2023年01月12日(木曜日)
10.12.チーちゃんの耳の先が折れ曲がった。
今年の七月で20歳になる猫のチーちゃんは、
猫の20歳とは人間でいえば100歳になる訳で、
いよいよ老化が進んでいるようです。
右耳の先っぽが突然折れ曲がって戻らなくなってしまったのは、
老化の表れの一つなのでしょう。
毛並みも乱れてくています。
まだ食欲はあるので体力はあるようですが、
排便力が衰えてきていて
すごく嫌がりますが週二回の浣腸に頼らざるを得なくなっています。
でも排便があると、また食欲が出るので弱ってはいません。
今や、チーちゃんは
昔から家族づきあいの動物病院の常連さんになっています。
でも、老化は確実にやってきて否が応でも進んでいきます。
誰にも止めることは出来ません。
私の場合はまだ70歳になったばかりで、老人の初心者みたいなものですが、
明らかに老化の現象が表れ始めていて、
腰を痛めて「痛み止めを飲んでいればそのうち治る」と医者に言われても、
不意に治ったかと思っても、
次の朝起きたら腰が固まったかのようにまた痛くなっていたりして、
中々すんなりとは治りません。
今日は昼から大切な大きな会があったのですが、
恥ずかしながら車イスでの出席になってしまい、申し訳ないことをしました。
自分がはっきりと衰えていくことを明らかに認めざるを得ず、
自分がいなくなることを想定したスケジュールは着実に進めなければならず、
それを前提としたステップを日々踏んで行かねばならない。
たとえ自分に、あと10年、20年以上の時間が残されていたとしても、
それは自分には判りようがなく、
たとえ数か月の内にそれが来たとしても、
すべき事が間に合わない事態にはならないように手段の用意が必要です。
そこは決して油断することなく、
せっかく全力で生きる元気を取り戻したのだから、
せっかく、どれだけ有るかもわからない程の残された時間があるのだから、
覚悟の用意はしつつも、ダイナミックに成長し、進化する道を選びます。
仕事は本当に面白い。
今の今では考えもつかないようなビジョンを立てて、
それを実現すべく具体的な実現策を考え、
みんなとそれを進めていくのが仕事とするならば、
仕事はとことん面白い。
毎日の24時間を使い切っても本当に構わないと思うが、
それをすると、あっという間に終わりが来てしまうので、
のんびりと、でも思いっきり飛ばして人生の一番の楽しみ”仕事”を、
誰に遠慮することもなく好きなだけ仕事をやりたい。
起業した者の特権だ。
今日はそんなことを思いました。
歳とって、体全体に張りが無くなったからだろうか
右耳の先っぽが折れたチーちゃん。
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2023年01月11日(水曜日)
01.11.痛めた腰が治ったり、痛くなったり。で、治ったみたい???
年末29日のLABO廻りが少し無理だったのか、腰を痛めてしまい、
痛くて歩けないまま正月を過ごし、(それでも結構、楽しかった。)
やっと正月明けに、
腰の手術を受けたことがある西部医療センターに行き診てもらったが、
レントゲンの結果、腰椎の四番目が神経に触れ刺激しているとのことで、
特に治療することもなく、鎮痛剤を処方されただけで、
一か月後に再診の予約を入れられただけで帰った。
つまり、痛み止めを飲んでしのいでいれば、
一か月後までには治っている。
という意味のようだ。
うっそ~、こんなに痛いのに。と思ったが、
5日後の昨日の夜、不意に痛くなくなって喜んでいたら、
今日の朝、布団から起きたら、
また同じように痛くなってしまっていて
今日の朝からの会議中もずっと痛いままだったのに
夜、会議の後に喫煙所で一服していたら、
ふと、また痛くなくなった。今は全然痛くない。
何かの拍子に神経が腰椎に触ったり、離れたりするのだろうか。
よく分からないが、あの医者の先生は正しかったようだ。
あれだけ痛かった腰痛が、帰宅後、今、全くない状態でこれを書いています。
人間の体って本当に不思議ですね、
医者という人は、本当にすごいですね。
これからはもっと医者の言うことを聞くことにしましょう。
変な関心をしているところです。
追伸、
次の朝、やっぱり駄目なようです。そう簡単にはいきませんね。
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2023年01月09日(月曜日)
01.09. 52年前に免許を取得した懐かしの自動車学校で「高齢者講習」
52年前、18歳の谷 好通は高校を卒業してすぐに
名古屋市緑区の緑が丘自動車学校で普通免許を取得しました。
「緑が丘自動車学校」は、
当時私が住んでいた名古屋市南区とは10キロほど離れていましたが、
通学バスが近所にまで来ていたことと
「緑が丘・・・」という名前が、なんとなく優しそうだったので
わざわざこの自動車学校に行ったという記憶があります。
(そう考えるとネーミングは大切ですね。)
当時の教習車はトヨタクラウンと決まっていて、
三段コラムシフトのミッション車、今でいうMT車でした。
初めて自動車を運転するのには、
