谷 好通コラム

2024年02月07日(水曜日)

02.07.カーボンボディの№38 KeePer CERUMO初登場

今日は、またお酒を飲んでしまい酔っぱらってしまったので、

文字は無しの写真だけです。

 

一切のステッカー無し、カーボンボディの№38 KeePer CERUMOは、

車両が全面変更の時にしか見られない、

実は、稀有な写真1枚です。

Posted   パーマリンク

2024年02月06日(火曜日)

02.06.新店半年目のLABO松山店と、西日本1位になったLABO福山店。

半年前に新規オープンしたKeePer LABO松山店は、

四国で唯一のKeePer LABOの直営店です。

だから、中々ついでが無いので、

LABO松山店を訪れる本社の者も少ない。

だから、LABO松山店の事は中々話題に上る事が少ない。

ほとんどの皆が、この店の事を見た事もないのだから、実感もなく、

話題にしようもないのです。

私も行ったことがないので、想像でしかものを言うことが出来ない。

いつまでもこれではいけないなと日頃から思っていた。

たまたま、松山市と同じ愛媛県の今治市で見るべき物件があったので、

強引に日程を作って行って来ました。

 

やっぱり行って良かったなと思うのは、

もちろんみんなの顔を見られたことと、これから松山店の日報を見た時に、

その報告を、実感を持って見られる事。

現状が、なぜ現状なのかが理解が出来た事、何をすべきか見えた事、

数字とか報告を見て分かったような気になっていたが、

やっぱり実際に見て聞くと随分理解できたのは、印象的であった。

この店は着実に成長していくいいKeePer LABOです。

KeePer LABO松山店

(店前の雑草に見える草は、前面道路の中央分離帯に生えている雑草です。

 

チョキ(ピース?)のはら君

キーパーのなかにし君。

グーのきむら君。

1番!の高見店長。

 

LABO松山店から約1時間、人口約10万人の今治市。

タオルの産地として有名だが、

中国産の安いタオルに押されて、しばらく沈滞したが、

最近では今治産タオルの品質の良さが見直されて、景気が持ち直している。

新店候補はじっくりと見させてもらったので、わざわざ来た甲斐があった。

 

そこからまた1時間走って本州の福山市に入る。

KeePer LABO福山店は、福山市内でもほとんど一番の立地に有って、

初代の店長から優秀な店長が続いて、

今は、この地域の営業の責任者を務めたこともあり、

その上でLABO福山店の責任者になって、

営業の経験がすごく役立っていて

この12月には西日本のLABO全店の中の1番の実績を上げていた。

東京のトップLABOにも全く引けを取らない実績で、

一地方都市の店舗としては素晴らしく優秀な実績を上げている。

昨年の夏過ぎにキャパシティアップの工事を行っており、効果てきめんだった。

この日はたまたま四人の出勤ですが、全部で十人の陣容だそうです。

佐伯店長

熊本のアイビーさんから勉強中のみやもとさん。

やまおかさん。

たなか君

使い勝手のいい広いコーティングブース。

Posted   パーマリンク

2024年02月05日(月曜日)

02.05.何年ぶりかでプロペラ機に乗りました。

今日は午前便で飛行機に乗り松山まで行きました。

それで、久しぶりにプロペラ機に乗ったのです。

何年か前、確か5.6年前からだと思うのですが、

体の都合でほとんど出張をすることが出来なくなってから、

2年前の手術を経てすっかり健康が戻った今に至るまで、

去年頑張ってドイツに行ったことを除いて、

ほとんど飛行機に乗っていません。

 

今も宿泊が苦手になっているので、

飛行機に乗る必要があるよう所にはあまり出張をしていません。

だから、必然的に、もう何年もプロペラ機に乗っていなかったのです。

 

もう一つ、KeePer LABOの新店がオープンしても、

訪問していない店舗がだんだん溜まってきて、

いつか行こう、いつか、と言っていると、どんどんまた溜まってくるので、

日にちを決めて行く計画を立てたのです。

その第一が「KeePer LABO松山インター店」、

 

松山には新幹線と在来線「特急しおかぜ」で行こうとすると、

往復10時間(待ち時間含む)位かかるので、日帰りは無理だったのです。

だからと言って往復飛行機に乗って松山インター店にだけ行くのは非効率。

しかし、松山市から約1時間の今治市に新たな新店候補が上がったので、

チャンスと思っていくことにしたのです。

松山に飛行機で飛んで、新店KeePer LABO松山インター店に行き、

そのまま今治市に走って新候補をじっくり見て、

そのままの車で「しまなみ海道」を通って、

福山に入ってLABO福山店に寄って、

いつの間にか佐伯店長の元、西日本№1になったLABO福山店を訪問して、

みんなと会ってから、福山駅から新幹線で名古屋に帰る日帰り行。

午後8時34分名古屋着。

うまく行きました。

 

という事で、話が長くなりましたが、

今日の午前、

何年振りかで、松山行はプロペラ機に乗りました。

松山に着いてからの事は、明日また書くことにして、

今日は、プロペラ機に乗ったことについてだけにします。

 

