谷 好通コラム

2005年04月10日(日曜日)

1155.USAトレンド洗車

今、アメリカで最もトレンドな洗車と言われている洗車の工程を、
ざくっとした形ではあるが御紹介したい。

 

この洗車は、100%ではない。
「とりあえず、ざっと泥を落としたい。」という洗車である。
しかし、その中に隠された合理性と、問題点の解決には
実に感心させられた部分があった。
その解説は、この話の次に書くとして、とりあえず、洗車を見ていただく。

 

?最新鋭の洗車機が設置された洗車棟に近づく。

 

 

?入り口には、コインメックが設置されていて、
自分の好きなコースを選んで支払いをする。
コースは、5ドル、6ドル、7ドル、8ドルの4コースで、
洗いを丁寧にするかどうか、
ワックス(クリアコートと呼んでいる)を掛けるかどうかの差である。

 

 

?洗車場内に入る時、センサーが働いて下部洗浄の高圧スプレーが出る。

 

 

?所定の位置に付いたら、インフォメーションが点灯しストップ。
この時、シャトルとL字型の黒いラバーに覆われたアームが動き、
静かに車を一周して、アームから洗剤が出て、車全体に掛ける。
この洗剤はphの低い洗剤である。

 

 

?次に、スタートの位置に戻ったアームからアーム内に残った洗剤が捨てられ、
今度はphの高い洗剤、つまりアルカリ性の強い洗剤が出ながら、
車を一周する。
掛け終わったら、“30秒そのまま放置”、アルカリ洗剤が汚れを浮かすのを待つ。

 

 

?高圧スプレーで、洗剤をすすぐ

 

 

※これはオプション。クリアコート。
多分、カチオン系の弱いワックスだと想像した。
これをかけた後、やはり高圧水スプレーですすぐ。

 

 

?ここが面白い。Spot Freeと言って、
水の中のミネラル分を徹底的に除去した“真水”で、最後に車をすすぐことによって、
拭き上げ作業なしで、水が自然乾燥しても、
ウォータースポットの発生を防ぐ工程だ。
この工程のために、バックヤードに大きな投資がされていたことは驚きであった。
(詳しい話は次の話で)

 

 

?すべての洗いの工程が終わったら、
出口近くに設置してあるエアーブローの中に車を進め、水をおおよそ吹き飛ばす。

 

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2005年04月10日(日曜日)

1154.TEXAS快洗隊?

8日、午後4時過ぎまでショーを見学したあと、
この日はもう一つ大事な見学があった。

 

トニー谷川さんが、
ショーの開催地であるSan Antonioで見学できる洗車屋さんはないかと、
事前に探しておいてくれたところだ。
その名も「Ranger Rapid Wash」

 

“Rapid”とは、“速い”ということを意味する。
“速い”ことを中国では「快」という文字で表現する。

 

“Wash”とは“洗う”こと。つまり「洗」である。

 

“Ranger”とは、「隊」に通ずるところがある。

 

つまり、「快洗隊」を意味的に英語で作れば「Ranger Rapid Wash」に通ずる訳だ。

 

ちょっと無理にこじつけた部分もあるかもしれないが、
アメリカのTEXASにも「快洗隊」が有ったということだ。

 

言ってみれば「TEXAS快洗隊」
滅茶苦茶かっこいいではないか。(*^。^*)

 

トニーがウェブサイトで洗車屋さんを探していた時、
この「Ranger Rapid Wash」の名前を見て、「これだっ!」と思ったそうだ。
早速、電話で、見学の交渉をしたところ、
オーナーのRobertさんは、快くOKしてくれたそうだ。
こんなことは合理主義のアメリカでは珍しいこと。
これも何かの縁であろう。

 

Robertとはショーの会場で待ち合わせをしていた。
しかし、私たちが会場で夢中になって色々なブースで話をしてしまって、
約束の時間をオーバーしそうになり、
トニーがお詫びの電話をして一時間ほど待っていただいた。
全く申し訳ないことをした。

 

午後4時過ぎ、こんな失礼にもかかわらず、
Robertさんは、私達を快く歓迎してくれた。
ありがたいことである。

 

