2009年06月05日(金曜日)
2222.自分の物なら自分の好きにすればいい
記念すべき日というものがある。
2,000回目のコラムを書き終わった時には記念の飲み会をやった。
面白かったので2,222回の時もやろうという声もあったが、
そういうことは、そんなに何回もやるものではないと思い、
申し訳ないが、何気なく過ぎようと思う。
会社で、
会社の物をだらしなく使ったり、
無駄遣いする者がいると、こう聞く。
「それが、自分でお金を払うものだったら、君はそんな風に使えるかな。」
こう言われるとたいていの者は、
「そうですね、自分のお金だったら、とても使えません。」と言う。
分かりやすい話のようだが、本当はそうではない。これでは不正解。
自分の物、自分のお金ならば、
自分の好きなように使えばいい。
それがだらしない使い方であったり、無駄遣いであろうと、
自分の物でありお金なのだから、自分の好きにすればいい。
でも、
それが、みんなの物、みんなの金であるなら、
だらしなく使ったり、無駄遣いすることは決して許されない。
これが正解だろう。
自分の物は大切にするが、みんなの物は大切にしないのでは、
みんなは、その人を大切には思わないだろう。
自分の物は好きにするが、みんなの物はとりわけ大切にする。
そんな人は、みんなに大切にされるだろう。
しかし、この当たり前の論理が、会社という世界で成り立つには、
その会社が、社員・経営者その他の人のみんなで構成されていて、
みんなの力で成り立ち、みんなが会社を構成していることを意識する時なのだろう。
会社が一個人の私利私欲のために存在するのではなく、
みんなのための会社でなければならない。
そうでなければ、
「みんなの物は、みんなの物だから大切にする。」と、この論理が成立しないのだ。
会社は法人格という一個人ではない存在であって、
会社を構成するすべての者、全体を表している。
誰かが、会社の物やお金を大切にしないならば、
その人は会社を自分をも含んだみんなの物と認識していないということであって、
その人の認識が間違っているのではなく、
その会社が本当の意味での法人格になっていない一つの現象なのかもしれない。
その人の人格がいまだ稚拙である場合もあるだろうが、
そうではなく、会社が本当の意味での法人格になっていないことなのかもしれない。
とすると、
反省すべきは、経営者、とりわけ経営者のトップなのか?
私か?
そこを解決するところに株式公開の本当の意味があるのかもしれない。
色々と考えていて、そんなところに行き着いたのは、
やっとそこに気がついた証なのかもしれない。
夏が待ち遠しい。
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