2004年10月06日(水曜日)
1033.目的と手段の関係
私は約3年、何度となく山口県のMINEサーキットに通った。
目的はもちろん、レースの練習をしたり、レースに出たりするためだ。
たとえば、自分の家からMINEサーキットに行くには。
その1.
まず、名古屋駅に車で行って西口の駐車所に車を預ける。または送ってもらう。(以下省略)
新幹線の「のぞみ」に乗って、JR「広島」に行き、
「ひかり」に乗り換えて「小郡」まで行き、
駅前のレンタカーで一番小さな車を借りて、MINEサーキットに行く。
(今の「新山口」は「のぞみ」が止まるが、以前の「小郡」は「ひかり」しか止まらなかった)
その2.
新幹線の「ひかり」に乗って、JR「小郡」に行き、
駅前のレンタカーで一番小さな車を借りて、MINEサーキットに行く。
その3.
新幹線の「のぞみ」に乗って、JR「小倉」に行き、
「こだま」に乗り換え、JR「厚狭」で降りて、タクシーに乗ってMINEサーキットに行く。
その4.
新幹線の「ひかり」に乗って、JR「小郡」に行き、
「こだま」に乗り換え、JR「厚狭」で降りて、タクシーに乗ってMINEサーキットに行く。
その5.
新幹線の「のぞみ」に乗って、JR「小倉」に行き、
小倉駅前でレンタカーを借りて、高速を使ってMINEサーキットに行く。
その6.
新幹線の「のぞみ」に乗って、JR「小倉」に行き、
「こだま」に乗り換えて、「新下関」まで引き返し
下関の実家に帰っていた畠中君に迎えに来てもらって、MINEサーキットに行く。
その7.
名古屋空港まで車で行って、空港前の駐車場に車を預け、または送ってもらう。(以下省略)
飛行機で福岡まで飛ぶ。
空港前でレンタカーを借りて、高速を使ってMINEサーキットに行く。
その8.
名古屋空港まで行って、
飛行機で福岡まで飛ぶ。
福岡空港から地下鉄で博多駅に行き、新幹線「こだま」で下関に行き、
下関の実家に帰っていた畠中君に迎えに来てもらって、MINEサーキットに行く。
その9.
「小郡」駅が「新山口」駅に変わり、
新幹線「のぞみ」が止まるようになったら、
「名古屋駅」から「のぞみ」で「新山口」に出て、駅前のレンタカーでMINEサーキット。
これが一番楽なルートとなった。
その10.
名古屋空港まで行って、
飛行機で熊本まで飛ぶ。
熊本空港でレンタカーを借り、
熊本でアイビー石油の馬場社長と会い、仕事の打ち合わせをして、
そのまま高速でMINEサーキットまで行く。
九州のどこかに仕事を作って、その仕事を済ましてから、
レンタカーあるいは電車+レンタカーでMINEサーキットに行く。
このパターンはいくらでも方法があり、最も多用した行き方のひとつである。
[目的]は、MINEサーキットに行って、
レースに出るか、レースの練習をすること。一つだけの目的である。
そして、MINEサーキットに行く[手段]は、ここに挙げただけでも10通り。
この10通りの方法は、実際に全部使ったし、
そして、名古屋駅あるいは空港への行き方が、
自分で車で行くか、送ってもらうかの2通りあることを考えれば、20通りになり、
それ以外にも、
「夜行列車」を使ったり、
「高速バス」を使ったり、
私は使ったことがない方法まで入れれば、もっともっと方法は多くなる。
それに加えて、仕事を絡めることによって、時間をより効率的に使うことを考えると、
その行き方[手段]は“無数”にある。
[目的]は、MINEサーキットに行って、
レースに出るか、レースの練習をすること。一つだけの目的である。
その行き方[手段]は“無数”にある。
よって
1.ひとつの[目的]ずあれば、無数の[手段]がある。
※[目的]を達するための[手段]が何もないことは、ほとんどの場合、あり得ない。
2.いくつかの[手段]に困難があっても、一つの[目的]が達せられなくなるわけではない。
※[目的]を達しない理由に、[手段]の困難をあげることを「言い訳」と言う。
3.[手段]が先にあって、あとから[目的]が決定することはない。
※手段が目的であるような論理を、本末転倒という。
と言うことが出来る。
これは、簡潔明瞭なことである。
Posted パーマリンク