2004年08月25日(水曜日)
1003.マニラを走る馬
昨日(24日)、マニラにはノースウェスト機ががんばって無事到着することが出来た。
部品は何も落ちなかったらしい。
空港到着後、日ごろの行いが功を奏してか、射殺もされなかった。
で、今日(25日)は、早速仕事。
朝8時にホテルのレストランで吉村さんと待ち合わせていたが、
うっかり寝すぎてしまった。
カーテンを開けて寝たのだが、部屋がちっとも明るくならなかったのだ。
雨もかなり降っていて、空が黒い雲で暗い。
おまけに風も強そうであった。
いずれにしても、今日は仕事
しかし、9時半に迎えに来てくれるはずのリムさんがなかなかロビーに現れない。
吉村さんが電話をしてみると、
「大雨で、街のあちらこちらで道路が水没していて、遠回りをしている。
もうちょっと待って欲しい。」とのこと。
マニラの街は古い。
歴史があるという意味での古いということではなく、
街のインフラがなかなか設備更新されていなくて、
道路とかは、傷んでも何度でも補修工事を繰り返すので、
凸凹になっているところが多い。
あるいは、雨がちょっと集中して降ると、排水が悪くなっているので、
日常茶飯事のように道路が水没するのだそうだ。
吉村さんが
「ここは、今まで見た都市のうちで一番貧しい街だと思います。」と言った。
確かにそうかもしれない。
都市の機能という部分にお金がかけられていず、
道路とか水路とかインフラに当たる部分が老朽化して、
機能的にまで支障が出ているという観点においては
たしかにマニラが一番そうかもしれない。
独裁政治時代が長いと、
どうしても市民のための投資がなされていない貧相な街になってしまう。
これは世界共通の現象のようだ。
街を走っている自家用車の車種は、特に変わっているとは思わなかった。
がしかし、やたらと「ジプニー」は多い。
ジプニーとは、フィリピン独特の乗り物で、
元は米軍からの払い下げされた軍用ジープを乗り合いバスのように改造して、
安い市民の足として発達したものだそうだ。
元はジープと言っても、その面影が残るのは頭の部分だけで
その姿は、変な風に縮小した感じの“バス”そのもの、
どのジプニーもたくさんの人が乗っている。
一回20~30円程度の運賃だと言う。
市民の足はこのジプニーと、
近いところならば“輪タク”。あるいは“馬車”
輪タクとは、自転車にサイドカーのような椅子のついたケージを付けて、
客を運ぶように出来ている。
この狭いところに人が2人座って、
自転車の後席に2人無理やり座り、
運転する人を入れると5人もこの輪タクに乗っている風景を何度も見た。
運転手は5人分の重量を一人で漕いでいる訳なので、
私たちが自転車に乗って二人乗りをした時を思い出すと、
これは、とんでもなく大変だと思った。
馬車も、いっぱい走っていて、
決して観光としての馬車ではなく、普通に街をタクシーとして走っている。
ジプニーと、馬車、輪タク、
みんな普通の市民の足として使われているようだ。
ジプニーは乗り合いで、行き先を書いたプレートを見て、
自分が行きたいところに近い行き先を掲げているジプニーを探して乗る。
だから、自分の行きたいところにピンスポットに行くわけにはいかないようだが、
それなりの距離の所に行きたい場合は、やはりジプニーを探すことになる。
値段は、輪タクが一番安い。
スピードは一番遅いが、ほんの近距離ならば輪タク。
次に馬車。
輪タクよりもスピードがあり、
あまり遠いところまでは行けないが
自分の行きたい所にもピンポイントに行くことが出来る。
輪タク、馬車、ジプニーと
その距離とスピード、値段によって使い分けられているようだ。
しかし、やはり動物好きとしては、気になるのが馬車。
特にこんな雨の日に、濡れっぱなしで馬車を引いている姿を見ると、
思わず可哀想という感情が起きる。
動物虐待のように見えてしまうのだ。
しかし、当の動物にとってはどうなのだろうか。
私たちから見ると重労働のように見える馬車の馬は、
彼らにとって、それほど負担の大きいものではないかもしれないし、
人間と一緒に働くということに、案外、馬なりに喜びを感じているのかもわからない。
牧羊犬などの働く動物は、
人と一緒になって仕事をすることに大きな喜びを持っていると、
何かの本で読んだことがある。
ひょっとしたら、この馬たちもそうなのかもしれない。
しかし、ただ単に、ムチが痛いから仕方なく走っているのかもしれない。
走った後、口から泡を吹いているのは苦しいからなのであろうか、
それとも、こういうものなのであろうか。
私にはわからないが、
二人乗りが基本の馬車には
少なくともちょっと見た限りでは、馬たちには、あまり悲惨なものは感じなかった。
むしろ、一番悲惨に思えたのは
5人も乗っている自転車を、必死の形相で漕いでいる輪タクの人の方だった。
マニラでの仕事は、リムさんに会うこと。
リムさんはマニラのチャイナタウンに自宅を兼ねた店舗を持っていて、
そのビル全体がリムさんの家族の所有だそうだ。
その一部を銀行が借りて営業していた。
おじいさんの代が中国からやって来た華僑であるという。
マニラの街自体が雑然としているので、
おかしくはないのだが、リムさんのビルもやはり雑然としていた。
リムさんは、3人の男ばかり兄弟の長男で30歳。
次男が29歳。
三男がちょっと離れていて21歳だそうだ。
3人の兄弟が、お父さんの会社のいろいろな仕事を分担している。
この兄弟は3人とも実によく躾けられていて、その結束は固そうであった。
家族のいう絆を何より大切にする中国人の文化を、
異国の地・マニラで改めて感じさせられ、
心から、うらやましいと思った。
フィリピンはカトリックの国。
マニラ市内にも教会がいっぱいあって、
たくさんの信者たちが絶えることなく祈りを奉げていた。
マニラは雨が続く。
そのマニラの空港から、今度は香港に飛ぶ。
マニラの街での雨風は、台風のようであった。
ホテルのフロントで、
台湾に近づいている台風の影響で、
台北行きの飛行機がキャンセルになったと、聞いた。
台湾と香港はそんなに遠くない。
果たして飛行機が飛ぶかどうか心配になってくる。
マニラからの飛行機はフィリピン航空で、第2アキノ空港からの出発であった。
新しい立派な空港ではあったが、
初めて、一人で、外国の空港から、外国の飛行機に乗って、また違う外国へ行く。
初めてづくしのことで、
バリバリに緊張してしまった。
しかし、何でもそうだが、
やってみればどうってことなく、入管も、税関も、厳しくはあったが無事にパス。
日本人など乗っているか分からないぐらいフィリピンと中国の人ばかりの機内は、
タガログ語と広東語で、
とにかく、やたらとうるさかった。
わずか1時間半程度のフライトであったが、どっと疲れたような気がする。
香港空港に着く。
早速荻野と落ち合って、バスに乗ってホテルに向かう。
ホテルのバスといっても、巡回バスであって、
あちらこちらのホテルに寄ってから、目的の自分たちのホテルに着いたのは
1時間半もたってから、午後11時近くになっていた。
こんなことなら
30分で着くといわれていた構内鉄道とバスにすれば良かったと後悔する。
香港は、もう7年前に中国に返還されたが、
今でも、まったく中国ではない「香港」という別の国であった。
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