸沿いに南に下って何軒目か
5軒長屋の一番南側に
ちっぽけな、本当にちっぽけな料理屋さんがある
「当り家」という
昭和25年から店を開いていて
今年で54年目
女将は八木法子
当年とって満78歳
かぞえで80歳
バリバリの現役である
この店に行きはじめてから30年ぐらいになるだろうか
私がまだ20歳のころ
女将がまだ60歳前のころであった
その頃からの女将の相棒は“さだこさん”
30年前、私がこの店に行き始めた頃からずっと、この二人でやっていた
二人のやり取りを見ていると
お互い仲が悪そうに見えるのだが、必ずいつも二人で、一緒にいる
まるで本当の兄弟のようだ
ここの料理はおいしい
レパートリーは少ないが、まことにおいしい
この店の近くに柳橋というでっかい魚市場があって
名古屋中の寿司屋さんとか料理屋さんが、ここでネタを仕入れに来る
女将は毎朝、この柳橋に自転車でネタを仕入れに来るのだ
この店の料理がうまいのは
そのネタがいいからというのが女将の言い分
しかし
女将の言うとおりネタもいいが
そのネタさばきと、味付けが、女将の腕であることは疑う余地が無い
「季節の付き出し」
「カレイ、赤貝、白身、赤身、などの刺身」
“さんかもり(?)”で、出る
「ポテトサラダ」
・・・・これが絶品!私の大好物
「カワハギor赤魚orメジナorカレイの煮魚」(どれかの魚がある)
豆腐と一緒に煮るのだ
その甘がらい煮汁と煮具合がこれまた絶品。
魚を食べたあと、汁をすすりたいのだが
すすると「行儀が悪い」と叱られる
必ず、アラと一緒にお椀に入れて、熱い湯をかけ椀汁にする
または「サンマorかますorナントカいう魚の焼き魚」
あとはその日の好みで
「ひれカツ」
「渡り蟹」
あるいは好物の「ポテトサラダ」を、また食べて
それだけ
何ともシンプルなメニュー
それでも、一つ一つの料理が楽しみで
何が出てもワクワクする
一度も「飽きた」と思ったことが無い
といっても
30年間で何回来ただろうか
来るといっても年にホンの数回だから
それでも数十回ぐらいか
ここの煮魚、焼き魚は、どこで食べるよりおいしい
安くはない
しかし、一人3千円を超えることもない
その味の洗練度を考えると、これは安い!
なのに
この女将、変なこだわりがあって、決して現金での支払いを受けとらない
必ず、あとで請求書を送ってくるのだ
「うちは現金もらわなイカン客は、一人もおらん」のだそうだ
そう、この店は一見さん(いちげんさん)お断りなのだ
一流の料亭並みなのだ
たった10人しか座れない
ちっぽけな、ものすごくちっぽけな店であっても
ここは居酒屋ではなく、いっぱしの料理屋さんなのです
54年目の今年の冬、閉店することになった
本当にさみしい
激しく変わっていく時代の中で
何十年も変わらない心の安心が、ここにあった
30年間、何も変わらない空間と、人と、空気が、やすらぎが
歳とって
無くなってしまう事が、信じられない
何もかもが変わってしまっていく中で
ここだけが、私の中で変わらなかったような気がする
それが無くなってしまう事になって、はじめて気が付いた
親父さんに言われてきたそうだ
「水商売は一番下賎な商売だから、毅然としていなければいかん」
「水商売はお客を気遣う商売だから、近所にも気遣いできなきゃイカン」
「水商売は・・・・・」
女将から
いっぱいの話を聞いた
毅然とした生き方
54年!
54年も同じ店で、商売を続けた
想像を絶する時間が、変わらずに毅然として流れた
明日で最後
閉店の挨拶の手紙をもらってから
必ず行かなくてはと思っていたが
最後の日には行くまいと思っていた
何とも、辛いではないか
それに、私のような若造が
大切な最後の日にいては、場違いのような気がしたのだ
結局、誰も誘う気にならず
だまって、私にとっての最後の「当り家」で
刺身食べて、煮魚食べて、ひれカツ食べて
そして、大好物のポテトサラダは“4人前”食べた
さみしい
54年の最後の日を明日に控えた
女将とさだ子さんは、まだ気が張っていた
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