2012年10月05日(金曜日)
10.5.やってもやらなくても同じなら、やらない方がトクか?
新神戸に向かう新幹線を待つ間に名古屋駅のホームでタバコを吸っていた。
名古屋駅は東京へ向かう上り線ホームには狭い喫煙室しかないが、
大阪、博多に向かう下り線ホームには、
でっかい灰皿があって、外で堂々と吸えるようになっている。
その灰皿の上の看板に、
喫煙は体に危険だと言うメッセージと共に、こんな言葉が書いてあった。
これからのあなたに栄誉を与えるのは、
「どこから来たのか」ではなく「どこへ行くか」だ。
タバコを吸う場所に書いてあるので、
歪曲して受け取れば「タバコを吸うのをやめよう」とも読めるが、
とりあえず、素直に言葉通りに読んだ。
これからのあなたに栄誉を与えるのは、
「どこから来たのか」ではなく「どこへ行くか」だ。
あなたの未来、
つまりこれからをより良いものにしたければ、
あなたの過去、
つまり今まで何をやってきたかは、もう変えようがないが、
あなたの未来、これからは、
つまり明日、来週、来月、来年、5年後、10年後、
何をやっていくかで、
どうにでも変えることが出来る。
あなたの明日、来週、来月、来年に何をやるかの行動が、
あなたのこれからを、
悪しきものにもし、良きものにもする。
なんてことではないだろうか。
今に満足し、あるいはアキラメている人は、
何かやることがあっても、
「やっても、やらなくても同じなら、やらない方がトクだ。」
と、考える場合が多い。
今に満足し、アキラメている人は、
今以上に成りたいとも思わないし、今以上に成れるとも思っていないので、
やらないと罰せられたり、
やらないと損になって、今以下になったりしなければ、
「やっても、どうせ今以上にはならないのだから、やるだけ損。」
となるのだろうか。
やってみないうちに、
やったらどうなるか、判りもしないのに、
やっても、やらなくても同じだと思うのは、
今に満足しているか、アキラメている人だからだろう。
今以上に成りたい。今以上に成れる。と思っている人は、
今やれる事があったら、やる前には、やったらどうなるか判らないので、
やってみたいと思うのが当たり前で、
やってみて今と変わらなかったとしても、やらなければ良かったとも思わない。
やって成果があったとしたら、
それも、やらなければ判らなかったわけなので、
成果を求めている人ならば、やってみて成果が無かったとしても後悔しない。
今以上になる事を求め、今以上に成りたい人は、
これからを行動し、やれること、やるべきことを、やる。
これからとは、明日、来週、来月、来年、5年後、10年後すべてであろうが、
それはすなわち、今日の午後からであり、今日の今晩であり、明日でもある。
やることとは、
いつ、何を、やるか、ということ。
やる人とは、いつ、何をやるかを自分で決める。
自分のこれからを作り出すためにやるのだから、
これから何を、いつ、やるかは、自分で決める。
これからとは今日の午後からであり、今日の今晩であり、
すぐに始まるもので、少なくとも、
明日、来週、来月くらいまでは、自分で決められる”これから”となる。
やる人とは、自分のこれからの行動、
すなわち、これからの自分のスケジュールを自分で作り上げる人とも言える。
自らのスケジュールを決めない人は、
「やっても、やらなくても同じなら、やらない方がトクだ。」であり、
「今に満足し、あるいはアキラメている人」なのかもしれない。
自らのスケジュール、つまり自らのこれからの行動を自ら決める人とは、
「やっても、やらなくても同じかもしれないが、
やれば成果があるかもしれないから、やりたい。」であり、
「今以上に成りたい。今以上に成れる。と思っている人」
と言えるのかもしれない。
タバコを吸うとたまにはいいことがアル。
これからのあなたに栄誉を与えるのは、
「どこから来たのか」ではなく「どこへ行くか」だ。
(ドイツの哲学者)・・・・・と書いてあった。
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