2023年10月13日(金曜日)
10.13.凶悪犯の結果的な正当化は、後に大きな悔いを残すのではないか。
インフルエンザの熱が下がってとうとう平熱になってしまった。
だから、やる事がないので、今日はもう一つ書く。
統一教会がようやく宗教法人をはずされ、
何の特権もない、税制の優遇もないただの団体になるらしい。
それを解散命令と書かれると、
統一教会そのものが無くなるような思えるが、
どうもそうではないらしく、宗教法人の特権が外されるだけのようだ。
統一教会は私が学生の頃からあって、反共団体であり、
絶対的な教祖がいる新興宗教団体で
何千人もの集団お見合いで強制的に結婚相手が決められるとか、
強烈な集金マシーンであるとか、
明るいクリーンなイメージは全くなく、
あの頃に私にとっては、近づいてはいけない危険な存在だった。
さらに、ずっと、
家庭が破滅するような莫大な寄付金を寄付し続ける事が絶対的な善だとする
恐ろしい教えで、数えきれないほど多くの家庭が破産して、
数えないほど多くの家庭を破壊してきた。
しかし、この犯罪の恐ろしい所は、
莫大な寄付をする本人は、騙されているとも強制されているとも思おわず、
自分の意志で金を払っているので、犯罪が成り立たず野放しになったいた所だ。
しかし、
その結果が、悲惨な家庭の破壊なのは解っていて、また無数なので、
何とかすれば、絶対に何とかできたはずなのに、
結果的に野放しのままだった。
政治家との接点の存在がその因だとすればそれはそれで許される事ではない。
統一教会の被害者で破滅した家庭の息子・山上が、
安部元首相を暗殺した。
統一教会との接点があった疑いがあるからという理由での暗殺だ。
ある悪い団体の被害者の関係者(山上)が、
その悪い団体に接点があったかもしれない政治家(安部元首相)を暗殺した。
その悪い団体(統一教会)の悪事を白日の下に晒したいから。が、動機だ。
山上は、ただの「人殺し」であり、
被害者は加害者・加害者の関係者に「復讐」をしていいという
「リンチ」思想の卑怯かつ卑劣な凶悪犯人でしかない。
山上を正当化する理由は何一つない。ただの凶悪犯。ここは絶対に譲れない。
しかし、山上の
「悪い団体(統一教会)の悪事を白日の下に晒したい」は、見事に成功した。
私はこれをもの凄く恐ろしいことだと思うのです。
この事実は、
短絡すれば、「被害種は加害者を殺してもいい。」が、
日本国中の統一教会への集中砲火で、正当化されてしまった事になります。
殺人が正当化されるのは、これはまさに戦争です。
戦争を条件付きにしろ正当化すると、みんなの心に戦争が芽生えたことになる。
後に大きな悔いを残すのではないか。
統一教会は、もっと前に、何十年も前に、
膨大な家庭を破壊した悪事を摘発しておくべきだった。
大物政治家が暗殺されたことがきっかけで、
やっと摘発出来たとしたら、
それは政治家と官僚が、国民にまったく興味がないことになる。
これはこれで、後に大きな悔いを残すのではないだろうか。
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2023年10月13日(金曜日)
10.13.官が民に対して優位であり、指導的であるのか。
インフルエンザの熱が37.1℃に下がって、
思いっきり硬いことを書いてみたくなった。
会社法人あるいは事業というものは、
世の中にある資本及び人的資本を用いて
世の中の皆さんに益となるような価値を作り出し。
それを世の中に提供して、
その価値が、使った資本よりも大きければ利益を生み出し、
その利益の蓄積と拡大によって事業を拡大し成長させる。
しかし、その法人が
そもそもその事業そのものが法を逸した内容を持っていて、
事業そのものが反社会的な意味合いを持っている場合は、法人とは言えない。
また、事業活動の過程において、
ある一定の個人に偏って権限が集中して、
ある一定の個人がその事業活動の中で生み出される利益を偏って取得したり、
ある一定の個人或いは団体が、自らの為に使った経費を、
その事業の経費に振り替えて、不当に利益を得る。
これは法人とは言えず、脱税行為でもある。
多くの事業の場合、ある一定の規模を超せば、
個人として運営するよりも、法人格として運営した方が、
社会的な信用を得られるし、税制的にもうんと有利だ。
