谷 好通コラム

2023年06月14日(水曜日)

06.14.今日は午後4時に帰社しました。だから、やたらに長い文章。

今日は午後4時に帰社しました。

帰って行く所もあったのですが、今日の午後3時過ぎから奇跡的に

たまたまスケジュールの空白があったのです。

 

午後6時くらいから家で夕食を食べたら、

たっぷりの時間が出来て、時間無制限で文章を書き始めたら、

本当にとてもとても長い、

しかもよく解らないような文章になってしまいました。

しかし、せっかく書いたので、

とりあえず、載せます。

 

 

今朝のモーニングショーで、

どこかの地方の酪農牧場で、縛られている乳牛の中の一頭が

働いている男性(たぶん)スタッフに足で蹴られたり、

残酷なのは、鼻輪につけられたロープを、上の方にある金具に掛けて

そのロープを体重をかけて引っ張り、

その鼻輪で乳牛の鼻を吊るし上げられた乳牛の苦痛にゆがんだ表情と、

ガっと見開かれた目が痛々しく、その図は拷問そのもので、

朝ご飯を食べながら見ていられるような場面ではありませんでした。

 

それをよせばいいのに、

その数秒間の酷い場面を何回も何回もしつこく続けて繰り返し見せる演出に、

思わずチャンネルを変えてしまいました。

多分、あの場面を境に、あのフジテレビの視聴率は急降下したでしょう。

とても見ていられる場面ではありませんでした。

どぎつい場面を繰り返し見せるあの手法は

フジテレビだけの手法ではないのでしょうが、

少なくともあのひどい手法を見せ続けるフジテレビは、

意外とそんなところに、今の凋落につながる遠因があるのかもません。

私は、朝、フジテレビの「めざましテレビ」を見るのが習慣ですが、

どぎつい場面を繰り返し見せるあの手法があったら、

その場で必ずチャンネルを変える。

チャンネルを変えたら「星占い」まで、元に戻すことはない

 

話を、戻す。

あの可哀そうな「牛」家畜の話。

あの牛の悲壮な表情に胸が痛んだ。

しかし、

そんなことを言っている私達だって

牛肉を食べて美味しいと思うし、また食べたいと思います。

牛肉が、牛を殺して切り取った牛の肉体の一部だと分かっていても、

何の抵抗もなく食べられるし、間違いなく美味しい。

しかも、牛は知能が高く、

犬や猫たちと何ら遜色のない知能を持っていて、

クジラやイルカにだって、そんなには負けない。

 

 

私たちホモサピエンスは雑食であるが、

もともと狩猟生活をしていて

草食である以前に主に肉食であった。

どんな動物でも殺して食べます。

食べられる動物にとっては、人間は最強の敵であり

特に家畜にとっては人間は絶対に勝てない恐怖の敵でしょう。

 

たとえば鶏ならば、

家畜として生まれて

じきに狭い空間に閉じ込められて、

一生そこで同じエサを食べ、微移動しかできず、

眠り、排泄し、見える景色はその間たった一つ。

愛されず、愛さず、

男性の鶏ならば、

ほんの一部の個体を除いて

生き物として重要な繁殖行為の相手である女性の姿を見ることもなく、

もちろん繁殖行為を経験することもなく

短時間で体だけ一人前に育ったら、

一瞬、外界に連れ出され、

しばらくすることもなく、もう殺されるだけ。

自分の肉体を食べられるために。

女性の鶏ならば、

ほんの一部の個体を除いて

生き物として重要な繁殖行為の相手である男性の姿を見ることもなく、

もちろん繁殖行為を経験することもなく

一生、長い時間、無精子の卵を産み続け、

老いて、卵を産まなくなったら、

外界に連れ出され、

しばらくすることもなく、もう殺されるだけ。自分の肉を食べられるために。

 

それでも、卵を食べるのにセンチメンタルになる人間はいないし、

鶏肉はヘルシーで美味しい。

鳥のから揚げを食べる時に、て鳥の一生を思い浮かべ食べる者は絶対にいない。

 

牛も鳥も、豚も羊も似たような一生だろう。

家畜とはそういうもので、

本人にとって幸せを感じるような一生ではないだろう。

 

家畜にとっては、

テレビに出ていた牛の鼻輪を引っ張り上げ牛をいじめていたあの男も、

自分の肉を美味しいと言って食べる人達も、牛にとっては同じなのだろう。

 

 

しかし、そんな風に考えると何も食べられないし、

人間は生きていけない。

そう、人は自分が生きるために他の生き物を殺し食べている。

地球上のすべての生き物が「食物連鎖の中」にいて、

人間は、その頂点にいるだけ。

頂点と言っても、

人間は微生物に食われ続けているし、

一見、頂点にいるようで、

やっぱり連鎖の”中”にいることに変わりない。

 

生き物は他の生き物(植物も含む)を食って生き、

その食物連鎖の一部として、時には食われることも当たり前だ。

 

生き物は、他種の生き物を”食う為に殺す”ことが自然の摂理であって、

食う為に殺される他種の生き物は、

自然の摂理の一部に過ぎない。

家畜はその一環として効率的な方法で育てられて殺される。

だから、その事自体は残酷な事でも自然の摂理から外れている事でもない。

生き物は他の生き物を食うことによってのみ存在出来るのだから、

食うこと(殺すこと)は、自然の摂理の根幹なのだ。

 

してはいけないことは、

殺した他種の生き物を食べもしないで遊び、或いは興味本位で殺す事。

あるいは自分の征服欲とか、憎しみなんかで相手を殺すこと。

あるいは生かすことだと思う。

人の遊びの為に、他種の生き物を不幸に生かすことも

自然の摂理から外れた行為だと思う。

(フランスではペットを飼うことは許されているが、

ペットショップとブリーダーは禁止されているそうだ。)

 

自然の中から、

食う目的以外で

何らかの過程で人間の世界に来てもらっている野生の動物を、

人間が不幸にする権利を、私達人間は持っていない。

彼らを出来るだけ幸せにする義務しか持っていない。

 

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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