谷 好通コラム

2016年09月04日(日曜日)

9.04.二十年前の”バナナ戦争”と倒産寸前からの脱出

約20年前とは、創業してから10年後、
まだガソリンスタンドである「高津波給油所」と
洗車とコーティングに特化したガソリンスタンド「クリーンベースWith」があり、
共に所属会社は「株式会社タニ」であった。

 

コーティング事業も「スーパーポリマー事業部」として始まっていて、
平成5年にはこの事業部を切り離してアイ・タック技研㈱が造られ、
㈱タニとは別の部隊として全国を飛び回っていて、
私もキーパーコーティング(今のピュアキーパー)の普及に熱中していました。

 

会社全体としてはとりあえず順調に成長を続けている時期で、
みんなで頑張るだけの状態でした。
しかしちょうど20年前、
大変な事が起こりました。
このころのドル箱であった「高津波給油所」の目の前に、
大きな喫茶店があったのですが、
その店が閉店して、土地が売られ、
でっかいガソリンスタンドが出来るというのです。まともに目の前です。
その情報は、どこからか入ってきたかは忘れましたが、
確証度の高い情報でした。

 

その頃、会社の経営はかなり安定してきていましたが、
ドル場である高津波給油所の目の前に大型スタンドが出来れば。
しかも地元に強い会社です。
手をこまねいていれば、お客様かそちら行ってしまうのは目に見えていました。

 

そこで、考えに考えて、
敵が工事を始めるより先に今の高津波給油所を壊してしまって、
大急ぎで新しいガソリンスタンドを造り対抗しようと決めました。
つまり先に建て替えをして迎え撃つことにしました。
座して死ぬより、全力で戦おうとしたわけです。
その頃、計量器メーカーのトキコさんに山田さんという方がいて、
その方が建て替え工事に協力をしてくれました。
とにかく、
突貫工事で、敵より早く店をオープンしようと、
道路を挟んで二店のガソリンスタンドが競争で工事をやりました。

 

その時、いったいどんな店が出来るのだろうかと敵の工事の案内のプレートを見たら、
「会社名 ○○石油、店名 バナナステーション、・・・」と書いてあります。
バナナステーションとは、洒落たつもりの店名でしょうが、
バナナステーションであれば、
オープニングイベントの景品は『バナナ』に違いありません。
間違いなくバナナを来店客に配るオーブンキャンペーンをやるのでしょう。

 

敵の動きが見えれば、もうこっちのもの。勝ったも同然です。

 

こちらの突貫工事は、
お向かいさんよりも一週間早く店舗を開けることが出来そうでした。
こちらのオープニングイベントのメインは、
“バナナ”を中心とした、食べ物いっぱいグルメプレゼントです。
チラシ上の扱いは特には大きくありませんが、
大きな房のバナナを2,000房!用意しました。2tトラック2台分です。

 

バナナステーションがオープニングイベント”バナナプレゼント”をやる前に、
近所に嫌というほどバナナをバラ撒いてしまおうとした訳です。
目の前のバナナステーションの人は本当に嫌だったでしょうね。

 

でも20年も前の、もう時効ということで、すいません。

 

 

でも、この作戦は当たって、
こちらのオープニングイベントは超満員で、
ご来店のお客様は、
とりあえず”バナナ”ひと房と、バンとか卵をもっていきました。

 

 

それに比べて、
一週間後に開店したバナナステーションのオープニングイベントは、
それはもう気の毒なくらい静かで、明らかに失敗でした。
刈谷の町のバナナ戦争は、私達が勝ちました。

 

 

しかし、本当の戦争はここからでした
お互いにガソリンを、仕入れ価格を割ったような低価格で売り合って、
売れば売っただけ損が出るような消耗戦を延々とやったのです。

 

こんなことをやっても誰かが豊かになる訳でもないのに、
目の前の敵、憎さに、果てしない消耗戦です。

 

今、思い出すと、
お向かいのバナナステーションの○○石油さんとは、
一度も話し合いをしていませんでした。
たった一度の話し合いもせずに、
ただ相手憎さだけの、安売り戦争です。本当におろかでした。

 