だから私たち事業家は、ほとんどの人が事業を法人化をする。
つまり、事業そのものの目的を「個人」から、
事業を構成する人、事業に関わる人・法人、その全部を含む「法人」にする。
という意味で、事業に社会性と公明性を持たせることで、
税制的な優位性や法的な特例、社会的な信用を得る。
しかし、その特例や優位性を得る為に、
その事業が明らかに個人の利益に帰するのに、
法人の体裁だけを整えて、会社を法人格にしている個人事業家は多い。
それがある一定の大きさを超えて、
株式会社として株式上場までしてくると、
事業から得られる利益が一定の個人に流れ、蓄積しては、
その事業全体の所有者である株主全体が得られる筈の利益が大きく目減りし、
利益が公平に分配されない。
それでは何のために税制の優位性が与えられているのか意味が無いし、
社会的な信用が得られない。
それを防ぐために株式会社には監査役という役割がある。
株式会社であるべき統制がきちんと機能して、
その事業が個人事業ではなく、
株式会社としての法人事業であり続けることを担保している。
その目的は、
その法人が反社会的、あるいは犯罪的な存在ではないことの確認。
また、その法人が個人事業化していないかを確認し、
その為の制度的な整備を促していくこと。
ただ、制度的な整備はそのこと自体が目的ではなく、
事業の個人所有化・混同を防ぐことが目的で、
制度的な整備そのものに、とらわれていては目的そのものを見失う。
また、その制度そのものが、
事業を行ったことのない官によって造られることに
少なからず違和感を持っています。
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2023年10月13日(金曜日)
10.13.インフルエンザA型。5日間の自宅隔離だそうです。
昨日、37℃程度の微熱が出たので、念のためと思って病院に行ったら、
インフルエンザA型だということです。
熱はそれほど上がらないし、咳もほとんど出ず、頭もまったく痛くない。
これが新型コロナよりも症状がひどいというインフルエンザなのだろうか?
と思いつつ5日間の自宅隔離だそうなので、おとなしく自宅にいます。
昨夜はさすがに夜中に38.4度まで上がりましたが、
今は37.4℃で全然平気です。
二年前、延べ二か月間3度にわたって間を置かずに入院して、
すっかり健康を取り戻した時、時間の長さがとてもつらかったのですが、
今回の5日間は、全然、苦にもなりません。
とは言っても、その間にお会いする約束があった方には、
リスケをお願いしなければなりませんので、申し訳なく思っております。
二年前、入院していた時は、傷の治癒が主な仕事だったので、
頭は何の影響もなく、毎日ZOOMで会議にも出ていたし、
このブログも日に複数話も書いたりしてしましたが、
今回は、さすがに少しは熱があるので、ちょっとボーっとしています。
とりあえず、現状の報告です。
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2023年10月11日(水曜日)
10.11.久しぶりにブログを二日間連続で休みました。
もちろん仕事はずっとやっていましたが、
このブログを久しぶりに二日間休みました。
一昨日は、群馬の高崎市に日帰りをしたのですが、
帰りの新幹線が、東北新幹線での薬品漏れ事故の影響で、ものすごく遅れて、
新幹線の中からビールを飲み始めて、
遅くに家に帰り着いてからも飲んじゃって酔っぱらったので、
書くのを休みました。
昨日は、昼間にどうも不条理と思えるようなことがあって、
でも、夕方からはとても楽しいことがあったのですが、
乗せてもらった車の中から飲み始めて、
遅い時間に家に帰ってからまた飲んじゃって、
酔っぱらったので、また書くのを休みました。
私がこのブログを休むのは、
酔っぱらってしまった時ということを多くの人がご存じなので、
心配しているようなことは無いと思いますが、
その通りです。酔っぱらっていたのです。
今日は大切なことがあって、
安堵で飲みたい気分でもありますが、
ちょっと喉がムズムズするので、用心してアルコールは抜きとしました。
体温は全くの平熱(36.4℃)なので、心配するようなことではないと思いますが、
用心して、ものすごく久しぶりの休肝日です。
