谷 好通コラム

2008年01月12日(土曜日)

1819.幸せにしてもらう権利は、不幸の始まり

結婚式に出ると、新郎がこう言うのを必ず聞く。
「新婦を絶対に幸せにすることを誓います。」
この言葉を聞くといつも、
「この言葉は危ないんだよな」と思う。
両方のご両親、親族と、半端な数でない知人の前で、
ある意味、この新郎は新婦を幸せにする「義務」を認めたことであり、
間違った意味で、
新婦は新郎から幸せにしてもらう「権利」を得たことになりかねないからだ。

 

私はこう思っている。
家族とは、(主に)父親が働いて、(主に会社を通じて)社会に貢献し(仕事)、
この貢献(仕事)に対する報酬(主に会社を通じて給料という形で)を社会から得て、
その報酬で、家族全体が養われる。
(主に)母親が子供を育て、子供は社会性を正しく得た後に巣立っていく。

 

社会の中に生きる家族とは、
社会に対しての貢献(仕事)を通じて報酬を得ることによって家庭が経営される。
これは社会の基本構造であって、
一生を親に食べさせてもらう人もいるが、それは稀なケースで、
(それが幸せだとは、私にはとても思えない。)
例外はほとんどない。
そして、
社会に対して貢献するという姿勢が「社会性」であって、
これがなければ、基本的に報酬は得られない。
そのような健全な家族経営の中で、
子供が自然に社会性を学び、
子供も自らの新しい家族経営を行う能力を得ていく。

 

わざわざ、ややこしい言い方をしているようだが、
端的に言うとこういうことになるのでないだろうか。

 

夫婦の幸せとは、
健全な家庭の中で実現するもので、
見栄を張り金持ちのような格好をすることでもなければ、遊び回ることでもない。
社会の中で、
父親が社会へ貢献することで報酬を得ていることに母親と子供は感謝し、
それを支えていてくれている母親を、父親と子供は感謝し、
その結晶である子供が二人の生き甲斐になっていることに、両親は感謝する。
家族とはそういう関係であることに幸せがあるのではないか。

 

幸せとは、幸せにして”もらう”ものではなく、
お互いが自分の持っている役割を果たし、
お互いに感謝することで、お互いに幸せに”なる”ものだ。
片方が、もう片方によって、一方的に幸せにしてもらうものではない。

 

夫婦の四つの方程式。
僕は、君が幸せになることによって、僕は幸せになり、
僕は、自分が幸せになることによって、君を幸せにできる。
私は、あなたが幸せになることで、私は幸せになり、
私は、自分が幸せになることによって、あなたを幸せにできる。

 

結婚とは、
片方がもう片方を幸せにする義務を負い、
片方は幸せにしてもらう権利を得るという関係ではない。
結婚とは、
お互いに良き縁があってするものであって、
その縁とは、
お互いがお互いを幸せにしたいと思う気持ち=愛によって得られたものであって、
単なる動物的な欲望や、計算でするものではない。
家族とは、
縁があって結ばれた夫婦と、縁によってこの世に生まれた子供が、
お互いに幸せになろうとして、お互いに幸せにし合うという関係。
その家族が、
社会の中で存在し、生きていくには、
誰かが社会に対しての貢献(仕事)を行い、誰かがそれを支え、
家族が社会の中で生きていくための報酬を、社会から得ることになる。
家族みんながそれを支え、維持されることになる。

 

こんなややこしい言葉を並べたのは、
ある人からとても考えさせられることを聞いたからだ。
「ある社員が、とても優秀なのだけど会社を辞める事になった。その理由が、
『この仕事では土日が休めず、彼女に一緒に遊べないので別れると言われた。』
からだという。責任のある仕事で給料も良かったのに、ほんとうに残念です。」

 

彼女から「土日に一緒に遊べないから楽しくない。だから別れる。」
と言われて、せっかくの大切な仕事を辞めるとは、
私もため息が出てしまう思いであった。
私は思った、
本当は、その若者はその彼女と良き縁ではないのではないか、と。
「土日に遊べないのは楽しくないから、
あなたが今の仕事を辞めなければ、私があなたと別れる」と言う彼女は、
その若者の幸せを願っていない。
つまり、愛していない。
自分の「楽しい」という幸せを望み
彼の社会に対する貢献(仕事)を、大切に思わない。
つまり、結婚しても、
家庭を維持する基本的な構造を、
自分の「楽しい」という幸せだけと引き換えにすることを相手に迫るであろうから、
正常に家庭が維持されることはできない。

 

その彼は、本当は会社を辞めるのではなくて、
彼女と付き合うのを辞めたほうがいいのではないだろうか。

 

結婚とは、
「新郎が新婦を幸せにする義務を負い、新婦は幸せにしてもらう権利を得る」ことではない。
社会の中で維持され、社会の中で家族のお互いが幸せになるためのもので、
社会の中での幸せは、社会に貢献しなければ、
それを維持することは得られない。
家族は社会に対する貢献と、そこから生じた報酬によって維持されるものであって、
家族の中の誰かの「幸せにしてもらう権利」では、
決して、家族の誰一人も幸せになることは出来ない。

 

だから「幸せにもらう権利」を主張する人は、
その時点で不幸が保証されたことにもなる。

 

 

働くということはそれ自体で素晴らしいことなのだ。
そして、いい仕事は家族の幸せに支えられていることも忘れてはならない。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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