2018年10月31日(水曜日)
10.31.仕事は死ぬまでやりたいとけっこう本気で思う。
歳を取ってきたら、
当然、徐々に体は言うことを聞かなくなって来て、
行動範囲が狭くなってくると、必然的に見識も狭くなってくる。
頭は、病的なものが無い限りそんなに鈍くなってくるものではないが、
見識が狭くなってくると、
見えるべきものが見えなくなって来て、
判断を誤ることが多くなることもある。
だから、定年があるのだろうが、それはあながち間違いではなく、
重要なポジションを次の世代の人に引き継いでいくことは大切なことだ。
しかし、それは本人が働くことを辞めなければならないという意味ではない。
広い見識と行動力を必要とする様なポジションは無理になって来ているが、
逆に、大胆な発想とか、集中力を必要とするような、
例えばクリエイティブな分野の仕事が、
歳を取ってくるとむしろ得意になってくるのは、
体を使う行動力が鈍ってきて、
かえって感性が冴えてくるからだろう。
私は若干の不自由が体にあっても、
若い頃、人一倍強い好奇心に身を任せて、
世界中を駆け回って、激しく見て、聞いて、吸収して、動いて、
自分の人生の大半の時間を使って働いてきました。
でも、歳取って来て、
人より先に動けなくなってくると、その事にイラついて、
仕事を投げ出したくなるような自暴自棄の時期が無かった訳ではないが、
それはほんの一瞬で、
いつものようにみんなと夢中で仕事をしていると、
ふと終わった時、頭のてっぺんから指の先まで充実感にしびれて、
つくづくみんなと仕事が好きである事に気が付きます。
死ぬまで働いていたいと心の底から思います。
働いている途中で、バタンと倒れて死んだらなんと幸せかと思います。
だから、
いつか、激しい行動力と広い見識を持ち合わなくてはいけない仕事よりも、
大胆かつ自由な発想で、
深く追いつめる集中力を要するような、
創造力に満ちた仕事をしたい。
そんな身軽で自由さに自分を置いて、活き活きと働いて行きたいと思う。
私の尊敬する人が言っていました。
経営者は、とりわけ創業者は、
死ぬまで馬車馬のように働いて死ぬのがいい。と、
その意味が、少し解かってきたような気がする。
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