2011年01月27日(木曜日)
2708.風に乗って空をめぐる妄想
いつの頃か、はっきりとは憶えていないが、
自分が鳥になって空を飛んでいる夢を見たことがある。
一度だけ。
空を飛んでいる途中で目が覚めたのは、涙が出たから、
覚めてからも、しばらく嗚咽が止まらないほど泣けてしまったことがある。
一度だけだ。
自分が鳥になって空を飛んでいたことに
ひどく感動したのは、
そこが私のふるさとだったからではないだろうか。
なつかしくて、
涙がとめどなくあふれたのではないだろうか。
私の前世は鳥だったのかもしれない。
あるいは風だったのかもしれない。
あるいは、まだ私が体を持たないたましいだった頃の残像かもしれない。
飛行機に乗って、空の上に昇ると、
空の蒼さも、雲の白さも、山も、海も、街も、すべて感動的で、
だから、
もう一千回以上も飛行機に乗っているのに、
いつも初めて飛行機に乗った者のように、わくわく顔で窓の外を見、カメラを向ける。
何の根拠もなく、変な意識もなく、
私のふるさとが空であったと、なぜか思ってしまっているところがある。
空から見ると人間は束縛された限定的な存在であり、
六十数年前、
人間が飛行機で上がることができる限界に近い10,000mの成層圏、
下界の人間世界をまったく感じられない蒼い空から無慈悲にばら撒かれた爆弾に、
地上ではなす術がなく、十万人単位の人が焼け死んだ歴史と、
今、人類の破滅に結びつく可能性すら持っている強い毒性のウィルスが、
けなげで自由な鳥たちによって大空を自在に運ばれる様(さま)と重なって、
あきらめに近い恐怖を感じる。
と同時に、言葉では表現できない運命のようなものを感じるのは妄想だろう。
元旦から頭をフル回転させてきた疲れからなのかもしれない。
もちろん、私のふるさとが空であったことも、妄想だろう。
昨日の最終便で福岡から名古屋に帰ってきて、
昨日の夜、福岡空港
今日の朝、また、名古屋から仙台行きの飛行機に乗った。
この日のフライトは、
私が知っているいつもの名古屋⇒仙台のルートとは大きく違っていた。
飛び上がってしばらく、
名古屋市の真上を北上した。
いつもは名古屋の西の方を迂回する形で上昇するのに、今日は真上だ。
名古屋城を上空から撮ったのは初めて。
名古屋市北区のあたり、名古屋ドームが真ん中に見える。
あれっ、小牧空港かな?と思ったが、
付帯ビルないところを見ると、
これは自衛隊の各務原基地。
ふと、顔を上げると、もう蒼い空が広がっている。
下には飛騨の山々。(たぶん)
シートベルト着用のサインが消えたので、
私の席の反対側、
進行方向に向かって右側のシートに行って窓から見たら、
目の前に富士山があった。
こんなに大きく見えるなんて、
明らかにいつもより東側を飛んでいる。
富士山と駿河湾のツーショット。滅多に見れるものではない。
散々富士山を撮って、
進行方向に向かって左側の{A}の席の戻ったら、
諏訪湖がはるか北のほうに見える。
まさかっ。
「浅間山」が目の前に見えるではないか。すごい。
三日前に群馬県の渋川から見たばかりの浅間山を、
今日、こんなにくっきりと、
しかも空から見られるなんて、思ってもいなかった。
すごいっ、すごいっ。
それからは蒼い空と、白い雲。
飛行コースが想像以上にショートカットで短かったのか、
いつもより早い降下が始まって、
お~~~~~っ、
久しぶりの「ブロッケンの輪」が不意に現れた。
雲に飛行機の陰が映り、その周りに虹の輪が出来るのがブロッケンの輪。
たぶん、この飛行機に乗っている人で、これを見つけたのは私だけだ。
ちょっと目を離して見ると、虹の輪がボーっと見えますよ。
これは、たぶん、山形の街。
豊かな木々が茂る山に雪が被るとこんな感じになる。
飛行機は、仙台の南を通って、一度海に出る。
着陸態勢をとるためだ。
漁船が海を行く。
私は、飛行機に乗ると、
滅多に寝ないが、
この「健康優良児」たちは、
飛行機に乗るとたいていぐっすり寝る。
私とは、たぶん、前世が違うのだろう。
(昨日の福岡空港にて)
Posted パーマリンク