2021年02月22日(月曜日)
2.22.相手を感じない間接的な言葉のむずかしさ
あるIRで、スモールミーティングとして、
多数の投資家の方とのインタビューをお受けしたのですが、
電話会議のシステムを使って、
でも最初は、先方の方の声は聞こえず、私が一方的に四半期の報告をして、
反応が全くないまま話を続けることが非常につらかったのですが、
まとまらないまま一応の話を終えました。
しかしそのあと
皆さんの質問をお受けして私が回答するのですが、
皆さんの質問を、皆さんから直接ではなく、
司会の女性スタッフの方から間接的に質問されたので、
その質問のニュアンスが判らなくて、
非常に苦しいコミュニケーションを経験しました。
最後に出席の皆さんから直接のご質問をお受けして、
やっと普通のコミュニケーションになったのですが、
相手が電話口の向こうにいて、こちらの話を聞いているのに、
その人から直接ではなく、他の人の言葉で間接的に聞かれることの不自由さ、
難しさについイラッイラッとして、
丁寧さを失ったのは、参加者の皆さんには本当に申し訳なかった。
あの形式のコミュニケーションは、コロナ対策であったにしても、
これからは、もう出来ないな。と思ってしまいました。
コミュニケーションは書かれた言葉での文章でも出来るが、
それを淡々と読まれてしまうと、返って、
コミュニケーションが成り立たなくってしまうことを初めて経験しました。
英語とかドイツ語での通訳さんを介したコミュニケーションは、
最初慣れていなかった頃、不自由を感じましたが、
何回か繰り返しているうちに慣れてしまい、
今は何とも思いませんが、
相手の姿が見えない状態で、
相手の言葉を、誰か知らない人に読まれてのコミュニケーションは、
もう無理だと思いました。
コミュニケーションは、やはり相手の姿が見えるか、
相手の声が聞こるかしないと、
外国語での間接的なコミュニケーション以上に、
なかなか成り立たないものだと初めて知った経験でした。
暗闇の中で、他人の言葉を相手のコミュニケーションは、
私には無理でした。
よほどの状況でも、誰とでもコミュニケーションを待つ自信があるつもりですが、
こういうのは、さすがに、もうやめておこうと思っています。
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