昨日の夜、ものすごく楽しかったこと。
東京モビィリティショーの準備が着々と進んでいます。
昨日の昼、秋の空。
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2023年10月08日(日曜日)
10.08.危機の察知とチャンスの察知。客観的と、共感的に見える事。
客観的に物事を見ることはいつも絶対に必要です。
言うまでもなく客観性の最たるものは数字です。
その数字が持っている意味をよく理解した上で、
その一つ一つの数字が小さい時の意味、大きい時の意味、
また、他の数字との相関関係をよく理解していると、
色んなケースを経験する中で、
この会社の、或いは一つ一つの店舗の状況をおおよそ理解することが出来て、
その強みが見えたり、あるいは改善すべき点が見えたり、
時には異常を発見することも出来る。
或いは危険な兆候が見つかる事もある。
数字は見慣れてくると、
その数字の並びに信頼と誠実が造る平和な風景が見えたり、
逆に、苦痛や悲しみが見えたりもする。
或いは、その数字を作り出した人の傲慢が見えたり、臆病が見えたりもする。
百の言葉を並べるより、
一つ一つの数字の意味と、
その数字の並びが物語る意味の方が合っている場合もある。
しかし、当然、数字は数字でしかなく、
たくさんの事の積み重ねの結果であるが、しかし結果でしかない。
そこに至るまでの経過が解かる訳ではないので、
数字が万能である訳ではなく、あくまでも参考でしかないのは当然です。
しかし主観や何らかの意図が入り込んだ言葉や文章に対して
数字は、事実であるだけに客観的な判断の参考としてはむしろ強いものです。
しかし、あまりにも細かくバラバラにした数字の羅列は、
危機の察知に必要な傾向と異常値を、
多過ぎる数字の羅列の中に埋没させて、見えなくしてしまう弊害があります。
機器の察知には客観的な方向性として、
数字の意味の理解が大きな意味を持ちます。
あるいは、
危機の察知とは正反対の意味で、
企業の成長に絶対的に必要な”チャンス”の察知、発見に、
数字が果たす役割も見逃せません。
数字の傾向が持つ意味の中に、
自分達が、気が着かなかったチャンスが表れていることがあって、
環境の変化・顧客の意思の変化を数字の中に見出すことは少なくありません。
数字は、
単に成績を表しているものでなく、競争の道具でもない。
企業活動の意義
「世の中に価値を提供して、報酬を得て成り立ち、成長する。
その事によって内外共に関わる全ての者が糧を得て其々の幸福を求める。」
数字は、相関関係を持った数字の並びは、
あらゆる企業共通の目的を実現する過程を表す客観的なバロメーター。
それだけでなく危機もチャンスも表すことがあります。
危機の察知とチャンスの察知に必要なのは、
客観的な数字が示す意味を察知すると共に、
もう一つ重要なのは、
或いは、
もっと重要なのは、
危機のシグナルが何かの拍子に出た時に、
そのシグナルに誰かが気が着いて、
その誰かが発した声に、
それが誰であろうとみんなが聞く耳を持てるかどうかということです。
そしてそのシグナルに反応して、すぐさま有効な対応策を打てるかどうか。
これを机上で考えるならば、
「仕組み作り」ということになるだろうが、
いくら仕組みを作っても、仕組みが動くのを待っていてはもう遅い。、
むしろ肝心なのは危機に対する敏感さ、
敏感な危機感をいつも会社として持てていれば、仕組み以前に反応できる。
しかし、それにしても、なんにしても、
危機のシグナルに気が着く感性を持てるかどうか。
その肝になるのが、いつもお客様側からの感性を持てるかどうか。
お客様との共感性を持ち合わせた人間が常にいることが決め手になってくる。
これは、実はチャンスの察知にも決め手になっていて、
売っている側からは中々見えないお客様の中にある購買のポイントが、
ふとお客様の気持ちになれたこちら側の者が気が着くと、
お客様の購買意欲のポイントを着いた商品づくりや、販促策が生まれる。
危機の察知と、チャンスの察知は、
私達がいかに客観的と、共感的に物事が見える事。
ここが重要なポイントだと考えました。
いずれにしても、鈍くては話になりません。
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