とにかくこのクラッチとギアチェンジが難しくて苦労した覚えがあります。
中々うまく行かなかった時、
弱い左足でクラッチを踏むのがつらくなって、
自動車学校から電話をかけて、母に泣き言を言ったことがありました。
しかしその時、母は
「そんなこと言ったってしょうがない、あんたの足はそれしかないんだから」
と、突き放されたことを覚えています。
母は、私を小児麻痺に罹らせてしまったことをずっと悔やんでいて、
きっと私の将来のことを思ってのことだと思うのですが、
私が足の不自由で泣き言をいうのを鬼のごとく絶対に許しませんでした。
今思うと、本当にありがたいことだと思います。
そんなこともあって、
この「緑が丘自動車学校」をよく憶えていて、
70歳になってからの運転免許書き換え前に義務付けられた「高齢者講習」は、
どこかの自動車学校で受ければ良かったのですが、
あえて「緑が丘自動車学校」を選択して予約したのでした。
1月9日の今日がその当日だったのですが、
今の私は、腰を痛めていてまともに歩けず、
講習にも車いすに乗っていったのですが、
車は平気で運転できたので、あえて車いすに乗ったまま講習に行ったのです。
しかし、こんなことは高齢者講習では珍しくないことなのでしょうか、
教室での講習は車いすに座ったままで、
先生が色々カバーしてくれたのですが、
教習車に乗っての実車指導では、なんとためらいもなく、
乗れますか?大丈夫ですか?の、問いかけもないまま、
すんなりと私が教習車に乗ることを認め、
歩けている人たちと同じようなコースを走らせてくれました。
そして、乗り終わってから
「全く問題ありませんね。すごく上手な運転でした。」と褒めてくれました。
まっ、サービストークだとは思いつつも、嬉しいものです。
実はこの高齢者講習、
同年配の人たち(ジジババ)と一緒に並んで、
若い教官から説教がましいことを言われるものと想像し、
イヤで仕方なかったのですが、
私たちにとっては子供(下手すりゃ孫)たち同然の教官たちは、
ジジババ相手のこの講習では苦労しているのでしょうか、
言葉もすごく丁寧で、物腰も柔らかく、
約二時間を無難に過ごして、平和なうちに無事終わったのでした。
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2023年01月08日(日曜日)
01.08.おばちゃんの「大丈夫っ」の言葉が不思議と嬉しかった。
年末のLABO店舗を廻っている間に、
つい腰に無理がかかったことに気が付かないまま続けてしまい、
30日の時点で立てなくなって、
一日休んだのだけど、やっぱり立てないので
大晦日は車いすを使ったが、結局、東海地区の全店までも廻れなかった。
実を言うと、立てなくなった30日の朝インターネットで調べて、
痛みが走る個所や症状から自分が「坐骨神経痛」であるようだと考え、
その原因が”筋力の衰え”に疲れが加わって発症すると書いてあったので、
事もあろうことに、
私は30日の朝、筋トレをやってしまったのです。
筋トレをすれば神経の痛みを抑えてしまえると勘違いしてしまったのです。
その結果は逆に腰がもっと痛くなって本格的に動けなくなってしまいました。
筋トレは筋力の衰えをカバーするものであり、
坐骨神経痛で痛くなる前にやるべきで、
勘違いして、痛くなってから筋トレをやっては、
逆に、もっと痛くなってしまうみたいです。
それでお正月はまるでダメでしたが、
正月明けに、3年前?に腰痛で手術を受けた名古屋西部病院に行き、
見てもらいました。
手術を受けた左側とは”逆の右側”の腰なので、もちろん再発ではありません。
レントゲン撮って、
診察してもらった結果、
腰椎の4番目が神経を刺激しており、
鎮痛剤を出すので、また1か月後に来てください。とのこと。
「つまり、その1か月後にはほとんどの人が治っているという意味ですか?」
と聞いたら、そうだと言う。
坐骨神経痛とは、そういうもののようですね、
そう思ったら、不思議とそんなに痛く思わなくなってしまったのです。
いや、そうではなくて、
ただ単に鎮痛剤が効いただけのことでしょうか。
早い話が、一か月も鎮痛剤でも飲んでいれば、大丈夫だということです。
今日、そんなこともあって、
家族で岐阜県の「道の駅」に行って来ました。
連れ合いが「道の駅」が大好きで、時々行くのです。
私はもちろん車いすでゆっくりと見るのですが、
連れ合いがレジで精算している特に後ろに着いていたら、
ちょっと邪魔になってみたいで、
連れ合いが「邪魔っ」みたいなことを言ったので、
私がレジのおばちゃんに「キツイでしょ」と目配せしながら笑って言ったら、
そのおばちゃんは、
私をじっと見て、「大丈夫っ」と声をかけてくれたのです。
私を、励ましてくれたようなのです。
もちろん、私は可哀そうでも何でもないのですが。
私はその「ダイジョブ」がなぜか新鮮で、嬉しくて、
岐阜からの帰りの車を運転しながら
思い返しながら、すごく嬉しかったのです。なぜ嬉しかったのでしょうか。
きっと、あのおばちゃんが、瞬間的に私の気持ちになって共感して、
「大丈夫っ」と励ましてくれたからなのでしょう。