はっきりした数字は憶えていませんが、
たしか、6か月で、7,000万円くらい赤字を出したと思います。

 

そんな愚かな戦争に嫌気が差したのか○○石油さんは早々に撤退されました。
私達の勝ちです。
しかし、すぐに代わりの販売店さん、新手が来られて戦争は続きます。

 

負けて撤退された○○石油さんは、戦争は終わりですが、
勝って店を続ける私達は、戦争が続く訳です。

 

何か月か経って、結果的に、この二番手の販売店さんとの戦争にも勝って、
二番手の販売店さんも撤退されました。

 

「勝った。勝った。」とみんなで喜びましたが、
すぐに、”三番手”が、大手の特約店であることを知って、
資本力のある会社を相手に、次はもっと長い消耗戦になることが予想されます。

 

一年以上の闘いで、
こちらももうボロボロです。
このまま戦争を続ければ、倒産することは明白です。
このまま進むか、引き返すか。
せっかく二番手にまで勝ったのに。

 

さんざん迷った挙句、
もう、そこでやめました。
勝ったのですが、その店から出ていくことにしました。
店舗を改装してくれた特約店さんには大変申し訳のないことをしましたが、
私達は、その店から逃げ出しました。

 

でも、倒産寸前で、間に合いました。
赤字垂れ流しのもとの戦争から逃げ出したことによって、
かろうじて、経営を立て直すことが出来ました。
その頃、お向かいの店も締めて取り壊していました。

 

私は倒産寸前まで安売り競争をしたことがあります。
死ぬようなつらい思いをして懲りました。

 

私たちが逃げて
しばらく月日が経って、安定してから
この店を買い戻しさせていただいて、
後に「快洗隊・刈谷店」
今の「キーパーLABO刈谷店」になっています。

 

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2016年09月04日(日曜日)

9.04.最初は、愛知県刈谷市山池町5丁目116-1 から始まりました。

昨日、キーパーLABO刈谷店の土地の地主さんにご挨拶に行ってきました。
今度刈谷店を全面改装するための工事が始まるので、その前のご挨拶です。

 

この地は我が社の発祥の地であって、
創業の本社の住所は「愛知県刈谷市山池町5丁目116-1」です。
当時の店舗の名前は「共同石油 高津波給油所」と呼んでいましたが、
「高津波」は道路を挟んだ向こう側の住所であって、
こっちの名前の方がカッコイイと思って、
山池町なのに、勝手に高津波給油所と言っていたのです。

 

31年前の当初の土地代は、
土地1坪当たり政府買上米価格×米一斗二升分と、
この土地で米を作った場合の小作人としての賃料を払っていました。
この賃料は、
先代の加藤兵太郎さんがお亡くなりになり、
加藤俊夫さんの代になって、
弟さんの加藤重己さんとお二人の地主さんになった時、
普通に1坪当たり〇〇円となりました。
※(私は独立してすぐ、実は、小作人になっていたのです。)

 

加藤さんお二人は、1年前の30周年と上場記念のパーティーにも
ご出席いただいていて、盛大であったといっぱい喜んでいただきました。

 

懐かしいお二人との会話は、
心が安らぐ心地良く優しさに溢れたものでした。
相手を思い合う気持ちが31年間、
私達とこの地を支えてくれたものと思います。

 

ありがとうございました。
元中学校の教頭先生・加藤俊夫さんのご夫妻。

 

 

弟さんの加藤重己さんのご夫妻。お近くにお住まいです。

 

 

その加藤重己さんがとんでもない物をお持ちでした。
20年前、改装とバナナ戦争?のため??の”チラシ”そのものです。
これについては、この次の話でじっくりとします。
(チラシをいただいたので、会社の宝物として大切に保管させていただきます。)

 

 

現在の【キーパーLABO刈谷店】

 

 

信頼厚い重松チーフ

 

 

強力な刈谷店再生マジックを黒木店長。

 

 

もうすぐ全面改装の工事にかかります。

 

 

「祝・一級合格!、富上スタッフ」

 

 

基常君は、今度はどんな大切な仕事を任されるのでしょうね。

 

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    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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