2007年07月16日(月曜日)
1680.やらない事もあり
「やってからする後悔よりも、
やらなかった後悔の方が大きい。」
私はそう強く信念として持っていた。
余計な事を考える前に、とりあえずやってみる事だ。
そう考え、何にでも挑戦してきたつもりだ。
しかし「やらなくって良かった。」
と思う事がないかと言えばそうでもない。
今この時にも、
北海道・十勝サーキットでスーパー耐久十勝24時間レースが行われている。
昨日の夜からスーパー耐久のホームページにアップされる速報を見るのだが、
PDFの具合なのか、3時間経過速報からページが見られずにイライラしていた。
ようやく今日の昼、18時間速報ぐらいから見られるようになって、
そこで、我が?17ポルシェが故障に悩まされ、
実質的にレースの戦列からは離れている事を知った。
15日のスタート直後は5.6番手を快調に走っていたようだが、
真夜中にトラブルが発生したらしい。
今回の十勝24時間にはアイ・タック技研としては参加していない。
それは、チームとして今年最初からの方針であって、
そのような約束になっていたのだが、
スポンサーが着いたので急遽参加の方向となったのだ。
アイ・タック技研は、今、監査法人も入っていて、
期首に立てた予算に入っていない大きな出費には、
よほどのことがない限り対応できない。
そこで、若干の応援はするものの、
アイ・タック技研としては24時間レースに参加しない事に決定していたのだ。
だから、今回は誰も十勝に行く事はなかった。
私も個人的に応援に行きたかったものの、
6月末が決算であり、翌7月から基準期に入るのでスケジュールが混んでいて、
都合を開けられる時間に合う飛行機もすでになく、あきらめていた。
ところが
台風4号が15日に名古屋も直撃するという事態になって、
キャンセルが多発したのだろうか、
15日名古屋(小牧)⇒帯広、16日釧路⇒中部空港
この両路線に空席が出来たのだ。
それに気が着いたのが15日の朝。
外は台風の暴風域内に入っているはずなのに風もほとんどなく晴れでいる。
中部空港の飛行機は早々と欠航を決定していたが、
小牧空港発の帯広行きJAL便は欠航していない。
突然十勝に行けるチャンスが出来たのだ。
スタート前に十勝に着いて、翌日のゴールは見られないが、
朝、釧路空港に向えば、
16日の用件にも間に合う。
「飛行機に乗れるみたいだから、今から帯広に行ってくる。」と、
突然言い出して、一泊の用意だけして家を出た。
どうしても電話が通じなかったのでJALへの予約はしていない。
何とかなるだろう。
小牧空港へは久しぶりであった。
コミューター便だけになった小牧空港はさびれているかと思ったら、
意外や駐車場が満車状態で、
一番離れた所に止めなければならなかったのは、嬉しかった。
空は青空が見えていて晴れ上がっている。
そのままカウンターに行って、
いつものように身障手帳を見せて割引でチケットを買えば自動的に十勝に行ける。
しかし、この段になって、躊躇とした。
24時間レースを前にして集中するためなのか、
田中選手の携帯電話はずーっと電源を入れてないようで連絡が取れていない。
そこへ突然私がサーキットに現れたりしたら、迷惑になるのではないだろうか。
きっと何日か前に24時間レースのためのチームを組んで十勝入りし、
それなりの輪が出来ているはずだ。
そこへ突然、私が大きい顔をして入って行ってもやっぱり“よその子”だろう。
狭いピットの中で、一晩中大勢の人が動き続けるのに、
椅子に座ったらほとんど動かない私が行っても、作業の邪魔になるだけか。
いまさら行っても、パドックに入れる車のパスがあるわけがない。
とすると、広いサーキットの隅のほうにある一般駐車場からピットまで歩くのは、
私の足では結構辛いものがある。
それが一晩中に何度もとなると余計だ。
今度はほとんどスポンサーしないことになっているので、
KeePreのステッカーも場所を移動するだけとは言っていたが、
ひょっとしたらサイズもずっと小振りになっているかもしれない。
その姿を見るのはあまり気分が良くないだろう。
いずれにしても、一度行かないと言った者が、
突然現れて、招かざる者として、良いことはお互いないのかもしれない。
そんな懸念にとらわれて躊躇する自分では、滅多にはないのだが、
カウンターの前で足が止まってしまった。
「やめよう。行くのはやめとこう。」
そうつぶやいて、Uターンし、駐車場の車に帰った。
空港まで行って「やっぱりやめとこう」と飛行機に乗らずに帰るのは初めてである。
寂しい気持ちが充満するが、仕方がないこともある。
結果として、
24時間のレースは波乱なしでは済まず、
?17は長時間のピットイン、修理でレースからは外れてしまったようだ。
あとは完走狙いでどこまで周回数を伸ばせるかだが、なかなか厳しいそうでもある。
このような結果の時に、
私のような立場の人間がいても、沈うつなムードに輪をかけるだけ、
行かなくて良かった。
そう、しみじみ思っている。
何でもやれば良いというものではない。
やれば周りに影響がどのように波及するのか、
いくら私がオッチョコチョイだと言っても、それぐらいは考える必要はあるようだ。
これを書き終わるそろそろ、ゴールの時間である。
どうなったのか祈るばかりである。
三ヶ月ぶりに森君がアメリカから帰って来た。
まだビジネスの発端が動き始めたばかりで、決して順風満帆とは行かないが、
少なくとも、中国でのビジネスのように虚言と模倣との先の見えない闘いとは違って、
何事にも本気で取り掛かれるやりがいのあるアメリカのビシネスである。
たった三ヶ月ではあるが、
きっちりと会社は三か月分進んでおり、すっかり“浦島太郎”状態の森君。
月刊のキーパータイムス三回分を食い入るように読んでいた。
アイ・タック技研始まって以来の初の長期海外派遣、無事に帰って来て良かった。
ご苦労様でした。
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