私は、今日久しぶりにプロペラ機(BHC-400 Q8?)に乗って、

エキサイトした訳ですが、

ふと気が着いたのですが、

私は二十年以上前、日本国中を飛行機で飛び回っていたのは、

これが大好きだったからだったかもしれません。

超久しぶりに、雨の中すごく揺れるプロペラ機に乗って、私は、

この窓の外の空からの世界に、

怖さを伴った興奮と、静かな快感を思い出しました。

松山に降りてからの事は明日早い時間に書いて皆の写真と共に載せます。

 

まず、今日は、

たった6,000mからこの絵はすごいでしょ。私は涙が出てきます。

Posted   パーマリンク

2024年02月04日(日曜日)

02.04.今日の一日は、死ぬ前に思い出すかもしれない平和な一日でした。

表題のように大げさな書き方をすると、

今日、何があったのかと心配をおかけしてしまうかもしれないが、

一大事のようなことは何もありませんでした。

ただ、孫息子が昨日から来ていて、

今日一日いて、

明日帰って行くことになっているだけです。

私は明日の朝、飛行機に乗って四国・松山に飛ぶことになっています。

今日は、

一緒に日本モンキーセンターに行きました。

日本モンキーセンターの猿達は、みんなゆったりしています。

誰一人としてツラそうになんてしていず、ゆったりと暮らしています。

みんなのんびりして幸せそうなのです。

そういう空間にいると、こちらもゆったりとした気持ちになって、

とても幸せな気持ちになれます。

観客の目からは、視界を邪魔するような樹木がオリの中にいっぱい有ったりして、

見にくいだけかもしれませんが、

猿は平和そうなので、これでいいのでしょう。

 

今日は、空気が冷たい割には陽が照っていて、

セーターだけで歩いていても暖かかく、快適でした。

 

そんな日本モンキーセンターの中を私の乗る車イスを孫が押してくれて、

長い登り坂を頑張って押してくれましたが、

さすがに陸上短距離の選手だけあって、息の一つも乱れず、

一緒になって平和に暮らす猿達を、平和に無駄口を言いながら一緒に見ました。

こんなに長い時間、仕事の事を考えなかったことは無かったでしょう。

 

今日の一日は、死ぬ前に思う出すかもしれないほど穏やかな平和な一日でした。

Posted   パーマリンク

2024年02月03日(土曜日)

02.03. 11話.転職はヒエラルキーからカーストへの変化だけだった。

自分が担当していた店舗の成績がたまたまの偶然で急激に上がり、評価してもらえた事でいい気になって、というより勘違いして、自分の意見が通らなかった時には公然と会社に対して批判じみたことを口にするようになったから、当然、上から叩かれるようになる。大きな会社の組織はかなりの階層によって成り立っていて、現場の立場というのはかなり底辺に位置していた。だから、現場で少し目立って成功したからと言って、上から褒められることはあっても、現場は現場であって上に意見を言える立場になった訳ではない。

大会社には主に学歴を元とした階層、今で言えばヒエラルキーが越えられぬ壁が厳然としてあった。しかし、私は勘違いしたまま楯突いていたので最後は会社を辞める事になったのだろう。大きな会社の中では仕事がいくら出来たとしても、ずっと褒められる立場にいるだけで、上から褒める立場にはならないのだと察したのです。

 

だから、今度はそれほど大きな会社ではなく小さな規模で、でも古い歴史をもった安定した会社に入った。小さな会社ならば、目立った活躍をすれば上に突き抜けるチャンスがあるかもしれないと思ったのです。一応、現場を走り廻らなくてもいいような立場になったのですが、担当の店舗は決まっていて店舗の管理と企画をして店舗の売り上げを上げる事が仕事です。現場にはいるが、現場の作業を直接はしなくてもいい要務職という立場のようでした。その仕事でも、一応の成果は出して店舗の成績は上げました。しかし、その店舗が終わったら、すぐ次の店舗を担当する形で、現場の仕事は続いて行ったのです。

ある時、何かの会合で食事の会があってそれに同席した時、その会社の社長はいかにも社長らしいビシッとした服装をして、私達とは一目で違いが解る堂々とした姿でした。と同時に同行していた社長の長男(普段はいつも私達と一緒に働いていた)も、いかにも跡継ぎらしく高そうな高級背広を着、私達とはいかにも違う世界の人間らしい堂々とした態度でした。

この時、理解しました。私は前の大会社で越えられないヒエラルキーを悟って小さな会社に転職したのですが、そこにはもっと強烈な「血のつながり」というもっと強固なカースト制のようなヒエラルキーがあったのです。

 

この時に明確に分かりました。自分は独立して(起業して)、最初から社長になって、自立してその会社を大きくしていくしか納得できる方法は無い。と。

 

Posted   パーマリンク

ページのトップへ ページのトップへ

  • 最近の記事

  • プロフィール

    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

  • カレンダー

    2025年8月
     12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31  
  • リンク集

  • 過去の記事

  • RSS1.0

    [Login]

    (C) KeePer Giken. All rights reserved.