早速、Robertさんの車に先導してもらって、
彼の洗車場「Ranger Rapid Wash」に向かう。

 

会場から出てちょっと行った所にアメリカの観光名所「アラモの砦」がある。
Robertさんはわざわざその場所に私達を誘導して見せてくれた。
(その意味はあとで分かった)
※デビー・クロケットが闘った「アラモの砦」。四百年前のそのままであるそうだ。

 

 

 

彼の洗車場は、
San Antonioのダウンタウンから20~30分離れた静かな住宅地の中にあった。
この辺の風景は、
アメリカ映画で出てくるような広い敷地にゆったりと家が建ててあるあれだ。

 

 

そんな静かな住宅地を行くと「Ranger Rapid Wash」があった。
入り口には「CAR WASH」の一言。

 

 

「Ranger Rapid Wash」の全景。
奥の方に見たことがあるような建物がある。
これは「アラモの砦」ではないか。

 

 

千坪以上は裕にあろうかという広い敷地に、
タッチアップエリアと言うか、掃除機掛けをする場所と言うか、
居心地の良さそうな設備があって、
何人かが掃除機掛けをしていた。

 

 

そして、この洗車場のメイン施設「アラモの砦」あらぬ洗車機設備。

 

 

なんとも古びたようなこの建物は、
実は、最新鋭のハイテクのカタマリ。
ものすごい設備であったのだ。
この建物の中に装備されている機械類が約4,500万円。

 

 

そして、ここから上がってくる収益が月400万円から500万円であると言う。
無人で!
こののどかな雰囲気からは到底想像できない数字である。

 

次の話で、今、アメリカでもっもとトレンドと言われる洗車を見せる。

 

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2005年04月10日(日曜日)

1153.洗車ショーの続編

San Antonioでのショーは、洗車機のオンパレードであり、
それも、日本では見たことが無いような圧倒的な「タッチレス洗車機群」であり、
圧倒的なコンポーネントを自在に組んだ「連続洗車機群」であった。

 

日本の洗車機とは全く違う。
見たこともない洗車機ばかりであり、私はすでに圧倒され、
ワクワクの少年のようになっていた。

 

アメリカでの洗車は機械を使った洗車が多く、
その規模もケタ違いであって、圧倒的なその存在に
自分たちが日本で作り上げてきた快洗隊が、
とっても小さなことに思えてきてしまった。

 

しかし、
それでも何とか気を取り直して、続けて観る。
あちらこちらのブースで質問をぶつけて、貪欲に聞き、理解しようとする。
せっかくここまで来たのだ。
感心しただけで帰ったのでは、全く意味がない。
日本とは全く違った洗車の在り方を、その機械群からひしひしと感じて、
そこに新たなチャンスがないかを、
神経を研ぎ澄まし集中しながら、食い入るように見る。そして聞く。
通訳をしていただいているトニーも、すごいエネルギーで相手にぶつかってくれる。
ありがたいことだ。

 

 

今回のショーへの出展は、主なるものは洗車機であったが
他にも色々とあるが、
そのほとんどが、セルフの洗車場か、
途中で多少人が介しているとしても、大規模な機械を使った洗車場の為の物が多い。

 

連続洗車機がコンポーネントを組み合わせているので、
エアーブーローだけのメーカーも何軒か有った。

 

L字型のタッチレス洗車機のセルフ洗車場のためのインジケーターサイン。

 

 

同じくL字型タッチレス洗車機を据えつけるための建物が展示されている。

 

 

 

何かのための名前入りカラーコーン。私がこれがひどく気に入った。
日本に帰ったら早速造って見たい。

 

 

連続洗車機のための車を自走させる装置。
これは面白いし、安全性も優れているように見えるが、
こんなんで強度は十分なのであろうか。

 

 

セルフの手洗い洗車場用か?
高圧スプレーのガンなどを、頭の上に設置したアームにつけて使う物。
なんとなく使いやすそうに思えた。

 

 

また、色々な形をしたケミカル・ルブリケーターもあったが、
基本的にはそんなに変わる物ではない。
しかし、ケミカルごとにホースの色を変えるなど、
楽しいデザインと同時に、
ホースの色によってケミカルの間違いを防ぐ機能性を持たせ、
独自性を出している。

 

 

今回すごく気に入ったものの一つ。
バカでかいモーターを使った掃除機。強烈な吸引力の割には音が低い。
そして意外と安い。
私は「これを買うから、手配をして欲しい。」と言ったら、
「サンプルとして貸し出すので良いと思ったらお金を払ってもらえればいい。」
と言う。
そして契約書を交わして、代理店になってくれと言う。
ふ~~ん。代理店?
アイ・タックが掃除機の代理店?

