谷 好通コラム

2022年09月03日(土曜日)

09.03.三十数年前、コーティングを一緒に学んだ同級生

37年前の1985年、刈谷市で創業したのはガソリンスタンドとしてでした。

ガソリンスタンドの運営自体は順調で、収支も取れていたのですが、

赤字が出なければいいというものではなく、

せっかく独立したのですから、会社を発展成長させたいと考えるのは当然です。

だから、無理して2軒目の店舗を造るために、

借金をして土地を買い、ガソリンスタンドの施設ほ造ろうとしたのですが、

当時の、業界を守る為の暫定措置法で、

ガソリンスタンドとして燃料を売る事が無理らなっていたので、

その措置法が撤廃されるまで1年間だけ、

そのガソリンスタンドみたいな店舗で、

ガソリンを売らずに食いつなぐ必要があり、

その一つの方法としてカーコーティング(当時始まったばかり)を選んだのです。

 

そのカーコーティングを学ぶ為に通ったのが横浜のモービルクリーンベース。

コーティングブースを持ったコイン洗車場で変わった設備であった。

そこで学んだのは、いわゆる「磨き」中心のコーティングで、

最終的に、そこで学んだ技術を半ば否定するような形で、

磨かないKeePerコーティングを造り上げて特許も取り、今に発達している。

 

しかし、横浜で習ったコーティング技術は、最終的には否定してしまったが、

あの技術を憶えたからこそ、それを否定することも出来、

言って見れば、半面的ではあるが、今のKeePerの元祖と言ってもいい。

 

多分33年ぐらい前、横浜には約1か月間ぐらい一日おきに通った。

愛知の刈谷市と横浜を一日おきに通うのは、

一日おきに片道350kmを往復した訳で、

半端なく大変だったことを憶えている。

 

その時に横浜のモービルクリーンベースでの同級生だったのが、

静岡県藤枝市の鈴木さん。

私より8歳若くスマートで、みんなに可愛がられていて、

私は何度かひがんだ覚えがある。

 

今は静岡で、KeePer技研㈱の代理店として販売と技術指導に活躍している。

その鈴木さんが、KeePer技術コンテスト静岡県チャンピオン戦に、

販売先の店舗スタッフが参加しているとのことで、

久しぶりに顔を見せてくれた。

 

彼は今62才で、少年サッカーのコーチもしていると言い、

かなりヨタってきた70歳の私との差を感じるばかりで、

何十年ぶりかで、また、ちょっとひがんでしまい、昔を思い出しました。

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2022年09月03日(土曜日)

09.03..技術コンテスト県チャンピオン戦と、Spiritsの区切り・達成会。

昨日の夜、仲間達とまた、お上品とは縁のないほとんどバカ騒ぎの酒を飲んだ。

(皆とたくさんお酒を飲んだ夜はこのブログは書かない。

逆を言えば、これを書いていない日は、酒を飲んだ日とも言える。)

 

昨日、本社の中央トレーニングセンターで、

KeePer技術コンテストの「静岡県チャンピオン大会」があったのです。

今回のこれが最初の県チャンピオン大会なので、

全国の営業所長の全員が、採点員も兼ねてこの大会に集まり、

実際に大会を一緒に運営し、

一緒に実際の採点をして採点基準の目線合わせと、

大会全体を通しての運営を一緒にやって、

一つ一つの段階での行動を点検し、検討して、変更すべきは変更して、

前例にとらわれることなくブラッシュアップし、全員が共有する。

 

そうしてこれから全国で開催の

全49回の県チャンピオン戦を具体的に運営していく責任者、

つまり営業所長の運営の方法と認識を揃えて行く。

 

その為に全国の営業所長が集まった訳です。

 

静岡県チャンピオン大会は、

想像以上の皆さんの高い意識と技術で、

大変盛り上がったレベルの高い県チャンピオン戦でした。

その報告は、

何回かの県チャンピオン戦を経験していく中で考え、報告したいと思います。

 

その静岡大会のすべてと

「フレッシュキーパーの見学研修会」が終わったのが午後5時過ぎ。

そこから、所長全員で会場の跡片付けがあって、

その後、事務所に集まり、今日の反省と、

今後のそれぞれの県チャンピオン大会運営の検討会があって、

みんなが積極的に発言して、社長がリードして、私もチョットだけ発言して、

終わったのは午後7時過ぎ。

 