世の中、
人の話の上げ足を取るばかりで、自分では何も出来ないのに、
人のやっている事や言っている事を蔑むしか能のない情けない人もいる中で
「大丈夫っ」の一言に、
人としての共感を込めてくる愛すべきおばちゃんの存在に
世の中、決して捨てたものではないと、思ったのでした。
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2023年01月07日(土曜日)
01.07.お客様が喜ぶと、うれしいと思う者たち。
前話の昔話の中で、
ラーメンにたとえて、
ラーメンと同じようKeePerコーティングも
その店舗の中で造られるような商品は、
技術者の商品を造り上げる技術の差によって
価値の高さ(美味さ、美しさ)が変わります。
だからお客様の側は、より上手いKeePer、より美味いラーメンが欲しいので
より上手な技術者のいる施工店、ラーメン屋を選びます。
集客のための看板や、宣伝広告、
ましてや値引き販売での客引きなどは、
ほんの一時的な集客効果に過ぎず、
店舗繁栄の為に絶対的な条件である「リピート率」のアップには繋がりません。
「リピート率」のアップには、
上手いKeePer、美味いラーメンが絶対条件なのです。
例え話のラーメンはさて置いて、
上手いKeePerは、
技術力の高い施工者が施工することが必要です。
この技術力とは、
車の塗装やKeePerに対する知識が十分あることとや、
一つ一つの作業の動作と順番の正確さが身についているかであり、
さらに、そのテクニックをいかに習熟するかです。
しかしもう一つ、
大切な要素があります。
技術者が、その車をキレイにしたいと思って作業できるかどうか。
こんなことを書くと、精神論っぽいことを言い出したように思えますが、
決してそんなものではなく、現実の事としてこれは大変重要なことなのです。
KeePerは車をキレイにして、
それもお客様が驚くほどキレイにして、
その驚きのキレイさが約束通りの期間、本当に続いて、
また続いてKeePerをやりたくなって、
あるいは車が代わってもKeePerをやりたくて、KeePerのリピーターになる。
そんなキレイさとは、
お客様のキレイに対する感性に合っていなければ作ることが出来ません。
“キレイさ”なんてものは、あくまでも、
それぞれの人間が持っている感性によって決まるもので、
絶対的なキレイさなんてものがある訳ではありません。
キレイさは計器なんかで計測できるものではなく、
あくまでもそれぞれの人間の感性によって、キレイさに差があるのです。
あえて言えば
女性のヘアメイクと同じようなものかと思うのです。
機械的に造られるものではなく、計器で計測できるものでもなく、
あくまでも、
その女性の好みと嗜好で、そのヘアメイクの価値、善し悪しが決まります。
車だって、そういう一面があって、
お客様が持つそれぞれの感性によって、
キレイさの基準が違うのです。
だから、
女性のヘアメイクを造る美容師さんが、
お客様の好みを、お客様とのいっぱいの会話の中で探し出して、
そのお客様が持っている美しさの基準を、その女性のヘアに実現する。
それが、そのお客様の価値観と基準にうまく合えば、
その美容師さんは、そのお客様にとって”腕の良い美容師さん”という事になる。
車の美容とも言えるKeePerも、そういう面があって、
それぞれのお客様が持っている車の美しさの基準と、好みを、
お客様とのいっぱいの会話の中で探し出して、
そのお客様が持っている美しさの基準を、そのお客様のお車に実現する。
それが、そのお客様の価値観と基準にうまく合えば、
その施工スタッフは、そのお客様にとって”腕の良いKeePerの技術者”となる。
しかしスタッフが、会社から、或いは上司から仕事を”やらされている人”だと、
仕事をやらされているだけなので、作業という仕事をやらされても、
お客様が喜んでくれるかどうかは、そのスタッフには興味ないし、関係ない。
ただ、マニュアルで決ったようにKeePerの作業をしただけで、
ただ仕上がりが悪くてお客様が文句を言えば叱られるので、
お客様から文句を言われないようにきちんとキレイにしようとは思う。
だから当然、お客様の好みとか価値観など興味がないので、考えもしなければ、
それを実現しようとも思わない。
車をキレイにする上で、こんな差は、大した事はないように思えるが、
お客様がどの店にリピートしようかどうかは、
意外と、こんな部分で決まってしまうもののような気がする。
仕事はやらされてやっている仕事と、
何か楽しみがあってやる仕事では意外とその差があって、
その楽しみが、お客様が喜んでくれる事を楽しみにする仕事だと、
意外と、その差は大きく、
意外と、その店にお客様がリピートする気になるかどうかの決定的な差になる。
では、なぜ「仕事をやらされている人」が出来るのか。
その会社、その経営者、その上司が、
スタッフに「仕事をやらせている」からに他ならない。
我らが仲間たち、お客様が喜ぶと、うれしいと思う者たち。
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