 

このバカデカイ掃除機、はたして日本に来るのであろうか。

 

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2005年04月10日(日曜日)

1152.圧倒・洗車機ショ-

目的地であるSan Antonioに到着したのは、7日の午後10時50分。
空港でレンタカーを借りて、ホテルに向かい到着したのが、午後11時30分。
ホテルでチェックイン後、
お腹が空いたのでご飯を食べに行くが、
こんな時間にやっているのは「Denny’s」だけということ。
アメリカのDenny’sは24時間営業であったのだ。
しかし、そこではタバコはもちろん禁止。アルコールまで禁止であった。
バカでかいハンバーガーを食べて、
ホテルに帰ってきたのは、もう日付が回り8日の午前1時半。

 

ホテルはクラッシックな造りで、
かなりの歴史を持っているホテルのようだ。

 

しかし、これで家を出てから40時間以上経っている。
KALの機内で3時間ほど寝たが、
もう起きているのは限界で、
部屋に入ってちょっとだけインターネットの接続に挑戦し、すぐに失敗して、
ベットに横になったら、
次の瞬間、深い睡眠に入った。
午前2時頃。
・・・・・・・・・・・

 

朝八時にモーニングコールがなるまで一度も起きなかった。
約6時間の熟睡だ。
意外と頭がすっきりしている。
こんなに時差ぼけに苦しまないのは、全く意外な良い方向への誤算である。

 

みんなでホテルのおいしい朝ごはんを食べて、
今回の最大の目的である「全米洗車ショー」に出かける。
今回の出張の半分はこのショーを見るためである。
このタイミングで体調がいいのは、ラッキーである。
張り切って会場に向かう。

 

San Antonioの街は空気が澄んでいて、朝日がまぶしい。
古い歴史を感じさせる町並みがまるでヨーロッパのようだ。
さわやかな朝である。

 

今回は、トニーにお願いして車椅子を借りてもらった。
私は、足の都合で立っているのがすごく苦手で、
だから、こういうショーの会場とか、博物館のような長時間立っている所が苦手で
一時間も立っていると弱い足の方が痛んできて、
じっくりと見ることが出来なくなってしまう。
せっかく30時間もかけて、はるばる見に来たこのショーを、
そんなことで台無しにすることは出来ないので、車椅子を借りることにしたのだ。
こういうことは以前にも十回ぐらいあった。
もう車椅子の扱いは、自分で言うのもおかしいが、うまいものである。
歩けるのに車椅子を使うのは卑怯な感じもして嫌なのだが、
ショーをしっかり見て、出来るだけ多くの事を収穫する大切な目的のためだ。
あえて、車椅子を使う。

 

San Antonioのコンベンションセンターは、
幕張メッセの大きな会場を二つ分繋げたぐらいの大きなものであった。

 

会場に入ってびっくり。
数え切れないほどの洗車機メーカーが、
すさまじい数の洗車機をバンバン動かしていた。
このショーの正式名は「全米オートアフターショー」であるが、
まるで「全米・洗車機のためのショー」であるようだった。

 

展示されている洗車機は大きく分けて二つのタイプ
一つは「タッチレス洗車機」
高圧水を、L字型アームの多数のノズルからいっぺんに噴霧して、
短い時間におおよその汚れを飛ばしてしまうタイプのものだ。
外観そのものは「L字型アーム」と、それを移動させるシャトル、そしてフレームだけ、
だからスマートであり、
利用者からは“機械”という圧迫感が無い。

 

