2015年10月23日(金曜日)
10.23.「お伺い、許可、命令、服従」。と「報・連・相」
仕事をしていくうえでの現代的なコミュニケーションは、
「報・連・相」つまり、報告、連絡、相談。
インターネットでC.C.とMLを駆使した活発なコミュニケーションです。
この中には、
旧来の「お伺い、許可、命令、服従」など、
旧来の仕事を進めるにあたってのコミュニケーションの要素が入っていません。
旧来の仕事とは、
何か仕事をするにあたって、
それをやって良いかどうか下の者から上の者へ「お伺い」を立て、
それに対して、上の者が下の者へ「許可」を与えて、
あるいはそれをするように上の者が「命令」を下して、
下の者はそれに対して「服従」して「実行」する。
これが、業務の基本的なフローです。
「書類」と「ハンコ」と「形式」の文化とでも言えるでしょうか。
ところが、今の仕事とは、
何か仕事をするにあたって、
それをすべきかどうか、あるいは、どう進めるか、
下の者が上の者に、「相談」をして、
その相談された者と「議論」をして知恵を出し合った末に、
一つの結論を「合意」して、
みんなで力を合わせて、仕事を進める過程においての情報を
「報告」することによって「共有」し、
力を合わせて「結果を出す。」
その「結果」を全体に「連絡」することによって、
一つの経験として「学習」となります。
そのコミュニケーションの多くはインターネットが駆使されます。
ややこしいようですが、
基本となるのは「報・連・相」であって、
「報・連・相」には、上の者が下の者に対しての絶対的な優位がありません。
みんなで知恵を出し合い、力を合わせて、助け合いながら、
一人一人の小さな力を大きな力に変えることが出来ます。
さらに、みんながそれぞれに学習を重ねて、変化に適応できます。
「お伺い、許可、命令、服従」は、上の者と下の者の位置関係は絶対的であり、
みんなで知恵を集めたり、力を合わせたりすることもなく、
むしろ、上下関係の維持に大きな力が費やされます。
一番の欠点は「学習」がそこに発生しないので、すぐに硬直します。
このコミュニケーションの違いが、
旧来の価値感の人には理解できないので、難しいことが起きます。
民主主義のあり方の基本は「報・連・相」に決まっているのですが、
社会の軸になっているはずのお役所が「お伺い、許可、命令、服従」なので、
せっかく「報・連・相」がうまく機能して発展していく会社に、
会社が大きくなる過程で、会社の機能の中に
「お伺い、許可、命令、服従」の要素の業務的なフローが求められるのは、
不思議な現象だと、最近気が付きました。
会社が時代の流れに沿って変化しつつ発展していくには、
「お伺い、許可、命令、服従」では、すぐに硬直化してしまうので、
「報・連・相」の仕組みのコミュニケーション方が、
みんなの知恵と力を合わせて、
みんなで学習しつつ進化していく点において、はるかに有利なのですが、
いつの間にか「お伺い、許可、命令、服従」の構造が、
じわっと侵入してきていることに気が付き、慌てて排除することがあります。
この繰り返しです。
そんなことを、考えました
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