2019年09月15日(日曜日)
9.15.タンクトップ姿がまぶしかった初代?所長遠藤さんと
珍しいお客さんが、仙台からやって来た。
KeePer技研の創業会社(株)タニの代表であった私が、
KeePerのケミカルを持って、全国行脚を始めたのは平成5年頃。
まず、最初に仙台に行ったのは、
当時GSも運営していた㈱タニの石油卸し元の営業所が仙台にあったから。
生命保険の外交員が、まず自分の親戚の所に行くのと同じだ。
何の営業でも、最初は、すでに持っている縁をたどっていくのが常套で
知っている人を尋ねていって、その地の誰かを紹介してもらって、
その誰かへの営業活動の中から、そのまた誰かへの縁が出来て、
あるいは向こうからこちらに縁を求めてきたりすることもあって
その地の縁が広がっていく中で、
営業活動が広がり活発になって「常駐の人」と「拠点」が必要になってくる。
最初の出先の拠点は東京トレーニングセンター兼営業所で、
開所は平成12年。
今考えると、
最初の頃の”出張”による全国への営業活動は7年も続いていたのだ。
東京の錦糸町に古い材木屋さんの倉庫を借りて、
車が2台入るだけの超狭小トレセンを造った。
それでも、当時としては随分思い切った投資だったが、
営業マンの常駐と、常設トレセンの設置は、営業効果抜群だった。
愛知県の本社事務所を拠点にして非効率な出張での営業活動を
7年間も続けていたのは、
出張というある意味無駄な時間が時間の流れを短くしていたのかもしれない。
無駄が人間を鈍感にするという典型だったのかもしれない。
全国に営業を展開するのならば、
全国各地に”拠点”と”常駐の人”が絶対に必要であると気が付いて
急いで全国に物件を探し、常駐すべき人の確保に走った。
仙台のKeePer施工店に勤めていて、
KeePerの施工に熟練していたが事情があってその会社を辞め、
違う仕事をしていた南条さんという女性とひょんなきっかけで知り合い、
仙台常駐の社員になって欲しいと頼んだ。
それからどんないきさつがあったか、まったく憶えていないが、
南条さんは応えてくれて、入社し、営業スタッフとしての仕事を身に着けて、
仙台に常駐することになり、とりあえず、事務所を造った。
と言っても普通の1ルームのアパートの一室に机を置いただけの事務所で、
トレーニングセンターを兼ねる営業所を造るまでの臨時のものだった。
その事務所を、私は営業部長と暑い夏のある日に見に行った。
臨時の事務所なので、クーラーもなく暑く蒸し返った事務所で、
南条さんは汗びっしょりになって仕事をしていたが、
そのタンクトップ姿がまぶしくかった覚えがある。
あの時が、初めてのKeePer仙台営業所・所長の誕生だった。
やがて南条さんは地元の男性を結婚して遠藤さんとなり、
子供を授かって、産休し、男の子・久平君が無事に生まれ、
産休明けで復職した。
復職して遠藤さんはインストラクターとして活躍してくれた。
ある時、遠藤さんと仕事で車に乗っていた時、
お腹が痛くなって、ちょうどその時、
遠藤さんが子供を昼間預けていた実家の近くを通りかかっていたので、
実家のトイレを借りたことがあり、
その時、遠藤さんのお母さんにも挨拶出来たし、
大きくなった久平君を見ることが出来たので良かったのですが、
久平君にとってはお母さんの突然の帰宅だったので、
また仕事に出ていく時、久平君が遠藤さんを後追いして泣いて、
その姿が私には可哀そうに思えて
遠藤さんに、出張の多い営業仕事はしばらく控えて、
トレセンで研修会だけアルバイトとしてやって、
久平君との時間を多くしたら?
と話をしたら、
ただでさえ守備範囲の広い東北地方の営業は、宿泊も伴う出張もあり、
遠藤さんは無理して、緊張感を持って仕事をしてくれていたのでしょう。
その張っていた気がプツンと切れたかのように残念ながら退社しました。
私は、あの時の事がずっと気持ちの中で引っかかっていて、
後追いする子供が可哀相だと思うのは母親が一番に決まっていて、
それをぐっと耐えていたのに、
他人の私が「可哀相では…」というのは、
いかにも無神経だったと、後悔した。
しかし、その事を久しぶりに会った遠藤さんに言ったら、
「えっ? そんなことありましたっけ?
久平は、いつも後追いしなかったですよ。」と、あっけらかん。
しかし、あの時の子、久平君が今23才というので、
今が令和元年で、平成で言うと31年なので、
31-23=8
ということは、仙台トレセン準備室として初めて仙台のアパートの一室に
仙台営業所が出来たのは、それよりも少なくとも1年以上前であって、
平成7年以前ということになる。
とすると、東京トレセン兼営業所が出来るより5年も前であり、
仙台営業所はKeePer最初の営業所であり、
遠藤さんは、KeePer初の営業所所長ということになる。
タンクトップ姿がまぶしかった遠藤さんと、
今は浜松の自動車メーカーに働く23才の久平君。
車好きの久平君がお母さんを乗せてきたアルトワークス。
こだわりの車ですね。
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