建物に入れ込んだ形の「タッチレス洗車機」
どこがアームで、どこがシャトルなのか分かりますか?
上の方の白い横長の部分がシャトル。青いL字型のアームから水が噴霧されます。

 

 

こんな感じで水が噴霧されます。

 

 

タイヤの付いた部分がシャトル。見難いが薄茶色のごついアームが出ている。

 

 

白と緑色の部分がシャトル。銀色のアームが付いている。

 

 

トラック用にもタッチレスがあった。
右の方に写っている赤い2本のアームから水が噴霧される。

 

 

一見どのタッチレス洗車機も華奢であり、スマートであるのだが、
その裏側に巨大なシステムがあったことを後で知ることになる。

 

もう一つのタイプが、
車を動かして洗って行くいわゆる[連続洗車機]ダイプ。
このタイプは色々な機能を持つコンポーネントを、
オーナーの要求に沿って自在に組んでいくものがほとんどであった。

 

 

中にはエアーブローのコンポーネント専門のメーカーもいくつか出品していた。

 

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2005年04月10日(日曜日)

1151.目的地に到着直前

※この話は、日本時間の8日の昼(アメリカで7日の夜)書いたもので、
Texas San Antonioのホテルでインターネットがなかなか繋がらす、
二日後の日本時間で10日の午後(アメリカで9日の夜)に、
Los Angelesのホテルで上げたものです。

 

 

昨日の朝7時に家を出て、
中部国際空港から成田空港に飛んだ。
成田空港に着いたのが午前十時過ぎ、成田空港は強風が吹き荒れていた。
空港全体が茶色の土煙で覆われて、
それは不気味な風景であった。

 

本来は午後三時出発・大韓航空Los Angeles行き(KAL001)に乗るはずで、
成田空港で五時間待ちの予定であった。
ところが、午前中
その強風によって、成田空港で着陸時に尻もち事故を起こした飛行機が出て、
一時的に空港が閉鎖されてしまったのだ。
そんな時、成田空港に向かっていたKAL001は、急遽名古屋空港に着陸。
いつ成田空港に来られるか分からなくなってしまった。

 

朝の十時から待っているこちらはイライラするが、仕方ない。
結局飛行機は、定刻に四時間半遅れの午後七時過ぎに、
成田空港を出発することになった。

 

KAL001が四時間半遅れで出発するとなると、
当然、Los Angelesへの到着も四時間半は遅れることになる。
となると、Los AngelesからSan Antonio市に向かう飛行機に間に合わない。
大変だ。
トニーに連絡を取らなくてはと思うが、Los Angelesはそのころはまだ深夜、
トニーの自宅と携帯電話に電話を入れても留守電になる。。
このままでは、
トニーは予定通り朝八時過ぎにLos Angelesの空港に迎えにきてしまう。

 

Los Angelesのトニーに長いメールを打つ。
そして、メールを読んでくれるように留守電にメッセージを入れておく。

 

「お世話になります。谷 好通です。
トニーにお願いがあります。
実は、成田→Los AngelesのKAL001便が、
他の機による成田空港での強風が原因の「シリモチ事故」での影響で、
成田空港が一時閉鎖になり
KAL001便の使用機が名古屋空港に臨時に着陸してしまい、
結局、成田空港出発が4時間40分の遅れになりました。
(これが確定です。4時間40分の遅れです。)
今の予定では、Los Angelesには13:00の着になります。
そうなりますと、
谷川さんが御手配いただいたL.A.13:25発→Sun Antonioのサウスウエスト864便には、
時間的にとても乗れそうにありません。
そして、この便は成田→Los AngelesのKAL001便とTRANSITを組んでいなかったため、
成田のKALのカウンターからの変更の手配は出来ません。
そこで、私どもの会社のエージェントにお願いして、
サウスウエスト864便の“次の便”の情報を聞きました。
次の便は
[サウスウェスト788便、Los Angeles17:00発 フェニックス経由SunAntonio22:50分着]
と言うことです。

 

サウスウエスト864便の取り消しと、788便の手配をお願いできますでしょうか。
あるいは、満席などで手配が困難な場合には、
サンアントニオ行き自体を断念することも考慮にいれるべきかとも思っています。
予期せぬトラブルで、大変御迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」