それから、すぐに帰る人は車や鉄道で帰って、

北海道や東北、九州など比較的遠いメンバーは

中央トレセン上の「寮(二階)」に泊まるので、「ご飯を食べよう」と言って、

名古屋営業所の連中と一緒に飲みに出た。

行ったのは、

元「ラボ大府店」の後に、居抜き改造して入った中国人による中国料理屋。

お目当ては、現地そのままの本格派「火鍋」です。

昔、私は、中国に通った時期、中国ではどこででも火鍋を一番よく食べた。

LABO大府店が新しい場所に移設した後、

跡地の店舗の建物ほとんどのそのままで内部をリニューアルして

「火鍋」を売り物にした中華料理屋が出来た時は、不思議な運命を感じた。

 

そして、何といっても、「火鍋」は「美味い・速い・安い」で、

とりわけ「安い!」は、値段そのものは大して安くもなく、

肉はあくまでも薄っぺらく、どうもインチキ臭いのだが、

とにかく美味くて、ついガツガツ食って飲んで、

大笑いしながら騒いで(大騒ぎして)

あっという間に腹一杯になるので、結果的には、決して高くない。

腹一杯でもう食えん、もう飲めん、まで行って1人5千円でお釣りが来る。

(店の名前は知っているが、中国の難しい漢字なので何と読むか知らない。)

しかし何といってもこの店の一番の良いところは、

私達が食って飲んで、

声がだんだん大きくなって、馬鹿笑いが始まって、

決してお上品ではない大騒ぎになっても、(つまりバカ騒ぎになっても)

お店の中国人のおばさんたちは、

仲間(中国人)に会ったように喜んでくれる。

(そういえば中国では、中国人は酒飲めば、みんなバカ騒ぎしていた。)

 

今回の火鍋も決してお上品ではなかった。

営業所の所長達という上の役の者ばかりなのだが、バカ騒ぎは変わらない。

(本当は一番上まで行っても何も変わらない。バカ騒ぎ大好きである。)

しばらくの間、コロナでおとなしい日々が続いたが、

久し振りにバカ騒ぎでお酒をちょくちょく飲む日々が戻ってきた。

 

火鍋を食って酒を飲んでいた所長の誰かが言った。

「僕は、久し振りにこんな飲み会(バカ騒ぎ)をやって、思いました。

コロナで”達成会”をやめて長くなりますが、

こういうのは、やっぱりやらんとイカンですね。

仲間意識を持ったコミュニケーションが持てるし、

やったという充実感と、これからやるぞという気合が入ります。」

 

今の時勢、さすがに店舗ごとでのバカ騒ぎは無理でしょうが、

毎月、毎月、みんな一つの予算を追って頑張っている訳だから、

それを皆で達成した時は、

一つの区切りとして、

バカ騒ぎであれ、食事会であれ、

みんなでやったという気持ちの確認と、お互いの承認の場が、

「達成会」であったのでしょう。

 

その一区切りが、次のスタートの為のオールクリアになっていたのでしょうか。

その一区切りが無いと、

オールクリアもなく、「頑張りの連続」が蓄積する一方で、

蓄積する頑張りで、精神的にくたびれてしまうのではないでしょうか。

 

「達成会」を皆がすごく楽しみにしていたことはよく聞いていて、

知っていたつもりでしたが、「

達成会」の本当の意味がやっと解ったような気がしました。

 

そういえば私もずっと昔から、何かが出来たらすぐにみんなで飲みに行って、

上品ではない酒を飲んでいました。

この会社は、ご接待したりされたりは大の苦手ですが、

バカ騒ぎ大好きの伝統は、コロナ禍を生き残って健在のようです。

 

スピリッツという言葉あります。

英語でspirits

インターネットで調べると、

「spirits 【名詞】 〔生命体の〕生命力、精気 〔生きようとする〕生気、気力 〔人の〕 性分、気性 〔人の〕心持…

だそうです。

 

「達成会」とは、私達にとって一区切りの会のようなもので

仲間すべてのSpiritsを一度オールクリアして、

再スタートする会だったのでしょう。

 

ラボも営業もKeePerは10月から「達成会」再スタートの予定です。

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2022年09月01日(木曜日)

