2025年11月27日(木曜日)
11.27.自分では解っているつもりでも、皆に聞くと納得の答えが、
自分の意見とは、自分の価値観で一番良いと思った意見なので、
それが正しい意見に意見だと思いがちで、当然、自己主張する訳ですが、
自分の意見とは、
自分の視点(地点)から見えた風景による自分の判断からの意見であって、
他人という自分とは違う立場(地点)から見える風景は、当然、違っていて、
そこから出てくる意見も、当然違ってくる。
だから、
自分としては正しいとしか思えないような意見でも、
立場がちょっと違うだけで、
そこから出てくる意見も当然違うので、
そこで、それぞれが勝手に自己主張したら、
立場が強い者の意見だけがいつも通ってしまい、偏った見方になってしまう。
ひょっとしたら国と国の戦争なんて、
こんな偏った意見同士の食い違いがエスカレートして
人と人が殺し合うような残酷な戦争になってしまうのかもしれない。
今、全国で問題になっている熊の出没問題でも、
人間の立場からすれば、
人の平穏な生活を乱す熊は
危険な存在であり、単に「敵」かもしれませんが、
熊の立場からすれば、
山の木の実が不作で、母も子も腹ペコで、
このままでは自分も子供達も飢え死にしてしまうので
母に連れられてウロウロと街に出てきてしまった親子連れが、
単に敵として、母子もろとも問答無用で一方的に殺されるのは悲しい事です。
ただ単に害獣として駆除する以外に、
同じ地球に生き、
同じ生態系を形成する生き物として、
何とか違う方法を取れないだろうかと思う。
人は、
自分と違う意見を、
短絡的に、間違った意見として退けるのではなく、
自分と違った意見を、自分とは違う立場からの意見として
とりあえず受け入れて、話し合い、
お互いを理解して、新たな方法を生み出すのが理性というものだろう。
テーゼが生まれれば、
アンチテーゼが必然的に発生して、
闘争の上で、或いは、融合して統合テーゼが生まれる。
昔、お勉強した正・反・合のヘーゲルの「弁証法」。
自分の意見と、
当然、それに対立する他人の意見があって
その両者が戦えば戦争に発展するし、
或いは、力関係がはっきりしていて
戦わずして片方が勝てば、負けた方が「服従」する事になる。
多くの場合、これが人間の歴史であった。
しかし、人類は、
全開で戦えぱ、お互いに何十回も全滅させられるような、
過剰な核兵器を。複数国が持った今、
どの国も、全面戦争は自らの全滅をも伴うので、
野良犬の吠え合いのような罵り合いか、
或いは、通常兵器だけで殺し合う局所戦を繰り返すのみになっている。
ちょっと極端な話になってしまったが、
何を言いたいかというと、
何かを造る時とか、何か物事を進める時には、
誰かが自分の思った通りに進めたくて、自己主張を強めるより、
皆が、みんなの意見を持ち寄って、
みんなの知恵を出し合って、話し合い、検討し、議論して造った方が、
ウンと良いものが出来る。
良いだけでなく、
みんなで意見を持ち合い、話し合って造られていると、
その表現とかの意味をみんなが知っているので、正しく運用されやすい。
飛び抜けて才能がある人が造った作品は、
独特であり、そこに意味があって魅力的かもしれないが、
普通の人が、勘違いして、我を張り、自己主張して出来た作品は、
単にその人の我の強さが表面に出ているだけで、
それを見る人に訴えるものは何も浮き出てこない。
ところが、多くの関わっている人たちが話し合い、
議論を深めて合意のもとで作り上げたものは、
意外と、
多くの人に受け入れられ、役に立つものが出来ることがある。
皆が真剣に意見を持ち合い、議論して造ったものは役立つ。
意外と優れていて、
本当に、役に立つ。すごくいいと思います。
Posted パーマリンク