 

なんかドラマみたいで、ドキドキしちゃいそうです。
あとは運任せ、トニーがうまく留守電に気がつき、
空港に出かける前にメールを読んでくれれば、大丈夫なのだが。
・・・・・

 

こうしてやっとLos Angelesに向かうKAL001に乗り込んだ私たちは、
すでにくたびれ気味としていた。
(成田空港に着いてから、もう9時間も経っている。)

 

KAL001でのLos Angelesへのフライトは快適なものであった。
大韓航空の客室乗務員さんは噂どおりの美人揃い。
飛び上がってすぐに夕食が出て、
「この会社のスチュワーデス採用の基準は見た目が90%ダナ~」
と不謹慎なことをつぶやきながら、とっとと飯を平らげて、
とにかく寝ることに集中する。
東に向って飛ぶ時は、時間が急速に短くなる。
少しでも睡眠を取ることが時差ボケを防ぐ唯一の方法なのだ。

 

前日に3時間しか寝ていなかった私は、
成田での疲れもあって、苦手な飛行機での睡眠に成功し、
3~4時間は寝たようだ。
外が明るくなってきたころ、目が覚め、頭が軽かったのがうれしかった。

 

 

朝ごはんを食べながら外を見ていたら、
洋上に船が見えた。
もうすぐ大陸に到達する頃だ。

 

 

そのうち陸地が見えた!
初めて目にするアメリカ大陸である。
地図で見ると、カリフォルニア半島のどこかであるはずだ。

 

 

初めて見たアメリカ本土は、想像以上に美しく、
映画で見たアメリカの風景がそのまま動く現実としてそこにあった。

 

成田→Los Angelesは、意外にもたった8時間半の旅であった。
KAL001は、ボーイング747-400で、最新のジャンボの一つ。
強い偏西風の追い風に乗って快調に飛ばし、
Los Angelesでの現地時間“7日午後1時過ぎ”に無事到着した。
日本の時間では、“8日の午前9時となる。

 

 

Los Angeles空港でのImmigrationは、すごく厳しくなっていて、
かなり時間がかかったあとの手荷物の受け取りにも時間がかかって、
結局、出口に出たのは午後2時過ぎ。
そこはもうアメリカ。
到着出口で、トニーの姿を見つけた時には、思わず大きく手を振ってしまった。
ラッキーにもトニーはメールを読んでくれたらしい。

 

 

再開を喜びながら早速外に出る。
“タバコ”を吸わなくてはならないのだ。(^^♪
私と、谷基司、H.オサムは、2本続けてタバコを大きく吸って、ホッとする。

 

トニーはサンアントニオへの飛行機の変更手続きもやってくれていた。
ラッキーである。

 

今は、その「Los Angeles→フェニックス→テキサス・サンアントニオ」
サウスウェスト788便に乗ってこれを書いている。

 

サウスウエスト航空は、
世界でも有名な独特の経営をしている航空会社で、
徹底した合理化と、独特のCS戦略はテレビの報道で観たことがある。
サウスウエストの航空チケット。
驚いたことに座席指定が無い。
飛行機に搭乗した順に好きな席に座ればいいらしい。
びっくりである。

 

 

国内便と言っても、
かなり大きく東の方に飛び、
フェニックスで途中で一度降りるが、全部で5時間50分もかかるのだ。
と思ったら、Los Angeles⇔Texasの間には時差が2時間も有った。
だから実質飛んでいるのは3時間50分。

 

 

眼下には、西部劇に出てくるような地形が繰り広げられていた。

 

 

最終目的地サンアントニオに到着するのは、現地時間午後10時50分となる。
荷物の引き取り、ホテルへの時間も考えれば午後12時に近いのであろう。

 

現在、Texas現地時間で7日午後10時半、日本時間で8日午後12時半、
(日付変更線を超えているので、日付けが一日戻る。)
家を出てから、すでに30時間以上が過ぎようとしている。

 

いまだ、目的地に着いていない。
さすがに疲れてきている。
もうちょっとだ。

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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