09.01.わが青春の、ベトナムに平和を!市民連合と、ゴルバチョフ。

私が高校から大学の頃にかけて、

ベトナムでは「北爆」が、米軍によって連日行われていた。

 

インターネットで調べると

 

北爆とは、

1965年2月に始まった、 ベトナム戦争 におけるアメリカ軍による北ベトナム爆撃である。 はじめは地域限定攻撃であったが、次第に軍事基地だけでなく村や町など無差別爆撃を行うようになり、解放戦線に対抗するため南ベトナムでも北爆と呼ばれる攻撃が繰り返された。 B52爆撃機は、ジェットエンジンを8つも持つ巨大な爆撃機で、225キロ爆弾を一度に108発も運ぶ、当時最新鋭の爆撃機であった。

 

 

また、別の記事によると、

アメリカ軍による大規模な北ベトナムへの空爆や、北ベトナム軍が有利となったジャングルでのゲリラ戦は、両軍ともに多数の死傷者を出しました。その様子は世界中で報道され、あまりの凄惨さに各国で反戦運動が勃発します。

アメリカでは自国の軍を投入してから3年以上も成果がなく、死者ばかりが増えていくことに反感が強まっていきました。エスカレートしていく戦争をやめない政府への批判も強まり、アメリカ国内の世論が分裂してくようになります。

1968年に北ベトナム軍による一斉攻撃(テト攻勢)でアメリカ軍が大打撃を被ると、同年中に北への空爆全面停止を宣言。1973年の1月に和平のためのパリ協定が調印されてアメリカ軍が撤退し、後の1975年4月、南ベトナム政府は無条件降伏しました。
およそ20年に及んだ戦争は、北ベトナムが南を併合する形で終結したのです。
北ベトナム側の推定戦死者数は117万7千人、
南ベトナム側は28万5千人。
そして南北合わせた民間人の死者数は458万人以上にのぼりました。

 

人間の歴史とは恐ろしいもので、
わずか50年くらい前の、私が学生の頃、
ベトナムという小さな隣国で、
戦って死んだ人が約145万人、民間人が約458万人、
計約600万人以上もの人が殺された戦争が、身近な国であったのです。

あの時の米軍はソンミ村というベトナム山中の小さな村で、
無抵抗の村民500人余を皆殺しにした事件があって、
世界中の人々から猛烈な抗議と非難の声が上がりました。

 

学生だった私も「へトナムに平和を!市民連合」(略・べ平連)での、
抗議の輪に加わったこともあります。

 

だからといって、今のウクライナでのロシアの卑劣な侵略戦争が
ベトナム戦争に比べたら大したことないといっている訳ではありません。
今のプーチンは、世界中の何十億人もの人々を殺す事になる核兵器の使用を
ちらつかせて恫喝している卑劣極まりない存在です。

しかし、昔のアメリカのベトナムでの事も併せて考えると、
人とは絶対的な権力を持った時に、

 

どこまでも無慈悲に、残酷になれるものかと考えてしまいます。

 

しかし、ロシアの元大統領に、ゴルバチョフという人がいました。
ベトナム戦争の元になった東西(ソ連とアメリカ)の冷戦を、
まるで奇跡の様に終結させた超偉人で、人類の救世主のような人でした。

 

そのゴルバチョフ氏が、
昨日91才で亡くなったそうです。
彼は世界に平和を実現したことで、
何億人もの人に自由を生み出し、
何百万人もの人の命を救ったことになるのでしょう。
あの人の人生は、世界で最も重く深いストーリーを持ったものです。

 

晩年になってからのテレビのインタビューで、
「あなたが今までに一番悲しかったことは何ですか?」と聞かれたら、
ミハエル・ゴルバチョフは、
「1999年、ライサ(夫人)が先に死んでしまったことさ。
あれからは、ずっと、私の人生はツマラナイんだ。。」と、答えていた。

 

すごい人ですね。泣けてきます。

 

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2022年08月31日(水曜日)

08.31.テレビで台風11号は現時点の世界最大の強さと言っているが、

沖縄のあたりで猛烈に強い台風11号が迷走していて、

沖縄はもちろん石垣島や西表島の先島諸島でもすごい大変らしい。

テレビのニュースでは、

中心気圧が明日には”915hPa”ににまで下がり、

今年世界中で発生したタイフーンとかハリケーンなどを含めても、

今の時点でこの台風11号は世界最強とセンセーショナルに言い、

太平洋高気圧の存在が強く、その進路が迷走していると不安をあおる。

私もその予報図を見て「こっちに来るかもしれないな」と、つぶやいた。

 

しかし、私は決して怯えてはいない。

逆に、少しホッとしているぐらいです。

 

私が小学校二年生の時、昭和34年(1959年)、

伊勢湾台風に遭って、正に生死の境目をうろつきました。

この伊勢湾台風では、およそ5,000人余りの犠牲者が出ています。

この伊勢湾台風の、名古屋上陸時での中心気圧が”895hPa”で、

発生時に近いもっとも強力な時点での中心気圧は、

観測網が未熟な時代の事なので不明ですが、

895hPa以下であったことは間違いなかったでしょう。

 

伊勢湾台風の記録があるので、

今年のこの台風11号の事を、史上最強の台風とは言わず、

「今年世界中で発生したタイフーンとかハリケーンなどを含めても、

今の時点でこの台風11号は世界最強の台風」と、

まどろっこしい言方をしてまで、

今のニュースをとかくセンセーショナルに報道します。

だから私は、

今年のこの台風11号に怯えたりする気なんぞには全くならないのです。

 

そして、少しホッとしているとは、

でっかい台風が、伊勢湾台風のように9月に日本に来ることで、

最近の台風は、

気候変動の影響なのか9月に大きい台風が来なくなっていて、

9月の伊勢湾台風が刷り込まれている私としては、

「気候変動なのかなぁ」と、

不安に感じることが多かったのですが、

今年の台風11号は、9月早々にも日本本土のどこかに行きそうです。

それで、妙にホッとしているのは、・・私の勝手ですが。

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2022年08月30日(火曜日)

08.30.今日は、正味三時間だけの仕事で寂しかった。

トレーニングの増田トレーナーが、新型コロナ陽性になったとの連絡で、

今朝のトレーニングが急遽中止になってしまいました。

だから、午前中の時間が空いてしまい、

早く会社に行こうかとも思ったのですが、

読むべき「本」があったので家で、そのまま家で読んでしまいました。

だから会社に出て行ったのは午後から。

午後からは午後3時までIR(機関投資家のインタビュー)が2件あって、

ものすごく集中した時間でしたが、そこから予定が空いてしまいました。

企画のデザイナーとの打ち合わせが少しありましたが、そこからの予定がありません。

 

だから、朝、読み残した本を少し読み足したぐらいで、

今日は正味三時間ぐらいの仕事だけで、帰宅してしまったのです。

普段は。予定がかなり詰まっていて、

決してこんな事は多くないのですが、

今日は、ちょっと寂しい一日です。

 

仕事の実務の部分をすべて新しい経営陣に継承してしまっているので、

私は「企画」のかなりの部分と、各種の会議への出席と

留守番と称してIRのほぼすべては引き受けています。

このIRは、ほぼ毎日2件ずつ入っており、

普段の日はいろんなスケジュールできっちり埋まっています。

でも、今日みたいに時間が空いてしまう日がたまにあると、

それだけでも、つまらない、寂しいと感じ、

何年後かに本当に引退してしまって仕事を全くしなくなると、

それはすごく嫌だなと思います。

 

32歳で独立してからずっと仕事に没頭して来て

仕事が大好きなので、

何もする事が無くなるのは本当に嫌だなと思います。

しかし私はもう70才なので、

あと何年かで本当に引退の場面が来なければいけません。

いつまでも経営に口を出し続けて、影響を与え続けるのはいけないと思っています。

しかし、仕事が無くなるのも本当に嫌で、

出来るものならば死ぬ直前まで忙しく働きたいと切に思い、

そう想うと、心が乱れます。

 

今日、90才で京セラの稲盛名誉会長がお亡くなりになりました。

稲盛氏はアメーバ経営であまりにも有名です。

その経営姿勢と手腕、社員を愛する精神は、

90才の老衰でお亡くなりになるまで

いろんな場面で活躍し続けて

多くの人に、特に経営者の人たちに大きな影響を与えてきました。

 

私などとても足元にも及びませんが、

私もあんな人生を送ってみたいと、心から憧れます。

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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